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馬小屋の飼い葉桶で生まれたとされるナザレのイエスは、多くの人に希望を与えながらも、“罪人”として死んでいった 明治36年6月22日(1903年。
山本周五郎が山梨県 この「周五郎物置小屋誕生説」を、当の周五郎は気にいっていたようです。なぜなら、終生敬愛したナザレのイエスに似ていたから。イエスも馬小屋の 父親もクリスチャンだったらしく、横浜時代(西区
周五郎は当地(東京都大田区)で15年間過ごしたあと横浜に戻りますが、その頃から『聖書』をまた読むようになったようです。代表作の一つ『樅ノ木は残った』の主人公は藩を救うために“罪”を一身に背負って死んでいきます。人々の“罪”を背負ったとされるイエスのイメージと重なってきます。 芥川龍之介は昭和2年に自ら命を断ちますが、死の前夜まで『続 西方の人』(Amazon→)というイエス論を書いていました。“西方の人”とは、パレスチナの地で活動したとされるイエスのことです。その「共産主義者」という章に次の一節があります。 クリストはあらゆるクリストたちのように共産主義的精神を持っている。もし共産主義者の目から見るとすれば、クリストの言葉はことごとく共産主義的宣言に変わるであろう。彼に先立ったヨハネさへ「二つの衣服を持てる者は持たぬ者に分け与えよ」と叫んでいる。・・・(芥川龍之介『続 西方の人』より) マルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という言葉(『ヘーゲル法哲学批判序説』(Amazon→)に収録)を取り上げて、マルクス主義(共産主義)と宗教があたかも対立しているように言う人が今もいるようですが、昭和の初めに芥川が見抜いたように、生み出したものを生み出した者たちで分かち合うという意味において、また、そのシェアの精神において、イエスの思想と共産主義は似ています。芥川はそれを「クリストの中にあった共産主義者」と表現しました。 キリスト教徒だった有島武郎が、自らが所有する北海道の有島農場(「有島記念館」(北海道虻田郡ニセコ町字有島57 Map→))を農民に解放したのは、キリスト教から離れてもそのシェアの精神を持ち続けたからでしょう。有島が、大杉 栄らアナキストや社会主義者・共産主義者と交際したのは自然なことでした。堺 利彦は、幸徳秋水が所有していたマルクスの『資本論』を、有島に贈呈しています。 「芥川や有島は自死したからダメ」と冷たく言い放つ“正しきクリスチャン”がいるかもしれませんが、芥川は「わたしに呼びかけているクリストの姿を感じ」(芥川『続 西方の人』より)つつ 、「彼(イエス)に 上で引用した『続 西方の人』の一節にある「あらゆるクリストたち」とは、どういうことでしょう? 普通、キリストというと、キリスト教でのキリスト(イエス・キリスト。ナザレのイエス)ですが、「あらゆるクリストたち」と複数形になっています。人々に希望や救いを与える人全てが「キリスト」であると芥川は考えたのでしょうか。そういう「キリスト」なら、仏教徒の中にも、イスラム教徒の中にも、特定の宗教に帰依しない人たちの中にもたくさんいるでしょう。いまだ世界は、さまざまな思想・宗教・宗派がその優劣を競い、対立して血も流れています。それらがそのシェアの精神において同根であることに思い至れば、互いに尊重し合え、愚かしい流血は避けられることでしょう。
殉教はシェアの最たるものでしょう。自らの体をも分け与えるのですから。北海道の塩狩峠でイエスの精神にのっとって自らの命を投げだして多数の命を救った実在の方をモデルに三浦綾子は『塩狩峠』(Amazon→)を書きました。この書に心打たれ、教会の扉を叩いた方もいるのではないでしょうか。 キリスト教に共感を覚える社会主義者が多いように、社会主義に共感を覚えるクリスチャンも少なくないことでしょう。三浦も特高に虐殺された小林多喜二の母親をモデルに『母』を書いています。 後にキリスト教から離れる志賀直哉ですが、「真実」を追求するといった根本的な生き方は一貫していました。 言論抑圧事件「矢内原事件」の被害者・矢内原忠雄のバックボーンにもキリスト教がありました。息子の哲学者・ 当地(東京都大田区)を舞台にした高村 薫さんの小説『レディ・ジョーカー』には、当地に実在する教会が3つ出てきます。また、作中、登場人物の新聞記者の
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |