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「忠臣蔵」に異議あり(明治31年2月5日、尾崎士郎、愛知県吉良で生まれる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※「パブリックドメインの映画(根拠→)」のスチル写真を使用 出典:早稲田大学演劇博物館/イベント/無声期の映画館と音楽 ~日活関連楽譜資料「ヒラノ・コレクション」から考える~→ 原典:『(実録)忠臣蔵』(1926年公開の日活映画)※尾上松之助遺品保存会

尾崎士郎

明治31年2月5日(1898年。 尾﨑士郎が愛知県吉良きら 町(尾﨑が生まれた頃は横須賀村。昭和30年周辺村落が合併して吉良町になり、さらに平成23年西尾市に編入)で生まれました。 吉良は、「忠臣蔵」の悪役 吉良上野介きら・こうずけのすけ の所領だったところです。

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「忠臣蔵」は、「赤穂事件」を題材にした 浄瑠璃・歌舞伎・講談の総称です。

「赤穂事件」は、元禄14年3月14日(1701年)、赤穂藩主・浅野 内匠頭たくみのかみ が、江戸城の松の廊下で、吉良上野介に斬りかかったというもの。浅野は五代将軍綱吉の命により即日切腹させられ、浅野家は改易、赤穂城も幕府に明け渡されることとなりました。

なぜ浅野が吉良に恨みを持ったかは定かでないようですが、儀式を司る旗本の吉良が、朝廷からの遣いを接待する役に当たっていた浅野に人前で恥をかかせたからとの解釈があります(山本博文)。吉良がなぜ、浅野にそんな意地悪をしたのかにも、賄賂要求を拒否されたためとか、塩の生産で吉良藩が赤穂藩に遅れをとっていたためとか、いろいろ説があるようです。

浅野家が改易となったので元家臣は浪人になりました。その赤穂の浪人47人(「赤穂浪士」)が、吉良憎しで、翌元禄15年12月15日(1702年)、浅野の仇を取るために吉良邸に打入り、吉良を含めた15名を殺害した、というのが事件のあらまし。

「赤穂事件」を題材にした物語は、討ち入りがあった年の翌年の元禄16年(1703年)から演じられるようになって、寛永元年(1748年)に初演された『仮名手本忠臣蔵』はことに大ヒット、浄瑠璃・歌舞伎・講談の人気演目として定着し、今にいたります。

「忠臣蔵」にもいろいろなバージョンがあると思いますが、一般的には、吉良が悪役で、浅野・赤穂浪士が“いいもの”。物語の影響で、「吉良は悪い奴」と信じ切っている方も多いと思います。

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吉良で生まれた尾﨑士郎に話を戻すと、吉良の地では、多くの日本人とは違って、“吉良の殿様”(吉良上野介)に良い印象を持っている方が多いようです。

吉良は、吉良の地にあっては領民に対して慈悲深い名君と伝わっているようです。治水事業や新田開拓でも功績があったとか。次のような歌が残っています。

吉良の殿様よい殿様
赤いお馬の見廻りも
浪士にうたれてそれからは
仕様がないではないかいな

吉良の人々には、“よい殿様”をテロまがいで殺した「赤穂浪士」こそ「悪い奴」となるでしょうか。

明治の終わりくらいから吉良町(横須賀村)で作られた玩具。吉良上野介を象ったもの。吉良邸跡(東京都墨田区両国三丁目13-9 map→)の屋外展示より 吉良上野介像。吉良邸跡(東京都墨田区両国三丁目13-9 map→)の屋外展示より
左は明治の終わりくらいから吉良町(横須賀村)で作られた玩具。吉良上野介を象ったもの。右は吉良像。ともに吉良邸跡(東京都墨田区両国三丁目13-9 map→の屋外展示より

尾﨑士郎は、半自叙伝『人生劇場』の冒頭で、そういった吉良の人々の意識に触れています。

・・・吉良上野こうづけ の所領であった横須賀村一円で「忠臣蔵」が長いあいだ禁制になっていたことは天下周知の事実である。これは一面、吉良上野が彼の所領においては仁徳の高い政治家であったということの反証にもなるが同時に他の一面から言えば一世をあげて嘲罵の的となった主君の不人気が彼の所領の人民を四面楚歌におとしいれたこともたしかであろう。
 まったく「あいつは『吉良』だ!」ということになると旅に出てさえ肩身の狭い思いをしなければならなかった時代があるのだ。しかし、そうなれば、こっちの方にも(忠臣蔵なんて高々芝居じゃねえか)、──という気持がわいてくる。(うそかほんとかわかるものか、あんなものを一々真にうけてさわいでいるろくでなしどもから難癖をつけられているうちのおとのさまの方がお気の毒だ)──
 三州横須賀は肩をそびやかしたのである。相手にしないならしなくてもいい。そのかわり日本中の芝居小屋で「忠臣蔵」がどんなに繁昌しようとも、この村だけへは一足だって踏み入れたら承知しねえぞ!・・・(尾﨑士郎『人生劇場(青春篇)』より)

吉良の人たちまで差別するとは愚かしい限りですが、今でもある国の為政者の“悪行あくぎょう ”を理由にその国の全ての民まで差別しけなす人がけっこういるようなので、日本ってあまり進歩してないのかもしれません。

そんなこともあって、「忠臣蔵」が、横須賀村(吉良)で演じられることは決してなかったそうですが、明治になって、昔のことだからと演じられたところ、芝居の途中で大石内蔵助(赤穂浪人のリーダー)を演じる役者が胃ケイレンになって動けなくなったり、芝居の最中火事になって芝居小屋が焼け落ちたりと災難が続きます。吉良の祟りに違いないと恐れ、慰霊祭が催され、芝居小屋の前にお堂がたち、浅野を悪役にした舞台まで作られた、と『人生劇場』にあります。

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「赤穂事件」はいろいろな見方が可能で、「忠臣蔵=真実」でないのも確かでしょうが、「吉良上野介が“よい殿様”」も、どうだか分かりません。今も一向に廃れることのない「地元(選挙地盤)や都合のいいお仲間にだけいい顔をする政治家の類」に過ぎなかったかもしれませんから。

「吉良は悪者」といった“日本の常識”とは違った意識のある村に生まれ育ったことが、尾﨑の反骨精神に多少は影響したのでしょうか。

「忠臣蔵」を楽しみつつも、実のところ「赤穂事件」はどんなだったかも、ぼちぼち学んでいきましょうかね。

西山松之助 『図説 忠臣蔵』(河出書房新社) 真山青果 『元禄忠臣蔵〈上〉 (岩波文庫)』
西山松之助 『図説 忠臣蔵』(河出書房新社) 真山青果 『元禄忠臣蔵〈上〉 (岩波文庫)』
野口武彦 『忠臣蔵 ~赤穂事件・史実の肉声~ (ちくま学芸文庫)』 森村誠一 『真説忠臣蔵 (講談社文庫) 』
野口武彦 『忠臣蔵 ~赤穂事件・史実の肉声~ (ちくま学芸文庫)』 森村誠一 『真説 忠臣蔵 (講談社文庫) 』
『七つの忠臣蔵 (新潮文庫)』。吉川英治、池波正太郎、柴田錬三郎、海音寺潮五郎、佐江衆一、菊池寛、山本一力による忠臣蔵 井上ひさし 『不忠臣蔵 (集英社文庫)』。打入りに行かなかった赤穂浪人19人の言い訳。吉川英治文学賞受賞作
『七つの忠臣蔵 (新潮文庫)』。吉川英治、池波正太郎、柴田錬三郎、海音寺潮五郎、佐江衆一、菊池 寛、山本一力による忠臣蔵 井上ひさし 『不忠臣蔵 (集英社文庫)』。打入りに行かなかった赤穂浪人19人の言い訳。吉川英治文学賞受賞作
『元禄忠臣藏(前・後篇)(松竹DVDコレクション)』。監督:溝口健二 『珍説忠臣蔵 [DVD]』。監督:斎藤寅次郎。伴 淳三郎、エンタツ、アチャコ、金語楼、ロッパ(古川緑波)など当時の代表的コメディアンが大集合。田端義夫も
『元禄忠臣藏(前・後篇)(松竹DVDコレクション)』。監督:溝口健二 『珍説忠臣蔵 [DVD]』。監督:斎藤寅次郎。伴 淳三郎、エンタツ、アチャコ、金語楼、ロッパ(古川緑波)など当時の代表的コメディアンが大集合。田端義夫も

■ 馬込文学マラソン:
尾﨑士郎の 『空想部落』 を読む→

■ 参考文献:
●『評伝 尾﨑士郎』(都築久義 ブラザー出版 昭和46年発行)P.25-30 ●『人生劇場 青春篇(上)(新潮文庫)』(尾﨑士郎 昭和22年初版発行 昭和49年42刷参照)P.7-10 ●『忠臣蔵99の謎(PHP文庫)』(立石 優 平成10年発行)P.20-42 ●「忠臣蔵 ゆかりの地 港区(「港区歴史フォーラム」の案内)」(山本博文、岩下尚史 ※平成29年12月22日「東京新聞」)

■ 参考サイト:
・ ウィキペディア/●吉良義央(平成27年1月6日更新版)→ ●横須賀村(平成25年4月16日更新版)→ ●吉良町(平成26年10月12日更新版)→ ●赤穂事件(平成31年1月29日更新版)→ ●赤穂藩(平成31年1月18日更新版)→改易(平成31年1月15日更新版)→ ●忠臣蔵(平成29年12月30日更新版)→ ●仮名手本忠臣蔵(平成26年8月6日更新版)→ ●高家(平成30年1月18日更新版)→

西尾市役所(公式サイト)→
猫の足あと/墨田区の寺院/墨田区の観光名所/吉良邸跡→

※当ページの最終修正年月日
2019.2.5

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