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鎌倉へ(鎌倉にゆかりのある作家たち)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北鎌倉駅あたり。鎌倉を拠点にした作家は多い

染谷孝哉

昭和43年4月21日(1968年。 染谷孝哉(50歳)が、 「河童亭かっぱてい 」(現在の「きらぼし銀行 大森支店」(東京都大田区中央一丁目7-1 Map→)の駐車場辺りにあった泡盛屋。作家や文学愛好家が集った)の亭主・かのう・すすむ(57歳)と鎌倉散策に出かけています。かのうが日記に書いています。

染谷さんに案内されて鎌倉に行く。
建長、円覚、大仏などのいわゆる鎌倉の銀座通りのやうなにぎやかなところ はさけて鎌倉の裏通り、ひっそりとしたたたずまいの小さな寺々を歩く。・・・ (かのう・すすむ「新井宿日記」より)

JR京浜東北線「大森駅」を朝10時に出て、途中、京浜急行に乗り換えて「金沢八景駅」(横浜市金沢区瀬戸15-1 Map→)で下車。そこから鎌倉行きのバスで横浜と鎌倉の境の朝比奈峠を越え、鎌倉東端の 十二所 じゅうにそ (神奈川県鎌倉市十二所 Map→)で降りています。そこから、 光触寺こうそくじ明王院みょうおういん浄明寺じょうみょうじ→報国寺→杉本寺すぎもとでら と巡っています。帰路も往路と同じ順路だったか、「大森駅」に夕刻5時に帰着。一日でこんなに回れるのですね。

12年後の昭和55年、染谷(62歳)は『鎌倉 もうひとつのかお日本の古本屋→という本を出します。鎌倉にゆかりある文学について書かれた本で、その日二人が巡ったあたりのことも詳細に書いています。

・・・十二所でおりる。街道からわかれて右へ入る小路がある。そのつき当りに茅葺かやぶき屋根の家々に囲まれて 岩蔵山光触寺 がんぞうざん・こうそくじ がある。ここの本尊は頬焼阿弥陀と呼ばれていて、その由来は『紗石しゃせき 集』(無住一円が編纂した通俗的な仏教的説話集。弘安6年(1283年)に成立)にも記録されているという。なお、本尊の作者は運慶と伝えられている。・・・ (染谷孝哉『鎌倉 もうひとつの貌』より)

と名所の名所たるゆえんを紹介したあと、

・・・寺の前の道の奥に長谷川 如是閑 にょぜかん が、一九五四(昭和二九)年二月まで住んでいた。長谷川如是閑は大ジャーナリスト、いやジャーナリストであることにはちがいないが、それよりも前に、明治・大正・昭和の三代を生きてきた希有な思想家であった。
 長谷川如是閑は・・・(染谷孝哉『鎌倉 もうひとつの貌』より)

と、その近辺を拠点にした人物(主に作家)を取り上げて紹介。長谷川についてはこの後4ページさいています。鎌倉散策を楽しみながら、ゆかりある人物の生き様や考え方を知り、その人が生きた時代のことも知る。鎌倉という地を通して世界が広がります。

長谷川の他に、「金沢八景駅」と十二所の間にある「鎌倉霊園」(鎌倉市十二所512 Map→)に墓がある川端康成山本周五郎(同霊園には子母沢 寛堀口大学も眠っている)、十二所あたりに別荘があった秦 豊吉、報国寺に墓がある林 房雄も取り上げています。林は住んだのもこの近辺のようですが、その隣には川端康成も住んだことがあるとか。すごい作家密度です。『鎌倉 もうひとつの貌』の人名索引には374名もの名が並んでいます。

染谷は昭和46年に当地(東京都大田区)の文学案内書『大田文学地図』を出し、その9年後に『鎌倉 もうひとつの 貌 』を出しました。10年近く準備したのですね。

染谷の関心が当地から鎌倉に移ったのは自然のなりゆきです。当地にいた作家で、鎌倉に拠点を移した作家がけっこういるのです

高見順 吉屋信子 川端康成 小島政二郎

高見 順吉屋信子川端康成小島政二郎も当地から鎌倉に居を移しました(吉屋川端は他の場所を経由し)。文化都市「鎌倉」に住めるくらい財を蓄えた人もいたでしょうし、名声を得れば周囲がうるさくなり、東京から距離があり閑静な「鎌倉」を選んだ人もいるでしょう。高見と小島は、空襲を避けての疎開でしょう。居心地がいいので戦後も住んだのだと思います。

当地の作家のコミュニティー(馬込文士村)がそうであったように、人が人を呼んだ一面もあったことでしょう。

敗戦間近の昭和20年5月1日、上の4人に加え、小林秀雄(43歳)、久米正雄(53歳)、里見 弴(56歳)、中山義秀(44歳)、大佛次郎(47歳)ら鎌倉在住の作家らが蔵書を出し合って、若宮大路(現在「しょうび洋装店」(鎌倉市小町二丁目12-29 map→)がある辺り)で、貸本屋「鎌倉文庫」を始めます。戦争による出版事情の悪化で減った収入を補うためと、戦争で荒み切った人心に少しでも潤いを提供したいとの思いで、気軽に始めたようですが、 作家本人やその妻までもが店番に出て話題となり、大繁盛、同年(昭和20年)9月には出版社となり、翌昭和21年1月には株式会社化。同社から発行された文芸誌 「人間」からは三島由紀夫 (20歳)が出て、同社発行の『20世紀外国文学辞典』の編集には遠藤周作(22歳)が携わりました。同社発行の「婦人文庫」の初代編集長が吉屋信子(49歳)です。同誌は「女流文学者会」の母体となりました。しかし、著作との二足のワラジは作家にとって過酷で、長続きしませんでした。“祭り”は5年ほどで終焉(昭和24年に解散)。

鎌倉に言及したり、鎌倉を舞台にした作品なら数かぎりないでしょう。

永井路子の小説など、鎌倉を舞台にした歴史小説も多数。当地(東京都大田区)とゆかりが深い日蓮が頭角を現したのも鎌倉なので、川口松太郎の『日蓮』など日蓮が出てくる作品のほとんどに鎌倉が登場することでしょう。

神経衰弱になった夏目漱石(明治27年。27歳頃)が、鎌倉円覚寺(帰源院)に参禅、精神の安定を図りました。『門』Amazon→『夢十夜』といった作品にはその時の体験が生かされていることでしょう。帰源院には島崎藤村真船 豊も逗留しています。

村松友視さんの『鎌倉のおばさん』には、村松さん本人とご家族のことが書かれています。小説家とそれを巡る人たちの奇矯な生き様に驚かされます。

小津安二郎は自らも最晩年まで鎌倉に住みましたが、「晩春」(原作:広津和郎『父と娘』 Amazon→)は鎌倉が舞台の映画で、小津作品の中でも重要です。

近年では西岸良平さんのコミック「鎌倉ものがたり」が映画となり話題になりましたAmazon→。鎌倉というミステリアスな空間に住まうミステリー作家・一色正和とそこに嫁いだ亜紀子の物語。

三上 延 ( みかみ・えん ) さんの『ビブリア古書堂の事件手帖』Amazon→には、北鎌倉駅近くの古書店を舞台にした、古本にまつわる謎めいたお話が並んでいます。

『乙女の文学さんぽ 〜鎌倉・湘南編〜』(東京書籍 )。編:東京書籍書籍編集部 巌谷大四(いわや・だいし) 『かまくら文壇史 〜近代文学を極めた文士群像〜』(かまくら春秋社)
『乙女の文学さんぽ 〜鎌倉・湘南編〜』(東京書籍 )。編:東京書籍 書籍編集部 巌谷大四いわや・だいし 『かまくら文壇史 〜近代文学を極めた文士群像〜』(かまくら春秋社)
永井路子『炎環(新装版) (文春文庫)』。辺境の東国の武士が立ち上がる。その死に物狂いの情熱と野望。永井文学の原点。直木賞受賞作 「山の音」。原作:川端康成『山の音』(Amazon→)。監督:成瀬巳喜男。出演:原 節子、 山村 聰 ( やまむら・そう ) 、上原 謙ほか。舞台が鎌倉
永井路子『炎環(新装版) (文春文庫)』。辺境の東国の武士が立ち上がる。その死に物狂いの情熱と野望。永井文学の原点。直木賞受賞作 「山の音」。原作:川端康成『山の音』Amazon→。監督:成瀬巳喜男。出演:原 節子、 山村 聰 やまむら・そう 上原 謙ほか。舞台が鎌倉

■ 馬込文学マラソン:
染谷孝哉の『大田文学地図』を読む→
川端康成の『雪国』を読む→
山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
子母沢 寛の『勝 海舟』を読む→
高見 順の『死の淵より』を読む→
吉屋信子の『花物語』を読む→
小島政二郎の『眼中の人』を読む→
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
川口松太郎の『日蓮』を読む→
真船 豊の『鼬』を読む→
村松友視の『力道山がいた』を読む→
広津和郎の『昭和初年のインテリ作家』を読む→

■ 参考文献:
●「遺稿・新井宿日記」(かのう・すすむ)※「わが町あれこれ」(編集 : 城戸 昇)第15・16合併号 P.90 ●『大田文学地図 2(染谷孝哉遺稿)』(編集:城戸 昇 文学同人眼の会叢書)P.188-203 ●『鎌倉 もうひとつの貎』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和55年発行)P.9-12、P.115-116、P.139-158 ●『鎌倉の文学 小事典 〜文学を歩く〜』(編:伊藤玄二郎 かまくら春秋社 平成17年発行)P.44-46 ※清水 崑が描いた「鎌倉文庫」の外観のスケッチあり  ●『鎌倉文学散歩(カラーブックス)』(安宅夏夫 保育社 平成5年発行)P.74

※当ページの最終修正年月日
2024.4.21

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