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年賀状(昭和22年1月1日、吉屋信子、徳富蘇峰からの年賀状を受ける)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川端康成は年賀状に「賀寿」と書いたそうだ。お互い、一年年を重ねることができ、めでたし、めでたし、といった感じでしょうか

 

吉屋信子

昭和22年1月1日(1947年。 吉屋信子(50歳)徳富蘇峰(83歳)からの封書の年賀状を受取っています。戦後、吉屋の本が復刊されるようになったのを祝すものだったようです。

一見結びつかない二人ですが、その付き合いは25年来のものでした。大正11年、当地の大森駅で電車を待っていた吉屋(26歳)に、蘇峰(59歳)が声をかけ、親交が始まります。

吉屋はその封書の年賀状を受取って、大森駅での楽しい出会いのことなども思い出され、じっとしていられず、それほど日を隔てないで熱海伊豆山map→の晩晴堂(蘇峰の住まい。昭和18年当地の山王草堂map→を去って伊豆に移った)を訪ねます。彼は敗戦後、戦前戦中の言論が問題視されてA級戦犯の容疑者になりました。公職を追放され、自ら貴族院勅撰議員を辞し、文化勲章も返上して、蟄居ちっきょ していたのです。そんな彼を避ける人も多かったでしょう、が、吉屋は反対の行動をとりました。

その時のことを吉屋は次のように書いています。

・・・蘇峰居は熱海駅から歩いて行ける距離で、海を見晴らす山沿いの元政治家K伯の別邸だった。
 玄関先から書籍の山と箱がぎっしり、座敷の畳廊下の両わきも書籍類で身をつぼめて通ると奥から「オウオウ」とうなるような声をあげて老蘇峰が現れた。綿入れのきものを着ぶくれたすそは八の字にひろがり、チャンチャンコのようなのを羽織り、銀髪はハサミも入れずほうけタンポポのように乱れ散って、その顔面は異様なたくましき老いを示し、おそろしい気さえした。傷ついた老獅子がチャンチャンコを羽織って森から出たようで、思わず私はたじろいだ。
 二間つづきの表座敷の一間は書籍が天井までいっぱい。広い方には大型ベッド、海に向かう縁側には大きなデスクと回転椅子、卓上は書籍散乱だった。
 「ワタクシはもう何を書いても活字にならず、出版もならんので、いやもう……」
 その言葉のもれる口もとに白い入歯がカチカチと鳴った。私は胸が詰まってとてもそらぞらしい慰め方なぞ出来るはずがなかった。だがこの八十四翁はいまは活字にもならぬ原稿「近世日本国民史」を毎日変わらぬ日課として口述筆記で続けるための筆記者の方が傍に居られた。
「五百年後にワタクシの説が世界の人すべてに理解されると信じておりますのでな」
 入歯がまたカチカチと鳴った……・・・(中略)・・・翁は書籍の山をかきまわして「これはぜひ読んでほしい、ワタクシの自信のある著作で」と旧著「杜甫とほ弥耳敦ミルトン」の大判の重い本のとびらに署名して手渡された。
 門を出てから振り返ると玄関先に秘書に肩を支えられながら、すそを八文字にひろげて突立った翁は“オウオウ”と言葉にならぬ声を発して見送っていられた。私は泣き出しそうになっていっさんに海辺の道へかけ降りた……(吉屋信子『私の見た人』より)

こんな再会のきっかけになるのなら、年賀状も捨てたもんじゃないです。

吉屋の没後、6千冊もの蔵書が鎌倉市に寄贈されました。鎌倉市の図書館をさがせば、蘇峰の署名入りの『杜甫と弥耳敦』が見つかるかもしれませんね。

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川端龍子

川端龍子は、毎日一枚ずつ、その人のことを思いながら、年賀状を書いていったそうです。龍子のことですから、彼らしい絵も添えて。なんと贅沢な年賀状でしょう。龍子記念館(東京都大田区中央四丁目2-1 map→)に展示されていました(常設ではないかもしれません)。

龍子蘇峰との関係も浅からぬものがあります。明治40年、龍子(22歳)蘇峰(47歳)が主宰する国民新聞社に入社、大正2年(龍子27歳)までの5〜6年間、挿絵や紙面デザインを担当しました。その後も親交が途切れず、昭和26年、龍子(65歳)蘇峰(88歳)の肖像画を発表しています。吉屋が熱海まで蘇峰に会いにいった4年後です。

徳富蘇峰

龍子が描いた肖像画発表の6年後の昭和32年元旦、蘇峰(93歳)は画の右上に言葉を認め贈っています。吉屋に宛てた封書の年賀状といい、この画賛といい、元旦に人に言葉を贈るのが蘇峰の習いだったんだろうと思います。この年齢において、後進のために、心のこもった言葉を贈ることのできる精神力はただものではないです。

読み取れない箇所もありますが、

堂龍子信手描者梅花香裡白頭閑客神采 奕々えきえき 浩気溌々非仙非僧非賢非愚95自風船特殊特殊骨相不可審賞不作解説留光後昆姑作宿題

といった文字が並んでいます。大意は、「龍子の描いたのは、梅の花の中の白髪の閑そうな客人。顔がテカテカしていてまことに元気そうだ。仙人のようでそうでなく、僧侶のようでそうでもない、賢くもなく、愚かでもない。95歳、自ずから風船のようだ。まことに特殊で、その人相から何かを読み取って解説するのは難しい。今後の宿題にしよう」といったところでしょうか。ユーモアを感じます。

龍子の描いた蘇峰像 蘇峰像に書かれた蘇峰による画賛
龍子の描いた蘇峰 蘇峰像に書かれた蘇峰による画賛

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北原白秋

ふだん面白いことを書く人も、年賀状は比較的穏当な形式的な言葉を選ぶ傾向にあるようですが、そんな中、北原白秋は、

お正月だそうなおめでとう

とか、

極々内緒で新年おめでとう

と遊んだようです。

 

吉屋信子『私の見た人』。蘇峰とのことにも一章もうけられている 中川越(えつ)『文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた』(東京新聞)
吉屋信子『私の見た人』。蘇峰とのことにも一章もうけられている 中川えつ 『文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた』(東京新聞)

■ 馬込文学マラソン:
川端康成の『雪国』を読む→
吉屋信子の 『花物語』 を読む→
北原白秋の『桐の花』を読む→

■ 参考文献:
・ 『私の見た人(朝日文庫)』(吉屋信子 昭和54年発行) P.20-25

・ 『文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた』
 (中川 えつ  東京新聞 平成28年発行)P.3-6、P.14-17

・ 『川端龍子(現代日本の美術13)』(集英社 昭和51年発行) P.120、P.135

■ 参考サイト:
ウィキペディア/徳富蘇峰(平成26年11月27日更新版)→

大田区立山王草堂記念館/徳富蘇峰 略年譜→

※当ページの最終修正年月日
2018.3.28

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