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昭和10年11月1日(1935年。 橋本平八が、38歳で死去しました。橋本は佐藤玄々に師事し院展で活躍した彫刻家。北園克衛の実兄です。 北園は兄の橋本が死ぬ直前、久しぶりに兄の夢を見て、それが兄が死ぬ夢だったのだそうです。予知夢などと言うとオカルトめきますが、意識しなかった気づきや思いが無意識に刻まれ、それが夢の中で浮かび上がり、驚かされることはままありそうです。 室生犀星(39歳)は、見た夢を詩にしています。 昨夜 「澄江」は芥川龍之介のことです。芥川の死から1年半ほどのちに、犀星は上の詩を日記に記しました。犀星は芥川と同じ東京田端にいましたが2ヶ月ほど前に当地(東京都大田区山王四丁目13 Map→)に越して来ました。「大森ホテル」は「木原山」と呼ばれる丘陵にあり、犀星の新居はその麓にありました。松の響きが、亡き友を夢に招いたのでしょうか。 懐かしいようで、どこか寂しげな夢。 比喩としての「夢」は明るく前向きな感じなのに、なぜか、実際に見る夢は、熱望したのに実現しなかった悲しい思い、身の毛がよだつような怖い思い、胸の詰まるような辛い思いなど、どちらかといえば負の思いの断片や連想とから主に構成されているようです。単純に楽しい夢などはごく稀なのではないでしょうか? 犀星は見た夢を日記によく記しています。「蛇と地震の夢」、「犬に手を噛まれる夢」、「人を殺し 片山広子が晩年、生まれ育った家(東京麻布三河台にあった)と思しき家が出てくる夢を見ています。何らかの事情で閉門になったらしい旗本が住んでいた家で、その頃の住人らしき人たちが夢に出てきます。 ・・・夢の中に、
不幸を待っているかのような彼らの宴も舞も淋しげです。片山は、半年後、ふと、近年読んだ吉川英治の小説『 添田知道が空襲下で見た夢は、 着装のまま、疲れのあまりだらう、どうやら眠れた。しなびた乳房と 性的なイメージと糞尿のイメージ。度重なる空襲下では、防空壕にも雨水が流れ込み、屎尿(大小便)の臭いがそこら中に漂いました。汲取りが数ヶ月もなく、人々は屎尿を自分で空き地に埋めたり、溝に流したりしたのです。臭いが夢にまで侵入してきたようです。 人類は、長年にわたり、神話や様々な創作物で、「夢」を表してきました。「夢」は、不思議で、恐れ多く、そして魅惑的なものだったのでしょう。 世界最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」(縄文時代後期〜晩期)にも夢が出てきます。ギルガメシュ王の横暴を嘆く民の声を聞いた神が、ギルガメシュ王の競争相手エンキドゥを創造、荒野に住まわせます。離れ離れの両者でしたが、巫女の宣託や夢で互いの存在を知るのでした・・・ 「旧約聖書」(弥生時代頃から編纂)にも夢が出てきます。アブラハムの孫のヤコブが兄のエサウから命を狙われて、逃亡する途中に見た「ヤコブの夢」が有名です。天国まで延びる梯子を天使が上り下りしているという夢で、後世の画家がよく題材にしています(ホセ・デ・リベーラ「ヤコブの夢」(1639年)→ ウィリアム・ブレイク「ヤコブの夢」(1805年)→)。 長い物語が展開された後に、「これら全ては、夢の中の出来事でした」と締めくくる、いわゆる「夢オチ」の物語もたくさん作られてきました。 三島由紀夫の『豊饒の海』も夢の物語。恋に破れ死にゆく20歳の青年が友人に託したのが、「夢日記」でした。 伊丹映画「マルサの女 2」(Amazon→)では、冒頭と終わりの方で同じ悪夢が出てきます。巨大な崖が崩れ落ちるという夢です(築き上げたものが一瞬にして失われる恐怖の反映だろう)。ジャン・コクトーの映画「詩人の血」の本歌取りでしょうか。 「AIを使えば夢を動画にして記録できる」とか言う人がいるようですが、ちょっと「夢がない」ような?
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |