![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||
![]() |
|
![]() |
|||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||
![]() |
|
![]() |
|||||||||||||||||||||||||
![]() |
|
![]() |
長谷川 潔邸に集った面々 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『長谷川 潔の世界(上)渡仏前』(有隣堂)
大正7年2月3日(1918日。 当地の長谷川 潔邸(東京都大田区山王一丁目)に、若い芸術家15名が集いました(上の写真)。 邸内に稲荷社を建てるので集まってね(以下、「稲荷まつり」)、というのが名目だったようですが、そうそうたる顔ぶれです。この後、文化面で重要な仕事を残していく人たち。 興味深いことに、洋画家もいれば日本画家もいて、詩人も歌人も美術評論家も音楽評論家もロシア文学者も浮世絵研究家もいます。当時、異分野の芸術家たちが盛んに交流したようです。 日夏耿之介(27歳)と柳沢
上の写真でそれぞれがあっちこっちを見ているのが面白いです。集いつつも、一つの考えに簡単には
異分野の芸術家の交流が盛んだった当時をふりかえって、長谷川が次のように書いています。 ・・・当時私の居をかまえていた大森の山手は、画家、文士、詩人、歌人、音楽家などが騒然と起居往来する一個のパルナス的中心であった・・・ と。パルナス(Parnassus)とは、アポロとミューズの魂が宿るとされるギリシャ中部の山で、文人らが神聖視したところ。転じて、「文壇」や「芸術界」を指すようです。「我らが芸術界の急先鋒」との自負はあったのでしょう。 こういった異分野交流の結実なのでしょう、この大正7年前後に、異分野のコラボレーションが強く意識された作品が複数生まれています。 長谷川は文芸同人誌「聖杯」の表紙絵制作で版画家としてのキャリアをスタートさせています(大正2年21歳)。 ------------------------------------------------------
北原白秋(33歳)も「稲荷まつり」に参加していますが、10年前(明治41年)から明治43年まで「パンの会」という異分野の交流会を牽引していった経験が白秋にはあり、アドバイザーとして誰かが連れて来たのかもしれません。
------------------------------------------------------
「稲荷まつり」に参加した日本画家の小林古径と川端龍子は、当時の院展派の急先鋒といっていいでしょう。7ヶ月後の同年(大正7年)9月、和辻哲郎(29歳)が「東京日日新聞」で二人を取り上げています。旧態依然とした日本画壇にあって二人は異彩を放っていました。 ------------------------------------------------------
やはり「稲荷まつり」に参加している大田黒元雄(25歳)は、当地の自宅(東京都大田区山王一丁目)で2年間ほどサロンコンサート「ピアノの夕」を開催していましたが、それは前年の大正6年に終了、この頃は、評論誌「音楽と文学」を創刊。『音楽夜話』など音楽関係を中心に演劇関係、舞踏関係の本もすでに複数世に出していました。「稲荷まつり」のあった2ヶ月後の同年(大正7年)4月には広田ちづゑと結婚、その1~2ヶ月後の同年(大正7年)5月31日に来日したプロコフィエフと当地で親交しています。まだ25歳頃ですから、やっぱりすごいです。 ------------------------------------------------------
柳沢 健が写真に写っているので、彼が見出し、合同詩集も出した北村初雄の姿を探してみましたが、いません。北村は日夏や堀口とも関係があり、「稲荷まつり」の数日前白秋にも紹介されていました(大正7年1月13日)。年譜を見たら、柳沢が「文章世界」で北村を取り上げるのが、「稲荷まつり」があった1ヶ月ほど後で(大正7年3月)で、合同詩集が編まれるのが9ヶ月後くらい(大正7年11月)。まだ、会に参加するほどではなかったのでしょうか。会のあった翌日(大正7年2月4日)、柳沢はハガキを出し「稲荷まつり」の様子を北村に伝えています。 きのふの雨で空気が濡れて、けふはいい気持ではありませんか、一日の仕事がいま終りました、卓上を綺麗にして、このハガキを書いています。軟らかい夕空が、窓の上にあります。しずかになった局内。 ------------------------------------------------------ 「稲荷まつり」は芸術家たちの異分野交流という潮流の一つの頂点と言えますが、その10ヶ月後の同年(大正7年)12月、中心にいた長谷川が、第一次世界大戦が終わったのを機に、飛ぶようにフランスに立ってしまい(米国経由)、さてはて・・・
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ■ 参考サイト: ※当ページの最終修正年月日 |