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自分の欲望(倉田百三の大正5年5月17日づけ書簡より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉田百三

大正5年5月17日(1916年。 宗教的集団「一燈園いっとうえん 」(京都府京都市山科区四ノ宮柳山町8 Map→)に入園中の倉田百三(25歳)が、知人に手紙を書いています。

・・・私はの頃は、心の歩みのなかに渋滞と障礙しょうげ〔悟り上の障害〕とを感じて苦しんでゐます。 進みにくくて困ってゐます。 内に熟するものの力を切に祈り求めてゐます。 享楽的な生活をしてゐる人々のなかにゐると天香てんこうさんのやうな生活にはただちに、力さへあれば、入れるやうに感じますが、天香さんのかたわらに来るとまたその生活にも懐疑が出来て享楽的の生活にも真理のあることが認められます。・・・

3年前の大正2年、西田天香てんこう(41歳)が一燈園を始めました。「食物があれば人は泣きやむ」「近代人の苦悩は利己心から生まれた」との悟りから、徹底した利他を西田は説きました。そこでは最低限の所持品だけを持って20人ほどが集い共同生活を送っていました。便所掃除、農作業に喜びと感謝をもって従事し、麦飯に野菜といった質素な食事をありがたくいただき、夜は読経をして心安らかな時を過ごし、そして、畳一畳の寝床で深い眠りにつく。仕事の意義を見出せず、栄養過多による病が蔓延し、常に何かに追われ混乱している現代人をも救済しうるヒントがありそうです。コルベ神父 (アウシュビッツの聖者)、ヘレン・ケラー、鈴木清一(ダスキンの創業者)、尾崎放哉(自由律俳句の代表的作家)らも一燈園に関心を寄せて赴きました。倉田が入園したのは前年の12月(大正4年。倉田24歳)。

倉田は性愛を積極的に肯定する立場をとっていましたが、大正2年(22歳)、失恋し、また、結核になって第一高等学校の退学を余儀なくされます。それまでの考えが“健康を前提にしたもの”であることを思い知りました。そこで見出したのが一燈園。進む道を、体(経験)でつかもうとしたのです。

しかし、上の手紙が示すように、入園当初から迷いが生じます。西田が欲望を否定すればするほど、倉田は自分の中に深く組み込まれている欲望を強く感じるようになります。そして、7ヶ月足らずで一燈園を去りました。自身の「美的欲求」も受け入れ、また、「宗教的な清らかなる道」も断念することなく、その二律背反そのものを受け入れて、“弱い人間”として歩む覚悟がついたようです。倉田が一燈園退園直後から書き始めた戯曲『出家とその弟子』は、若い僧侶が遊女に恋する話です。当時の倉田の哲学的テーマが色濃く反映されています。

広津和郎

自身の欲望(ここでは主に性欲)をどう受け止めるかは、「永遠の問題」でしょうか。28歳の志賀直哉も日記に書いています。

健康が欲しい。 健康なからだは強い性慾を持つ事が出来るから。ミダラでない強い性慾を持ちたい。

志賀も理想に燃えて、18歳で内村鑑三(49歳)に入門、以後7年間内村の元に通いました。しかし、志賀には聖書の言葉でどうしても受け入れられないものがありました。『新約聖書』の「マタイによる福音書」第5章にある「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫かんいんをしたのである。もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい」との下りです。

「姦淫」とは正式な配偶者以外と関係をもつことで、『旧約聖書』の 「十戒 じっかい 」にも「姦淫するなかれ」とありますが、それをイエスは、心の領域にまで拡大し、実際に行動しなくとも、心で思っただけでもダメと言うのです。ということは、アイドルのミニスカートに萌えてもアウトでしょうか? AV女優のピンナップを部屋に貼るなんてもってのほかでしょうか? 女性も、夫以外の男性に萌えるとアウトでしょうか? 結婚するまでは完璧にプラトニックで、結婚が決まった“瞬間”に発情、なんてことが可能でしょうか? そもそも、「かわいい」「美しい」「惹かれる」「お近づきになりたい」「かっこいい〜」といった感情と、「やりたい」といった感情とに明確な線引きなどできるものでしょうか?

志賀は正直なので、上の聖句にひっかかりました。志賀倉田のように、最初は押さえがたい性欲を信仰によって「浄めよう」としますが、しょせん無理。苦しんだあげくに、上の聖句は「人間として不自然」と結論、明治41年、25歳のとき内村の元を去りました。

この頃志賀は、性欲と姦淫の問題に真っ向から取り組んだ 『濁った頭』 Amazon→という小説を書いています(明治44年28歳)。教会に通っていた青年が、大して好ましいとも思わない親戚の未亡人と関係を持ってしまい、生活をどんどん壊してゆき、しまいには彼女を殺害し、自らは発狂するという悲惨な話(青年の妄想なのかもしれない)です。縛りから脱する「脱出譚」に留まらず、自由・欲望に溺れる怖さも書き切りました。

内村の元を去った志賀は、金銭を介した性的交渉もありと考えるようになったようで、半自叙伝『暗夜行路』の主人公を遊郭にあがらせ、「女」の乳房をプルンプルンさせています。

・・・彼はしかし、女のふつくらとした重みのある乳房を柔かく握つてみて、 ひやうのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れてゐる感じだつた。軽く揺すると、気持のいい重さが掌に感ぜられる。それを何と云ひ現はしていいか分からなかつた。彼はただ、
「豊年だ! 豊年だ!」と云つた。
 さう云ひながら、彼は幾度となくそれを揺振つた。何か知れなかつた。がかくそれは彼の空虚を満たして れる、何かしら唯一の貴重な物、その象徴として彼には感ぜられるのであつた。(志賀直哉『暗夜行路』より)

賛否があるとは思いますが、自らの性欲を受け入れて、“暗夜”を一つ越えた明るさがあります。

他の作家は性欲にまつわることをどう書いてきたでしょうか。

かの『雪国』(川端康成)にも次のようなかなり際どい描写があります。

・・・島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会ひに行く女をなまなましく覚えてゐる、はつきり思ひ出さうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れてゐて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのやうだと、不思議に思ひながら、鼻につけて匂ひを嗅いでみたりしてゐたが・・・(川端康成『雪国』より)

妻も子もいる「島村」が「これから会ひに行く」のは芸者の駒子で、「この指だけが」「覚えてゐる」ということは、つまり“そういうこと”があったということでしょう。

しかし、こういった金銭を介した性交渉や不倫が認められる場合でも、ほとんどが男性に限られました。反対に女性には常に純潔が求められてきた(そりゃ、嫉妬もしますね。「嫉」も「妬」も女偏なのは、そういった差別の痕跡)。こういった男性中心の考え方・社会に、NOを言い続けたのが吉屋信子です。『女の階級Amazon→』『夫の貞操Amazon→』といった小説で鋭く問題提起しています。

金銭を介した性的交渉(お金を払って握手なども)がダメなのなら、過剰な性欲をどうすればいいでしょう。避妊、衛生、人権に留意して自由にやればいいでしょうか? いかなる場合もプラトニックに落とし込んでいくべきでしょうか? はたまた、ひたすらにオナニーでしょうか?

宮田昌明『西田天香 〜この心この身このくらし〜 (ミネルヴァ日本評伝選) 』 澁澤龍彦 『快楽主義の哲学 (文春文庫)』
宮田昌明『西田天香 〜この心この身このくらし〜 (ミネルヴァ日本評伝選) 』 澁澤龍彦『快楽主義の哲学 (文春文庫)』
フロイト『精神分析入門 (上巻) (新潮文庫) 』。翻訳:高橋義孝、下坂幸三。欲望とその抑圧によって生じる症状や、夢に反映される性的な願望など 本庄 豊『山本宣治 〜人が輝くとき〜』(学習の友社)。山本は性教育啓発家としてオナニーの有害性を否定した。治安維持法改悪に反対し、右翼に刺殺される
フロイ『精神分析入門 (上巻) (新潮文庫) 』。翻訳:高橋義孝、下坂幸三。欲望とその抑圧によって生じる症状や、夢に反映される性的な願望など 本庄 豊『山本宣治 〜人が輝くとき〜』(学習の友社)。山本は性教育啓発家としてオナニーの有害性を否定した。治安維持法改悪に反対し、右翼に刺殺される

■ 馬込文学マラソン:
倉田百三の『出家とその弟子』を読む→
志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→
吉屋信子の『花物語』を読む→

■ 参考文献:
●『倉田百三(増補版)』(鈴木範久 大明堂 昭和55年発行)P.82-93、P.196-197  ●『志賀直哉(新潮日本文学アルバム)』(昭和59年発行)P.26-27、P.105 ●『志賀直哉(上)(岩波新書)』(本多秋五 平成2年発行) P.7-29

※当ページの最終修正年月日
2024.5.4

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