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ペンネームあれこれ(明治38年7月9日、堺利彦、ペンネームをやめると宣言)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堺 利彦 徳冨蘆花

明治38年7月9日(1905年。 堺 利彦(33歳)が、ペンネームをやめる宣言をしています。小説家として目指す境地を表したのか 「堺 枯川(さかい・こせん)」(びの心?)と名のったものの、 ちまた でもペンネームばやりで、軍人も大臣も金持ちもキザにペンネームをつけるのを見て、ほとほと嫌になったようです。また、ペンネームも一種の匿名とくめい。匿名で人を批判するのは卑劣と思ったようです。共感した徳富 蘆花ろか (36歳)も、この頃から本名の健次郎にしています。

ペンネーム(変名)にはどんなのがあるでしょう。当地(東京都大田区)にゆかりある作家を中心にみてみましょう。

子母沢寛 室生犀星 室生犀星 三島由紀夫

場所をペンネームにしたのが子母沢 寛しもざわ・かん 。大正12年(31歳)から昭和11年(44歳)までの約13年間住んだ当地(東京都大田区)の字(あざ)の名「子母沢」(「子母沢児童公園」(東京都大田区中央四丁目28-14 map→)に名を留める)をペンネームにしました。小説家ユニット「大森兄弟」は当地(東京都大田区大森 map→)出身なので、漫画「釣りキチ三平」の作者・矢口高雄は最寄りの駅が東急多摩川線の「 矢口渡やぐちのわたし 駅」(東京都大田区多摩川一丁目20-10 map→)でそうしたようです(梶原一騎の発案)。石川県金沢の 犀川 さいがわ の西に住んだ室生犀星(「西」を当時流行の「星」の字にした)もそのパターン。犀川の東側に住んだ漢詩人・国府犀東こくぶ・さいとうにならったとのこと。大佛おさらぎ次郎は、鎌倉の大仏だいぶつ の近くに住んだから。尾崎紅葉は東京芝にあった料亭「紅葉館」(本因坊秀哉の引退碁が打ち始められた場所)から取ったとのこと。相当気に入っていたのでしょうね。人名ではありませんが、ビスビールは恵比寿えびす(東京都渋谷区恵比寿 map→)でできたビールではなく、ヱビスビールを作っていた場所が恵比寿になったのですね!? 景色をペンネームにしたのが三島由紀夫。伊豆三島とそこから見える富士山の雪(→由紀)からつけたとか。

北原白秋

文字を分かち合ったのが、北原白秋。同人仲間皆で「白」がつくペンネームにしようと決め、あとはくじ引き。白秋はたまたま「秋」を引いたまでで、白雨、白蝶、白葉という同人もいたそうです。」句壇の三羽烏は、土田石、矢島山、遠藤々子。

里見 弴 片山広子 獅子文六 二葉亭四迷
獅子文六

遊び心があるのは里見 弴さとみ・とん。電話帳をめくって「とん」と指したら「里見」だったからだと。兄貴(有島武郎)に比べずいぶん“適当”ですね(笑)。片山広子は電車で前に座ったかわいい女の子の雨傘に書かれた「松村みね子」をそのままペンネーム(翻訳の仕事をするときの)にしました。 獅子文六しし・ぶんろくは、四×四し・し=十六から。二葉亭四迷ふたばてい・しめい は、小説家になりたいと父親に告げたとき言われた「くたばってしまえ」からとの俗説がありますが、本当は不甲斐無い自分に対して言っているようです。

山本周五郎 秦豊吉
城昌幸 城昌幸 南川潤

尊敬する人・心惹かれる人の名をそのまま取ったのが山本周五郎。 働いていた質屋の主人の名をそのままペンネームにしています秦 豊吉( 丸木砂土まるき・さどはマルキ・ド・サド、左門さもん(城 昌幸)はアルベール・サマン、江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポーから借用。南川 潤は小学校の先輩・谷崎潤一郎から「潤」をとっています。

国枝史郎

ペンネームをやたらたくさん持ったのが国枝史郎。 生まれ故郷の茅野ちの (長野県茅野市 map→)にちなんで 「宮川茅野雄」といったり、鎌倉在住の兄・三郎にちなんで 「鎌倉参朗」といったり、妻の市川すゑにちなんで 「市川末緒」といったり、住んだ名古屋市西区菊井町にちなんで「西井菊次郎」といったり、その他にも、柳内白来、硝子庄之介、奈良うねめ、神戸卓三・・・と名のりました。複数の出版社から本を出し、それぞれの編集者の気を損ねないためでしょうか? 自分の作品なのに 「○○○作 国枝史郎訳」と手の込んだこともしています。

つけた名でヒットする人も寂れる人もいるかもしれません。シンガーソングライターの「もんたよしのり」さんは本名の門田かどた ではあまり売れなかったのに、門田を「もんた」と読むとたちまち売れるようになったとか。「タモリ」 も本名の森田では今ほど親しまれなかったかも(森田をひっくりかえして田森タモリ)。松田聖子さんも本名の蒲池法子かまち・のりこでは今ほどは憧れの対象になっていなかったかもしれませんね(学者になっていたかも?)。

国木田独歩の「独歩」は恐らく彼の心構えでしょうし、 麻雀好きの阿佐田哲也あさだ・てつやは 「朝だ、徹夜」 といった日常スケッチ。 北海道から東京まで歩いたときの経験をペンネームにしたのが幸田露伴つゆともに寝る(野宿)、です。 中国の詩からとった夏目漱石(石で口を すす ぐ)、故事からとった樋口一葉あし一葉ひとはに乗って揚子江ようすこうを渡った達磨大師だるま・だいし。達磨大師→お足がない→御銭おあしがない→あたしゃ貧乏ですよ)。正岡子規しきは、血を吐くまで鳴くと言われる子規(ホトトギスのこと)をペンネームにしています。 結核を患った彼の決意でしょう。

当地にあった松竹蒲田撮影所にちなんだ映画「蒲田行進曲」の原作者・つかこうへいは、在日韓国人2世です。 「いつか公平」にという願いを込めたペンネームのようです。遠藤周作が屋号を狐狸庵こりあん としたのは差別を受けてきた在日の人たちとの連帯を示すためでしょう。関東大震災後、在日朝鮮人と間違えられて暴行を受けた千田是也は、怒りと悲しみを込め、また真実を伝えるべく、 千田是也 せんだ・これや 千駄ヶ谷 せんだがや のコーリア)と名のります。

ネット上で匿名(ペンネーム)で発言することの是非が議論されることがあります。ツイッターなどで、匿名をいいことに、小銭でももらっているのか、“馬鹿”なのか、少数者や弱者を叩く(いじめる)人たちが群らがるのを見ると、やはりどうなのかと思ってしまいます。

「大森」いえば、山川 均山川は当地(東京都大田区大森あたり)に住んでいました。戦前は民主主義者や平和主義者は当局から弾圧されたので(山川も6度は投獄された。安倍政権とそれを支えた自公維とその支持者たちは「こんな人たち」をそんな風にできた頃に憧れているのかな?)、どうしてもペンネームで身を隠す必要があったのです。

紀田順一郎 『ペンネームの由来事典』(東京堂出版) 佐川 章『作家のペンネーム辞典』(創拓社)
紀田順一郎『ペンネームの由来事典』(東京堂出版) 佐川 章『作家のペンネーム辞典』(創拓社)
毎日新聞取材班『SNS暴力 〜なぜ人は匿名の刃をふるうのか〜』(毎日新聞出版)。令和2年発行 ドキュメンタリー「FAKE」。監督:森 達也。出演:佐村河内 守。ゴーストライターがいなければ業界が成り立たないといった肯定論、自己弁護もあるようだが、「名前」で視聴者や読者を欺いていることには違いない?
毎日新聞取材班『SNS暴力 〜なぜ人は匿名の刃をふるうのか〜』(毎日新聞出版)。令和2年発行 ドキュメンタリー「FAKE」。監督:森 達也。出演:佐村河内 守。ゴーストライターがいなければ業界が成り立たないといった肯定論、自己弁護もあるようだが、「名前」で視聴者や読者を欺いていることには違いない?

■ 馬込文学マラソン:
子母沢 寛の『勝海舟』を読む→
室生犀星の『黒髪の書』を読む→
北原白秋の『桐の花』を読む→
山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
片山広子の『翡翠』を読む→
城 昌幸の『怪奇製造人』を読む→
南川 潤の『風俗十日』を読む→
国枝史郎の『神州纐纈城』を読む→

■ 参考文献:
● 『パンとペン』(社会主義者・堺 利彦と「売文社」の闘い)(黒岩比佐子 講談社 平成22年発行)P.25、P.57-60、P.142-143、P.421 ●『評伝 室生犀星』(船登芳雄 三弥井書店 平成9年発行) P.77-78  ●『箱根の文学散歩』(箱根文学研究会 かなしん出版 昭和63年発行)P.30-35 ●『正岡子規(新潮日本文学アルバム) 』(昭和61年初版発行 昭和61年2刷参照)P.45

■ 参考サイト:
●ウィキペディア/・二葉亭四迷(令和4年5月10日更新版)→

※当ページの最終修正年月日
2022.7.9

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