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昭和10年11月1日(1935年。 橋本平八が、38歳で死去しました。橋本は佐藤朝山(玄々)に師事し院展で活躍した彫刻家で、北園克衛の実兄です。 北園は兄の橋本が死ぬ直前、久しぶりに兄の夢を見て、それが兄が死ぬ夢だったのだそうです。予知夢と言えばオカルトめいてきますが、意識しなかった情報が無意識に刻まれ、それが夢の中で初めて意識されて、浮かび上がり、驚かされることはままありそうです(そんなことくらいで「私は霊感が強い」とか言っちゃう人もいるかも)。夢を書き留めておくと、気づかなかったこと(ひょっとしたら気づかないよう自ら抑圧していること)を知るきっかけになるかもしれません。 室生犀星(39歳)が、見た夢を詩にしています。 ・・・昨夜夢を見、一詩を 昨夜 「澄江」は芥川龍之介の雅号です。芥川が昭和2年7月24日自死し、1年半ほどのち(昭和3年11月)、芥川と同じ東京田端にいた犀星は田端を去って当地(東京都大田区山王四丁目13 map→)に来ます。上の夢はその2ヶ月ほどのちに見たもの(昭和4年 1月16日付け日記に記載)。 「大森ホテル」は「木原山」にあり、その山(山というより丘)の麓に、犀星の新居はありました。松のザワザワとした響きが、亡き友を夢に招いたのでしょう。 懐かしいような、でもどこか寂しい夢。 「夢を見ようぜ!」とか言う時の「夢」は明るいものですが、実際に見る夢は、希望したのになされなかったこと(願望)や、恐れていることなどで主に構成されているというのが実感です(楽しい夢ばかり見る人っているのだろうか?)。 犀星の日記には、ほかにも、「蛇と地震の夢」、「犬に手を噛まれる夢」、「人を殺し拘引される夢」、「腹痛に悩む女の夢」、「お金を盗む夢」、「睾丸を抜き取られる夢」などなど。 片山広子の晩年のある日の夢に、生まれ育った東京麻布三河台の家とおぼしき家が出てきます。何らかの事情で閉門になったらしい旗本が住んでいた家で、その頃の住人らしき人たちが出てきます。 ・・・彼等も、彼等の不幸を持つてゐた。 昨年の春、私は不思議な夢を見て、偶然むかしの彼等の生活を覗いた氣がした。 別れの宴を思わせる淋しい夢だったようです。このような夢をなぜ見たのか片山にも分かりませんでした。 自分の死の前兆のようにも感じましたが、死はやってこなかった。 添田知道が空襲下で見た夢は、 着装のまま、疲れのあまりだらう、どうやら眠れた。しなびた乳房と 度重なる空襲。防空壕にも雨水が流れ込み、屎尿(大小便)の臭いがそこら中に漂いました。汲取りが数ヶ月もなく、人々は屎尿を自分で空き地に埋めたり、溝に流したり。臭いが夢にまで侵入してきたようです。これも、戦争の惨めな一側面。 三島由紀夫の『豊饒の海』は、第一巻「春の雪」の末尾にあるように「夢と転生の物語」。恋に破れ死にゆく20歳の清顕は、夢日記を友人の本多に託し、本多の手を取って不思議な言葉を遺します。 「今、夢を見て 18年がたち、38歳になった本多は、偶然、 最近(令和2年5月24日)、AI(人工知能)を使えば夢を動画に記録するのも夢でない、という記事を新聞で見ました。モワッとしているから夢は興味深いのであって、そんなことができるようになったら面白くないですね。夢を覗き見られるなんてこともきっと起こるでしょう。なんだか「夢のない話」のような。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |