|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
|
昭和14年9月17日(1939年。
村松梢風(50歳)の長男・村松 この時、友吾の妻のお腹にはすでに赤ちゃんがいて、7ヶ月後に日本で出産。この赤ちゃんが、のちの小説家・村松友視です。そんなわけで、友視には生まれたときから父がいませんでした。 若くして伴侶を失った友視の母の将来を思い、梢風は彼女を他家に嫁がせ、友視を戸籍上の自分の子とし、静岡県清水にいる妻の元に送ります。友視は母も死んだと教わり、高校生の頃までそう信じていました。 友吾(梢風の長男)の死を巡る興味深い話があります。 梢風は軍の飛行機で上海に急行し(梢風は軍部とつながりがあった)、上海で息子(友吾)の葬儀をすませ、遺骨を抱いて船で帰って来ました。その頃、梢風は、「朝日新聞」で『新水滸伝』を連載しており、悲しみに暮れながらも、船中で、締切の迫った原稿を書いたそうです。 後年、作家になった友視(梢風の孫)は、原稿の締め切り日や家族の言葉を手がかりに、「その船中で梢風が書いた部分」を調べます。すると、以下の下りであることが分かります。 ・・・ある場所へ来ると、一人の 梢風は自分と同じ境遇の男(息子を失った男)を、小説に登場させていたのです。 しかし、その後を読んで友視は唖然とします。 ・・・ これアほんの軽少だが仏様へ線香でも上げてお なんと、その男は、作り話をして人の同情を買ってなにがしかを恵んでもらうことを
このことを知った友視は「相当スゴい」と感じたそうです。深い悲しみの中にあっても、自身を客観視できる冷徹さ、その悲しみをも商品(小説)に面白く生かしきる仕事人としての情熱や大胆さ、それらを祖父・梢風に見出し、以後、梢風を尊敬するようになるようです。 梢風の鎌倉の別宅近くに住んだ小島政二郎も、別の意味で、表現者の 小島は、他の作家のことを細部に至るまで赤裸々に書いてしまうので、まわりの作家から恐れられました。何を書かれるかわからないので、「小島よりも先に死ぬわけにはいかない」と 梢風についても、梢風が死去した年(昭和36年)から『女のさいころ』を連載、幾多の女性との関係を通して梢風という人間を浮き彫りにしました。梢風の別宅に住む愛人・絹枝についても小島は同作で切り込みます。彼女に そして、さらには、これらのことを、絹江のことをよく知る(子どもの頃から梢風と絹江の住む鎌倉の家に遊びに行っていた)友視(梢風の孫)が、『鎌倉のおばさん』(Amazon→)という本にまた赤裸々に書いてしまっています。「鎌倉のおばさん」とは絹江ことです。『鎌倉のおばさん』には、3人の小説家(村松梢風、小島政二郎、村松友視)のそれぞれ異なる「 「本物の表現者」は表現せざるを得ないものを持つので、全く評価されないでも、全く売れなくても、表現することでたとえ不利益が生じても、変人扱いされても、牢屋に入れられても、きっと表現することでしょう。 梢風も小島も村松友視も売れた(売れている)作家なので、「 イスラエル大使館に向かって「STOP GENOCIDE!」と叫ぶラーメン屋のお兄さんも、ギャラリーに作品を並べて表現者然としている人や、目をギラギラさせて「化けの皮を剥がしにいこうぜ」と叫ぶだけ(?)の人よりもきっと「本物」。●参考ツイート→ 「シャコンヌ」という映画があります。自分の音楽を貫いて楽団を退き、地下鉄構内で演奏していますが、しまいにはヴァイオリンまで失う演奏家の話です。演奏家は不幸だったでしょうか? 楽器はなくとも、彼の心の中では、バッハの「シャコンヌ」(無伴奏ヴァイオリンパルティータ2番の最終楽章 YouTube(演:庄司紗矢香)→)が朗々と鳴り響いているのでした。●参考サイト→ 表現は無償が前提ですが、でも、1つ望まれるとしたら、 May your song always be sung でしょうか。「彼の歌」を歌うのがたとえ世界で1人であっても、彼はそれに人生を
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |