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「松川事件」の現場 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『朝日クロニクル 20世紀 第4巻』(朝日新聞社) 昭和36年8月8日(1961年。 「松川事件」の差し戻し審で、被告20名全員に無罪の判決が出ました。事件発生の翌年(昭和25年)の一審では全員が有罪(うち死刑5名、無期懲役5名)でしたが、12年目にして全員無罪となったのです。さらに2年して昭和38年、最高裁で無罪が確定(終結までに14年、判決後の「国家賠償裁判」を含めるとプラス7年で計21年かかった)。 「松川事件」はどんな事件だったのでしょう? 日本がまだGHQの占領下だった昭和24年(昭和27年まで占領下)、国鉄(現・JR)がらみの事件が約40日間に3つ起きました。7月5日に国鉄の初代総裁・下山定則が失踪後礫死体で発見される「下山事件」 、10日後の7月15日には東京三鷹駅で無人列車が暴走して商店街に突っ込み通行人6名が死亡する「三鷹事件」、そして、8月17日にはこの「松川事件」。東北本線「 これらは「国鉄三大ミステリー」と呼ばれますが、「松川事件」についていえば、無罪判決後の「国家賠償裁判」(民事裁判)で国の違法行為が論定したこともあり(国側は一審、二審ともに敗訴し、昭和45年、賠償金を払っている)、国が関与した謀略事件です。何でも陰謀論で説明しようとするのも問題ですが、現にこういった謀略があったのも事実。「また陰謀論かよw」と揶揄して陰謀論を全て否定しにかかる向きもありますが、それ自体が“陰謀”の一部かもしれません。歴史を少しでもひも解くと(出版社と著者は選びましょう)、教科書には書かれない「恐ろしいこと」がたくさん出てきます。それに目を向けるか、否か。 戦後直後、日本の民主化を図ったGHQは共産主義や労働運動にも寛容でしたが、国鉄職員計10万人の解雇の発表がありそれに反発して労働争議が起こり、また、その年(昭和24年)1月の衆議院総選挙では日本共産党が4議席から35議席へと伸ばし、国際的にも中国や朝鮮で共産勢力が拡大、それらを脅威として、レッドパージ(赤狩り)を始め、「逆コース」をたどります。翌昭和25年6月25日には、朝鮮戦争が始まります。それに向け日本人に「共産党(または労働運動)に関わったらヤバイ」という恐怖感を植えつけようというのでしょう。 GHQといっても 「松川事件」でも、事件当初から、GHQ、政府、警察、検察、裁判所が結託して、無実の労働組合員(国労福島支部関係者10名と東芝松川工場労組関係者10名)を陥れようと動いています。事件翌日、吉田 茂内閣は労働組合員の犯行とほのめかし、裁判では 「あるはずがない証拠」が出てきたり、出されてしかるべき証拠が隠蔽されたり・・・、権力サイドからの露骨な工作がありました。そして、事件の1年後(昭和25年)、20名の被告全員が有罪となり、5名にはなんと死刑判決です。権力が殺人を犯し、その罪を「都合悪い人たち」になすりつけ彼らを抹殺しようとしたのです。 「下山事件」でも証言のあからさまな改竄がありましたし、「三鷹事件」でも、事件の翌日、吉田首相は「共産主義者の扇動」と声明を出したことで、馬脚を現しました。3事件とも「ミステリー」でも何でもなく、陰謀の可能が極めて高いです。 「松川事件」の被告たちは、GHQと国が関わるこの難しい裁判をどのように戦い、どう勝利したのでしょう? 事件2年後の昭和26年、被告の佐藤 出来上がった『真実は壁を透して』に、宇野浩二(60歳)と広津和郎(59歳)が反応。特に広津は、被告に面会、裁判を傍聴し、被告たちの無実を確信、捜査・裁判の問題点をメディアに発表、被告救済運動の中心になっていきます。大半のメディアが「作家風情がクチバシをつっこむな」的なバッシングをしましたが、広津の呼びかけで458名の文化人が賛同、作家では、中野重治、松本清張、志賀直哉、川端康成、武者小路実篤、井伏鱒二、吉川英治、尾﨑士郎、木下順二、石川達三、大仏次郎、田宮虎彦、坂口安吾、佐多稲子、壷井 栄、井上 靖、
「松川事件対策協議会(松対協)」(会長:広津和郎)など被告救済団体も結成され、世界にも訴えられ、中国、ソ連、ポーランド、フランス、チェコ、ドイツ、アジア法律家会議も日本政府を批判、紙芝居や幻灯、演劇、浪曲でも訴えられ、その他、カンパ、デモ、被告たちの美術展出品(アンデパンダン展)、公判記録の出版などが行われていきます。 出色なのは、本格的な映画「松川事件」の制作。実際の人物に似た俳優を選び、事件に巻き込まれた被告とその家族の苦悩、「捜査と裁判のひどさ」を再現しました。昭和36年に完成。昭和28年の二審で17名に有罪(死刑4名を含む)の判決が出ており、予断を許さない中で全国公開され、3ヶ月間で370万人が視聴。世論を味方につけます。映画人たちの勇気ある行動がまぶしいです。 検察・警察・司法による権力犯罪についての告発は、ことごとく不起訴、棄却、却下となり、14年という長期裁判後、1年あまりで時効、警察の捜査義務も消滅しました。なおその後、当時の新井 諜報活動で暗躍した「キャノン機関」のキャノン中佐は全く知らないと語り、犯人を目撃した斎藤金作は謎の死を遂げ(昭和26年)、実行犯は定かになっていません。事件の前夜、正体不明の少女レビュー団の一夜かぎりの興行があり、実行犯の隠れ蓑になった可能性が指摘されています。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |