友と挑んだ厳冬期の岩壁で、魚津恭太は友を失った。“切れるはずのないザイル” が切れてしまったのだ。
傷ついた心をぶら下げて、一人、町に戻った魚津を待っていたのは、世間の冷たい視線。“切れるはずのないザイル” が切れたのだから、ザイルが意図的に切られたとの憶測も生まれた。魚津が意図的に切ったとすれば、それは自分だけが助かりたいために友を見殺しにしたことになり、友が意図的に切ったとすれば、友は自殺を図ったことになる。
否。ザイルは岩角でこすれただけで「簡単に」切れてしまったのだ!
魚津は、この事実を伝えるべく奔走する。登山家の誇りをかけた戦いだ。
『氷壁』 について
井上 靖 、49歳の時の作品。昭和30年に起きた 「ナイロンザイル切断事件」を題材にし、伝説的な登山家・松濤 明がモデルになっている。昭和31年11月から翌年8月にかけ「朝日新聞」に連載され、昭和32年10月、新潮社から単行本が出て、ベストセラーになる。独語訳・仏語訳あり。上高地の徳沢園(『氷壁』 の舞台になっている)には、冒頭の直筆原稿が保管・展示されているとのこと。
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井上 靖『氷壁 (新潮文庫) 』。ストイックな主人公の登山家・魚津恭太にしびれる |
「氷壁[DVD]」(大映。昭和33年公開)。原作:井上 靖。魚津を菅原謙二、小坂を川崎敬三、魚津を慕う小坂の妹・かおるを野添ひとみ、ナイロンザイル実験に携わる八代を上原 謙、魚津が密かに思いをよせる八代夫人を山本富士子が演じる。待望のDVD化! |
『氷壁』と馬込文学圏
主人公の魚津恭太は当地(東京都大田区大森)に住んでいることになっている。彼のアパートからは「拡ってゐる大森の街衢が見え」、「窓を開けると、国電とバスとタクシーの音」が立ち上がってくる。詳しくいうと山王二丁目の高台(木原山)の大森駅(大田区大森北一丁目6-16 map→)寄りだろうか。ならば小説にでてくる、アパート前の「だらだら坂」は現在1階にダンス教室が入っている東辰ビル(大田区山王二丁目8-26 map→)の脇のゆるやかな坂で、魚津が死んだ友の妹“かをる”とたどる大森駅までの「大通り」は池上通りだろう。魚津が密かに思いをよせる美那子
(八代夫人)が住むのも当地(東京都大田区田園調布)。
著者の井上 靖は、昭和24~32年までの8年間、当地(東京都品川区大井森前町(現・西大井一丁目(map→)あたり)と同区大井滝王子町map→)に住んでいる。ちょうど『氷壁』の新聞連載が終わる頃まで当地にいた。地理感のある場所を小説に使ったのだろう。
■ 馬込文学圏地図 『氷壁』 関連地図→
井上 靖について
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28歳時の井上 靖 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典: 『井上 靖(新潮日本文学アルバム)』 |
反抗心が芽吹いた幼少期
明治40年5月6日(1907年)、軍医だった父親の赴任先の北海道旭川で生まれる。同年、父親は大陸に派遣され、翌年、母親と母親の郷里の伊豆湯ヶ島(map→)に移る。しばらくして母親は転勤がちな父親に伴うようになり、祖母に預けられた。湯ヶ島で3歳から13歳までを過ごす。祖母は曾祖父の妾だったので本家からは敵視されていた。幼いながらもそんな本家に反抗心を燃やした。自伝三部作の初編『しろばんば』にその頃のことが書かれている。
柔道で培ったストイシズム
大正9年(13歳)祖母が亡くなり、浜松の両親の元に引き取られる。ところが2年後、父親がまた台湾に転勤し、三島の親戚に預けられ、再び両親と離ればなれとなる。生活は放埒を極め、寄宿時代は舎監を寄宿舎から追い出すといった騒ぎまで起こした。教師や友人の影響で文学に興味を持ち始め、校内の雑誌に作品を発表。石川県金沢の第四高等学校では柔道部の主将を務め、インターハイでも活躍した。柔道の鍛錬から、井上文学の骨格となるストイシズムが培われたといわれる。
実力派の劣等生
九州大学英文科から京都大学の哲学科に転科するが、大学の講義にはほとんど出ず、東京の同人誌や詩人仲間との交流に明け暮れる。投稿しては入選を重ね、映画や演劇の脚本部にも出入りした。昭和10年(28歳)解剖学者・足立
文太郎
の長女ふみと結婚、京都に新居を構えた。翌昭和11年(29歳)、ようやく大学を卒業し、同年、千葉亀雄賞を受賞。受賞をきっかけに大阪毎日新聞社に入社、美術欄を担当した。以後10年間、新聞社で勤務する。「徹底的に調べ、かつ読んで面白い作品を書く」 文筆姿勢はその頃身についたのだろうか。太平洋戦争時、入隊するが、脚気で数ヶ月で除隊となる。
新聞小説でブレイク
戦後、野間 宏のすすめで、詩から小説へ軸足を移す。昭和25年(43歳)、『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。それを機に新聞社から身を引き、新聞小説の全盛期と、週刊誌の発達期の波に乗って、 『あした来る人』 (昭和29年)、 『氷壁』 (昭和31年)などのヒットを飛ばす。日本史を扱った『風林火山』(昭和28年)、西域や中国を舞台にした『天平の甍』(昭和32年)、 『敦煌』(昭和34年)などの佳作を生む。
転換
昭和35年(53歳)、ジンギスカンを主人公とする『蒼き狼』が、大岡昇平から「歴史小説は作者の主観を排して史実を重んじるべき」との痛烈な批判を受ける。忠言を真摯に受け止めたのか、以後の作風に変化が生じた。老いや死を見つめた作品、鎖国下のロシヤ漂流民を描いた『おろしや国酔夢譚』(昭和43年 61歳)、千 利休の死の謎に迫る『本覚坊
遺文』(昭和56年 74歳)など。 歴史小説を中心に外国語に訳され、ノーベル文学賞の候補にもなった。
平成3年1月29日、急性肺炎のため死去。満83歳だった。墓所は、熊野山墓地(静岡県伊豆市湯ケ島176 map→) (
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井上 靖『天平の甍(改版)』(中央公論新社)。天平5年(733年)。第10次遣唐使として唐に渡った5人の留学僧の物語。21年後(754年)、5人のうちの1人・普照が鑑真を日本に連れてきた |
井上 靖『本覚坊遺文(講談社文芸文庫)』。弟子・本覚坊の手記の形で、利休の精神とその死の真相に迫る |
参考文献
● 『井上 靖(新潮日本文学アルバム)』(平成5年発行)P.66-69 ●『氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(石岡繁雄 あるむ 平成21年発行)P.1-18 ●『昭和文学作家史(別冊1億人の昭和史)』(毎日新聞社 昭和52年)P.230-234 ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年)P.130 ●「待ち人は風雪に消えた 〜松濤 明と芳田美枝子「風雪のビヴァーク」(愛の旅人)」(平成19年8月18日「朝日新聞」掲載) ●『ナイロンザイル事件と『氷壁』の真実 〜穂高岳〜(凱風快晴 ~夏山をゆく 1〜)』(平成19年8月8日「毎日新聞」掲載)
参考サイト
●文庫本限定!井上靖作品館→ ●徳沢園→ ●北アルプスの風(信州ぶらり旅紀行)/街角散歩/大町博物館巡り/大町山岳博物館→
※当ページの最終修正年月日
2022.1.1
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