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『北園克衛詩集』を読む(詩人からの問題集)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北園克衛の詩は正直分からないものが多い。 意味の押しつけがないので不快ではないが、だからといって、いい詩だ、と言い切るのもためらわれる。 面白みが分からないのだ。

たとえば、 「黒の装置」 という詩。

黄いろい三角

黒い
真昼であつた

青い四角

黒い
孤独であつた

赤い円筒

黒い
距離であつた

黒い四角

黄いろい
朝食であつた

黒い円筒

赤い
散歩であつた

黒い三角

青い
太陽であつた

黒いそれら

黒い
それら

(「黒の装置」 ※詩集 『煙の直線』 所収)

なんだこりゃ? である(笑)。が、踏ん張って解剖してみよう。まず一連目の、

黄いろい三角

黒い
真昼であつた

最初の 「黄いろい三角」 は分かる。 頭の中に、大きな黄色い三角を一つ描いてみた。

しかし、次の 「黒い真昼」。 “暗い真昼”なら分かるが、“黒い真昼”である。 ふつう“黒い”という形容詞は真昼にはつかない。 しかし、これは詩なので、文法上のことはいったんおいておいて、一つ真昼の景色を思い浮かべ、それを刷毛をひくように“黒”くしてみた。 これもよし。

ところが、「黄いろい三角」 は 「黒い真昼」 であった、という。 二つはイコールというのだ。 難しい。 あるいは、「黒い真昼」 というのはラベルのようなものか。 「黄いろい三角」 を描いた絵画に 「黒い真昼」 というタイトルをつけてみた。 それでも、ピンとこない。

作戦を変えてみよう。

個々の連から離れて詩全体を俯瞰すると、 いくつか規則がある。

全部で7連からなるが、最後の一連を除いて6連までが同じパターンだ。 幾何図形(三角、四角、円筒)と、一色(黒、黄、青、赤)を持つ形なきもの(真昼、孤独、距離、朝食、散歩、太陽)で成り立つ。 しかも、詩句の改行の仕方が同じで、6連とも三行目は助詞の「は」 の一文字。 それが目印になって、前後の詩句を、他の連と比べやすい。 詩のフォルム上の統一感も生まれる。

さらには、最初の三連は幾何図形が 「黒い」 形なきものとなり、続く三連は 「黒い」 幾何図形が原色の形なきものになる、という一貫性がある。 どの連にも 「黒い」 があり、「黒」 が基本なのだ。 最後の7連目は、

黒いそれら

黒い
それら

となり、黒で完結する。 そういえば、タイトルからして 「黒の装置」だ。 “黒の装置”は形なきものを黒で塗りつぶし、原色の形あるものに黒い名を与える。 また、黒に収斂されたものが、原色の世界に復元するイメージも浮かんだ。 これは、北園流 「色即是空 空即是色」 なのか?

北園は 「意味によつて詩を作らない」 で 「詩によつて意味を形成する」という。「詩から意味を形成する」のは、我々鑑賞者なのか。彼の詩集は興味深い問題集のようだ。


『北園克衛詩集』 について

『北園克衛詩集 (現代詩文庫) 』

思潮社の現代詩文庫の一冊。 昭和56年発行された。 24冊ある北園克衛の詩集から代表的なものが抜粋されている。 上で取り上げた「黒の装置」も収められている。


北園克衛について

北園克衛 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典 : ウィキペディア/北園克衛(平成29年4月4日更新版)→
北園克衛 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典 : ウィキペディア/北園克衛(平成29年4月4日更新版)→

実験的な詩を作る
明治35年10月29日(1902年)、三重県伊勢市生まれ。本名橋本健吉。 新聞記者を志して上京、中央大学経済学部に学ぶ。麻布の下宿が俳人・原石 鼎の離れだったことから彼の主宰する俳句誌「鹿火屋かびやsite→に短詩を発表。関東大震災を機に奈良へ転居、彫刻家の兄・橋本平八と同居して仏像研究に熱中した。再び上京し、大正末から昭和にかけて日本に伝播した未来派・表現派・ダダイズム・シュールリアリズムの影響を受け、前衛詩を作るようになる。 バウハウスの造形理念の影響も受けた。 「GE・GJMGJGAM・PRRR・GJMGEM(ゲエ・ギムギガム・プルル・ギムゲム)」 「MAVO」 といった同人誌・文芸誌に詩や小説を発表。 “言葉が形作る視覚効果”を利用した実験的な作品を作る。 昭和4年、初の詩集 『白のアルバム』 を上梓。

他分野と詩のリンク
昭和10年(33歳)、日本歯科大学(現・東京都千代田区)の図書館に就職、以後没年まで勤める(後に図書館長)。同年、同大学創設者・中原市五郎の長男・中原實(後に同大学学長。前衛絵画の作家で、二科会の理事も務めた)の援助を受けて同人誌「VOUバウ」 を創刊、没年まで刊行。 エッセイあり、写真あり、詩ありの総合芸術誌で、“新鮮なエスプリ”を重視。以後、主な発表の場とする。

昭和25年(48歳)から写真作品を発表。 写真によって“詩”を表すプラスティック・ポエム(造形詩)を提案した。 代表詩の一つ 「単調な空間」 を含む詩集 『煙の直線』(昭和34年)を上梓、海外の作家から注目された。 美術・イラスト・写真・エディトリアルデザイン・グラフィックデザイン・短編小説・8ミリ映画なども全て“詩”の媒体として捕らえ利用、それぞれの分野で今も高く評価されている。武満徹など影響を受けた人も多い。

昭和53年6月6日、肺癌によって満75歳で死去する。 墓所は祥雲寺(東京都渋谷区広尾)( )。

『白昼のスカイスクレエパア(北園克衛モダン小説集)』(幻戯書房) 藤富保男『評伝 北園克衛』(沖積舎)
『白昼のスカイスクレエパア(北園克衛モダン小説集)』(幻戯書房) 藤富保男『評伝 北園克衛』(沖積舎)

北園克衛と馬込文学圏

昭和9年(33歳)から昭和30年代まで20年間以上、当地(東京都大田区南馬込五丁目10-3 map→)に住む。 同住所は、「VOU」 の発行所にもなっていた。近所に住む城 昌幸、岩佐東一郎、石田一郎、山本周五郎と親交する。

作家別馬込文学圏地図 「北園克衛」→


参考文献

●『カバンの中の月夜 ~北園克衛の造形詩〜』(監修:金澤一志 国書刊行会 平成14年発行)P.129-133 ●「pen」2006.4.15号(No.175)特集「雑誌のデザイン」(阪急コミュニケーションズ)P.70-71 ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年発行)P.94-95 ●『山本周五郎 馬込時代』(木村久邇典 福武書店 昭和58年発行)P.216 ●『大森区詳細図』(東京日々新聞 昭和10年発行) ●『黄いろい楕円』(北園克衛 宝文館 昭和28年発行)P.124 ●『山本周五郎(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年初版発行 昭和61年2刷参照)P.43


参考サイト

ウィキペディア/北園克衛(平成25年12月5日更新版)→  ●PORTAGIOIE (ポルタジョイエ)/橋本平八と北園克衛展→ ●コトバンク/中原 実→


※当ページの最終修正年月日
2020.6.6

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