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小説家の性(村松梢風が息子を亡くしたときに書いた小説)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池部良

昭和14年9月17日(1939年。 村松梢風(50歳)の長男・村松友吾ゆうご (27歳)が上海で亡くなりました。友吾は梢風のすすめで、妻を伴って上海にわたり「上海毎日新聞」の記者になりましたが、腸チフスにかかってしまったのです。

この時すでに、友吾の妻のお腹には赤ちゃんがいて、7ヶ月後の翌昭和15年4月10日、日本で出産。この赤ちゃんが、のちの小説家の村松友視です。友視には生まれたときから父がいませんでした。

若くして伴侶を失った友視の母の将来を思い、梢風は彼女を他家に嫁がせ、友視を戸籍上の自分の子とし、静岡県清水にいる妻(友視の祖母)を母代わりとします。友視は母も死んだと教わり、高校生の頃までそう思っていたそうです。

友吾(梢風の長男、友視の父)の死を巡る興味深い話があります。

梢風は軍の飛行機で上海に急行し(梢風は軍部とつながりがあった)、上海で息子(友吾)の葬儀をすませ、遺骨を抱いて船で帰って来ました。その頃、梢風は、「朝日新聞」で『新水滸伝』を連載しており、悲しみに暮れながらも、船中で、締切の迫った原稿を書いたそうです。

後年、作家になった友視(梢風の孫、友吾の息子)は、原稿の締め切り日や家族の言葉を手がかりに、その船中で梢風が書いた部分を調べたそうです。すると、以下の下りであることが分かります。

・・・ある場所へ来ると、一人の老爺ろうやが地面に転がりながらワアワア泣いてゐた。
「モシモシ」
我馬造がまぞうが呼んだが、老爺は一向耳にも入らぬのか地面へ顔を押し付けて号泣してゐる。
「モシモシ、親爺おやじさん、どうかしたんですか」
と肩へ手を掛けて言ふと老爺はようやく少し顔を挙げたが、直ぐにまた同じ様に泣き始めた。六十ばかりの百姓体ひゃくしょうていの老爺だ。
「そんなに泣いてゐるところを見ると、誰かお前さんの知つた人でも死んだんだろうが、一体誰が死んだんですか」
せがれが死にました」
「え、息子さんが死んだのかい、それあお気の毒だなあ。どこで亡くなつたんだね」
じい さんは泣きながら黙つて前の方を指さした。・・・(村松梢風『新水滸伝』より)

梢風は自分と同じ境遇の男(息子を失った男)を、小説に登場させていたのです。

しかし、その後を読んで友視は唖然とします。

・・・ これアほんの軽少だが仏様へ線香でも上げておんなさい」
「飛んでもない、見ず知らずの他人様からそんな物を戴きましては」
「なアに、構はないといふのに」
無理に一両の金を与へると老爺は泪を流して礼を言つてトボトボとどこかへ立ち去つた。
むこうの焼跡で 古金ふるかねか何か拾つてゐた男が、笑いながら、
阿兄にい さんやられたネ、あの老爺は香典 かた りで今朝からあゝやつてゐて、お前さんで三人目だよ」・・・(村松梢風『新水滸伝』より)

なんと、その男は、作り話をして人の同情を買ってなにがしかを恵んでもらうことを 生業なりわい にしているのでした。実際に息子を亡くした作家(梢風)が、その悲しみの中で、「息子を亡くした」と嘘をつく人を小説に登場させていたのです。

このことを知った友視は「相当スゴい」と感じたそうです。深い悲しみの中にあっても、自身を客観視できる冷徹さ、その悲しみをも商品(小説)に面白く生かしきる仕事人としての情熱や大胆さ、それらを祖父・梢風に見出し、以後、梢風を尊敬するようになるようです。

小島政二郎

梢風の鎌倉の別宅(「源 頼朝の墓」Map→がある山を背にして建つ大邸宅)近くに住んでいた小島政二郎も、別の意味で、表現者の さが を鋭く体現した人でした。二人は慶應大学時代からの親友です。

小島は、自分のこともそうですが、他の作家のことも、細部に至るまで赤裸々に書いたので、対象になった作家やその関係者から恐れられました。何を書かれるかわからないので、「小島よりも先に死ぬわけにはいかない」と ささや かれたそうです。

梢風についても、梢風が死去した年(昭和36年)から『女のさいころ』を「週刊新潮」に連載。幾多の女性との関係を通して梢風という人間を浮き彫りにしました。梢風の別宅に住む愛人・絹枝についても小島は同作で切り込んでいます。彼女のことを、虚言癖きょげんへき(病的な嘘つき)であるとほぼ言い切りました。「彼女の真実」に迫るために書き落とせない描写だったとしても、彼女を傷つけたことも事実です。では、書くべきではないか? というと、一概にそうとも言えず、難しいです(「表現の自由」の問題でもある)。

これらのことを、絹江のことをよく知る(子どもの頃から梢風と絹江の住む鎌倉の家に遊びに行っていた)友視(梢風の孫)が、『鎌倉のおばさん』という本に詳しく書いています。「鎌倉のおばさん」とは絹江ことです。

『鎌倉のおばさん』には、3人の小説家(村松梢風小島政二郎、村松友視)のそれぞれ異なる「 さが 」が描かれているともいえます。

さが 」には「(自分ではどうしようもない)生まれつきの性質」という意味があります。性質は性質でも、後天的なものではなく、「どうしようもない」「生まれつき」といったニュアンスが含まれます。

ならば、表現者の「 さが 」という場合も、ある さが ゆえに、 必然的に●●●● 表現者になった人に限って使った方がいいのかもしれません。そして、そういった表現者こそが「本物の表現者」なのかも。彼らには必然があるので、表現せざるを得ないので、全く売れなくても、表現することで不利益が生じても(変人扱いされても)、きっと表現し続けることでしょう。

梢風小島も村松友視も売れた(売れている)作家なので、「 さが 」に突き動かされて作家をやったのか(やっているのか)、やっていけたから作家をやったのか(やっているのか)、定かでありません(おそらくその両方なのでしょう)。一生作品を発表をせず、掃除夫をしながら、膨大な作品を残したヘンリー・ダーガーのような人は、間違いなく「本物」でしょう。

「シャコンヌ」という映画があります。自分の音楽を貫いて楽団を退き、地下鉄構内で演奏していますが、しまいにはヴァイオリンまで失う演奏家の話です。演奏家は不幸だったでしょうか? 地下鉄構内の演奏で心救われる人もいました。彼の中では、バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ2番の最終楽章「シャコンヌ」が朗々と鳴り響いているのでした。参考サイト(バイオリン、痛みを克服する/【映画】無伴奏「シャコンヌ」)→

村松友視 『鎌倉のおばさん (新潮文庫)』。泉 鏡花賞受賞作 勝目 梓『小説家 (講談社文庫)』
村松友視 『鎌倉のおばさん (新潮文庫)』 勝目 梓『小説家 (講談社文庫)』
進士素丸(しんじ・すまる) 『文豪どうかしてる逸話集』(KADOKAWA) 「ライ麦畑の反逆児 〜ひとりぼっちのサリンジャー〜」。監督:ダニー・ストロング、出演:ニコラス・ホルト他
進士素丸しんじ・すまる 『文豪どうかしてる逸話集』(KADOKAWA) 「ライ麦畑の反逆児 〜ひとりぼっちのサリンジャー〜」。監督:ダニー・ストロング、出演:ニコラス・ホルト他

■ 馬込文学マラソン:
村松友視の『力道山がいた』を読む→
小島政二郎の『眼中の人』を読む→

■ 参考文献:
●『鎌倉のおばさん(新潮文庫)』(村松友視 平成12年発行)P.5、P.57-P.63、P.67-68、P.83-88、P.151-160 ●『男装の麗人』(村松友視 恒文社 平成14年発行)P.41-44 ●『新水滸伝』(村松梢風 朝日新聞社 昭和15年発行)P.213-216 ●『鎌倉 もうひとつのかお 』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和55年発行)P.177-178

※当ページの最終修正年月日
2023.9.17

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