与謝野鉄幹よさの・てっかん。明治6年京都の寺で生まれる。16歳で出家。寺が経営する女学校の教員になるが、生徒と問題を起こして退職。落合直文に入門後、短歌論『亡国の音』を発表。明治書院の編集長をへて、東京新詩社を創立。翌明治33年(27歳)創刊した「明星」が浪漫派の牙城になった。晶子と結婚後、妻の成功とは反対にスランプに陥る。森 鴎外の斡旋で慶大教授になった。昭和10年(62歳)死去。参考サイト:ウィキペディア/与謝野鉄幹→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/与謝野鉄幹(平成25年9月19日更新版)→ |