小山内 薫おさない・かおる。明治14年広島生まれ。父親の同僚・森 鴎外(軍医繋がり)の知遇を得て、文学・演劇に進む。第一次「新思潮」の創刊メンバー。明治42年市川左団次と自由劇場を結成。脚本を重視しスター中心の演劇から脱皮を計る。大正9年、松竹映画に参画、俳優学校の校長を務めた。大正13年、新劇の拠点「築地小劇場」を創設。昭和3年(47歳)、死去する。参考サイト:ウィキペディア/小山内薫→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/小山内薫(平成26年12月24日更新版)→ |