|
|||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
昭和3年11月26日(1928年。 の室生犀星(39歳)の日記に、
・・・夕飯に萩原を
とあります。文中の「萩原」は萩原朔太郎(42歳)です。2週間ほど前(11月10日)、東京田端から当地(東京都大田区山王四丁目4-13 Map→)に越してきた犀星は、当地でも流行し始めたダンスの洗礼をさっそく受けたのでした。
上の日記の数行が小説(『青い猿』(昭和7年発行)(NDL→))になると、次のようになります。「松平」が犀星で、「織本」が朔太郎、「
・・・松平は踊ることが出来ないしそんな気にもならなかつたから、何度もかえろうとしたが、織本は皆が間もなく集まるから踊るのを見物していたっていいのだよと言い、細君の劉子は英語をしゃべるような声で、松平さんみたいにくすぶっていたって何にもならないわよ、今夜いらっしゃったからには踊らせないで帰さないから、そのつもりでいらっしゃいと言って、松平の手を取って無理に引立てようとした。・・・(中略)・・・「でも僕には踊る気がないんだから駄目さ。」・・・(中略)・・・劉子は夫の織本にわざと笑ってみせたが、織本は
「では少し……」
「ほら、おいやではないんでしょう。」
劉子はあたくしのお腰に右の手をかけるのよとか、あたくしが足を引いたらあなたの足を前に出すのよとか、大胆にあなたの好きなやうに進んでいらっしゃいとか・・・・(室生犀星『青い猿』より)
この後、芥川龍之介と思しき「秋川」が訪ねてきて、場がしらけます。有名作家にマジに見つめられて皆萎縮してしまうのでした。自殺する昭和2年芥川が暇乞いに萩原家を訪れるとダンス会が開かれていたというので、犀星はその時のことを小説に織り交ぜたのでしょう。
![]() |
![]() |
| 『青い猿』の挿絵より。踊る人たちを凝視するは芥川? 絵は恩地孝四郎 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 | ダンスする犀星(魚眠洞)。絵:須山計一 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 ※出典:『萩原朔太郎(新潮日本文学アルバム)』 |
ダンスは全国的ブームでしたが、当地の作家が踊るようになるのは、衣巻省三が当地(東京都大田区南馬込四丁目31-6 Map→)に住むようになってからでしょうか。衣巻は東京目黒のアパート「
「みんなでダンスをしよう」と言い出したのは、宇野千代です。 宇野主導の“最初のダンス会” は、宇野と尾﨑士郎の家(東京都大田区南馬込四丁目28-11 Map→)で開かれました。川端康成の秀子夫人も参加したので、川端夫妻が当地に来る昭和3年5月以降のこと(犀星の初ダンスの半年ほど前か)。会場を衣巻の家の光子夫人の10畳のアトリエに移し、朔太郎の家でのダンス会も合流、盛大になりました。朔太郎の家では畳の上でのダンスでしたが、衣巻の家はダンスしやすい板敷だったのでしょう。
衣巻家でのダンス会に足しげく通ったのは、朔太郎の妻の稲子と朔太郎の妹の愛子(後に佐藤惣之助、三好達治の妻となる)で、佐藤(37歳)、広津和郎(36歳)、志賀直哉(45歳)も参加したようです。朔太郎にいわせると、妻が違う男性とダンスするのを見るのは“適度な嫉妬心”が喚起され夫婦生活の良い刺激になるとのこと。尾崎士郎と梶井基次郎の「馬込の決闘」も、ダンスパーティー中の衣巻邸が舞台でした(昭和元年の暮)。
当地でダンスが盛んだったのは、朔太郎が当地に来た大正15年から、朔太郎夫妻がダンスが原因で不和になる(「夫婦仲の刺激」で収まらなかった)昭和3年までの3年間ほど。
![]() |
![]() |
ダンスといえば、萩原葉子と国枝史郎を挙げなくてはなりません。
萩原葉子は、子どもの頃、両親(朔太郎と稲子)がダンスに熱中したことで辛い思いをしたはずです。昭和4年、稲子(29歳)は、朔太郎(43歳)と葉子(9歳)と妹の
中年から始めたので、おさらい会では、若い女の子たちに囲まれ、相当浮いたようです。葉子が舞台に上がると、娘の演技を見に来た若いお母さんたちの間にかすかな嘲笑が起こったようです。親不孝を自認していた息子の萩原
葉子は、昭和50年(54歳)にはフラメンコのレッスンを本場のスペインで受け、昭和55年(60歳)にはカルメン役で舞台に立ち、昭和57年(61歳)には
国枝史郎は、当地(東京都大田区)住んでいた昭和11(49歳)、ダンス教師の資格を取り、翌昭和12年には日本橋
![]() |
![]() |
| 永井良和『社交ダンスと日本人』(晶文社) | 萩原葉子『ダンスで越えた私の人生』(海竜社) |
![]() |
![]() |
| ジョージ朝倉「ダンス・ダンス・ダンスール」(小学館)。「男らしくあらねば」と生きてきた潤平だったが・・・ | 「Shall we ダンス?」。監督・脚本:周防正行。出演:役所広司、草刈民代、原 日出子、竹中直人ほか。日本アカデミー賞を独占 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 室生犀星の『黒髪の書』を読む→
・ 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
・ 宇野千代の『色ざんげ』を読む→
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 三好達治の『測量船』を読む→
・ 志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
・ 稲垣足穂の『一千一秒物語』を読む→
・ 萩原葉子の『天上の花』を読む→
・ 国枝史郎の『神州纐纈城』を読む→
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
■ 参考文献:
●「馬込文士村(7-8)」(谷口英久)※「産経新聞」(平成3年1月15日、1月18日)に掲載 ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年発行)P.48-49 ●『昭和初年のインテリ作家』(広津和郎 改造社 昭和9年発行)P.248 ●『父・萩原朔太郎(中公文庫)』(萩原葉子 昭和54年初版発行 昭和61年発行7版参照)P.105-108 ●『馬込文学村二十年』(今井達夫 鵠沼を語る会 平成24年発行)P.18 ●『萩原葉子(作家の自伝78)』(日本図書センター 平成10年発行)P.268-272 ●『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』(萩原朔美 新潮社 平成20年発行)P.124-130 ●『馬込文学地図』(近藤富枝 講談社 昭和51年発行)P.72 ●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.57
※当ページの最終修正年月日
2024.11.26