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三好達治の『測量船』を読む
鴉になった男

 

 

 

 

 

 

 

詩集 『測量船』 には、何度も読んでイメージを膨らませたくなる詩が、たくさん入っている。

中でも特に、 「鴉」 という詩が気になるのは、私がちょっぴり “鴉好き” だからなのかもしれない。 ちなみに、鴉とは、「からす」。 漢和辞典によると 「はしぶとがらす」 という一種なんだそうだ。

いや、待てよ。 簡単に 「鴉好き」 なんて言うのはやめよう。 頭をつつかれそうになったこともあるし、ゴミを散らしたということで近所の人に嫌な顔されたこともある(悪いのは鴉だ!)。 道の真ん中に居座わる眼光鋭い奴らを避けて回り道したことだってある (お前らは人間様より偉いのか!?)。 それに、ガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアガアとほんとうるさ過ぎだったり、といろいろ複雑な思いもあるのだった。

それでもやはり、ちょっぴり “鴉好き” と言ってみたい気持ちになるのは、あのアウトローな感じがかっこ良かったり、彼らとしては精一杯生きているんだろうに、動物愛護を謳う人間様などからも白眼視されている彼らの気の毒さに共感するからかもしれない。

さて、この 「鴉」 という詩には、一人の男が登場する。 男は、旅人のようだ。 冒頭は、

風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人けない一すぢの道の上に私は涯しない野原をさまよふてゐた。 風は四方の地平から私を呼び、私の袖を捉へ裾をめぐり、そしてまたその荒まじい叫び聲をどこかへ消してしまふ。 その時私はふと枯草の上に捨てられてある一枚の黒い上衣を見つけた。・・・(「鴉」 より)

男は一枚の 「黒い上衣」 を見つける。 それを身に着け、そして、徐々に一匹の鴉へ変貌していくのだった。

鴉は、なにかふてぶてしくて、偉そうで、かなり恐いが、ほんとうは、「黒い上衣」 で “傷ついた魂” を覆っているのかもしれない。

三好達治も、自分を鴉のように思っていたのかもしれない。

詩の中の男は、今やすっかり鴉に変貌し、空を飛んでいる。

---ああ、ああ、 ああ、ああ、
---ああ、ああ、 ああ、ああ、

風が吹いてゐた。 その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。 冷たいものがしきりに頬を流れてゐた。(「鴉」 より)

泣いているのは、作者自身なんだろう。

カラス


『測量船』 について

三好達治『測量船』

三好達治 『測量船』

昭和5年、第一書房より発行された三好達治の初の詩集。 「春の岬」 「乳母車」 「雪」 「鳥語」 「郷愁」などが収められている。

第一書房版の他に、冬至書房版(昭和39年)、講談社文庫版(平成8年)、日本図書センター版(平成12年)などがある。 第一書房版は日本近代文学館が復刻版を出している(昭和55年)。

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三好達治について

三好達治
三好達治 ※1946年12月31日以前に作成されたもので、著作権の保護期間が満了しています(根拠:旧著作権法) 出典:『馬込文士村ガイドブック』(東京都大田区立郷土博物館)*

士官学校に進むが挫折
明治33(1900)年8月23日、大阪市東区南久宝寺で生まれる。 生後まもなく兵庫県に養子に出されるが、小学校3年の時実家に戻った。 10才頃から小説を読み始める。 家計を助けるため中学を退学し父親が希望した陸軍幼年学校に進み、さらに士官学校へと進むが、中途で退学した。

ツルゲーネフの “薄暮の世界” に憧れて詩を書き始める
京都第三高等学校に入学。 ツルゲーネフの 「薄暮の世界」 や、萩原朔太郎室生犀星堀口大学らの詩に感銘を受け、詩を書き始める。 東京帝国大学仏文科に進み、「青空」 に参加。 「乳母車」 「雪」 などを発表した。

国民的な詩人になる
昭和4年(28歳)、ボードレールの 『巴里の憂鬱』 を翻訳、また翌昭和5年には初の詩集 『測量船』 を発行した。 ともに高い評価を受ける。 昭和9年(34歳)、詩誌 「四季」 の編集に参加。

戦争中は戦争詩、戦争風俗詩と呼ばれる作品も多く書く。 また、古典への回帰も見られる。 昭和19年(43歳)福井県の三国で朔太郎の妹のアイ(愛子)と生活するが9ヶ月で破綻。 宇野千代の紹介で世田谷に下宿し、以後の16年間をそこで一人暮らした。

戦後、 『駱駝の瘤にまたがつて』 『百たびののち』 で新境地を示す。 詩友の作品集の編纂にも多く携わった。 昭和39(1964)年、室生犀星全集刊行後、心筋梗塞から鬱血性肺炎を併発、4月5日急逝する。 満63歳。 墓所は、三好の弟の三好龍紳が住職を務めていた大阪府高槻市上牧の本澄寺(現在、三好龍紳の子の三好龍孝さんがご住職)( )。


三好達治と馬込文学圏

昭和2年(26歳)、「青空」 の仲間の梶井基次郎を湯ヶ島に見舞ったおり、同地に逗留中の萩原朔太郎広津和郎宇野千代川端康成ら馬込一党と出会う。 朔太郎はかつてから三好の憧れの人物だった。 宇野千代が帰京するというので同行して馬込文学圏入り、朔太郎の世話でアパート 「寿館」 に住む。 翌昭和3年1月、松田重雄方(馬込東912 ※1)に転居する。

馬込文学圏時代の三好は、萩原朔太郎のところに足繁く通う。 これは朔太郎への敬慕の念(※2)に加え、朔太郎の妹のアイ(愛子)に会う目的も大きかったようだ(※3)

三好が馬込文学圏に留まったのは、昭和4年(28歳)から、天沼(東京都杉並区)に越すまでのおよそ2年間。 昭和4年は萩原朔太郎が馬込文学圏を離れた年で、萩原一家がいなくなった馬込文学圏に、三好はもはや未練はなかったのだろう。

作家別馬込文学圏地図 「三好達治」→

※1 : 昭和7年の改正前の住所表示。 現在の馬込東中学校(現在の南馬込2丁目)辺り。

※2 : 三好には詩論集 『萩原朔太郎』 や 「師よ萩原朔太郎」 などの著作がある。

※3 : 三好アイに求婚する。朔太郎は賛成したが、アイ本人とアイの両親の両方から拒絶された。 16年後、妻と二人の子と別れて、アイに再度求婚、それを果すが、9ヶ月で破局した。 その経緯は、萩原葉子の 『天上の花』 に詳しい。
[馬込文学マラソン] 萩原葉子の 『天上の花』 を読む→


参考文献

・ 『天上の花』  ※購入サイト (Amazon)へ→
 (萩原葉子 新潮社 昭和41年) P.5-14

・ 『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』
 (東京都大田区立郷土博物館編・発行 平成8年) P.66-67

・ 『馬込文士村の作家たち』  ※購入サイト (Amazon)へ→
 (野村裕 自費出版 昭和59年) P.113-125

・ 『文壇資料 馬込文学地図』 ※購入サイト (Amazon)へ→
 (近藤富枝 講談社 昭和51年) P.109-118

・ 『新装版 現代詩読本 三好達治』 (思潮社 昭和60年)
  ※ 「秋風高原 12 湯ヶ島と馬込のころ」(川端康成) P.212-213

・ 新潮日本文学アルバム 『萩原朔太郎』  ※購入サイト (Amazon)へ→
 (新潮社 昭和59年発行) P.82-83


参考サイト

ウィキペディア/三好達治→

文学者掃苔録図書館/三好達治→

松岡正剛の千夜千冊/佐々木洋 『カラスは偉い』→
※カラスを面白がっている方はけっこういるようだ。

もの言う翔年(ユリウス)/三好達治記念館→


※当ページの最終修正年月日
2014.10.30

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