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城昌幸『怪奇製造人』を読む(最後の一頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この『怪奇製造人』 という本には、城 昌幸の、不思議で、奇妙で、ちょっと恐い短編ミステリーが28編収められている。

江戸川乱歩のことを 「人生の怪奇を宝石のように拾い歩く詩人」 と言った。 はもともとは詩人なのだ。 詩人が書くミステリーはどんなだろう?

表題作の 『怪奇製造人』 という短編を読んでみた。

「私」が、夕暮れ時、古風な古本屋で豪華な装丁の一冊の日記帳を見つけるところから始まる。大枚をはたいてそれを入手した 「私」 は、夜更けを待って、頁をめくる。

そこには、奇妙な夢のことが書かれているのだった。

2月11日の日記。奇妙な夢を見たとある。寝しなに飲んだ珈琲に入れたクリームが腐っていたため、嫌な夢を見たのかな? と考える。

翌12日の日記。 また同じ嫌な夢を見たとある。 どうやらクリームのせいではないようだ。 夢の内容も詳しく記されている。

・・・先ず最初私は廊下への扉が、鍵を掛けて置いたのに、ごくかすかながらそうと開いてゆくのを感じた。感じたのである。見たのでも知ったのでもない。これが夢の様に思える所だ。 扉がやっと人一人這入れる程開かれると、青白いりん のような光線が部屋の中へ糸のように流れ込んで、それが私の寝台に注がれる。

恐怖の輪郭がはっきりしないからなお更怖い。悪夢なのに耽美的に表現されている。

そして、その微かな光の中から、覆面をした片手の男。音もなく現れ、枕元に立つて顔を覗き込まれているようなのだ。ようやく恐怖の実体が現れた。

翌13日の日記。 三たび同じ夢を見たと記される。 「私」はその男が自分を殺しにきたのだと思う。 しかし、自分を殺すのなら、3度訪れる必要があるだろうか? 一晩で充分だ。 だから、これは夢に違いないと必死で思い込もうとする。

でも、夢であると完全に信じることもできない。 やけに現実のようだからだ。 その曖昧さが恐怖を増幅させる。また同じ夢を見るようなら、引っ越ししようと考える。

そして、日記は、いよいよ最後の頁となる。不思議なことに、その頁だけは今までと明らかに違う筆跡だ。 誰が書いたのか? そして、そこに書かれた内容とは?


『怪奇製造人』 について

城 昌幸の 『怪奇製造人』

城 昌幸のミステリー集。 昭和26年、岩谷書店から発行。 平成5年、国書刊行会からも発行された。

表題作の 『怪奇製造人』 の初出は、「新青年」 の大正14年9月号(21歳)。のミステリーでは最も初期のもの。


城 昌幸について

城昌幸
城 昌幸

2つの顔
明治37年6月10日(1904年)、東京神田の駿河台で生まれる。 父親は理学師で、母親は幕臣の家の出。 京華中学を中退。 集団生活を嫌い、雑誌を耽読、詩作にふける。

日夏耿之助西条八十堀口大学らの知遇を得て、フランスの象徴派の詩人アルベール・サマンから おん を借りて、 城 左門 じょう・さもん と名のる。 江戸の文学やケルト幻想文学からの影響を受けて、高踏的な詩を作った。 大正13年(20歳)、同人誌 「東邦芸術」(後に「 奢灞都 さばと 」 と改題)を発行。 岩佐東一郎らと同人誌 「ドノゴ・トンカ」 も興こす。 岩佐とは後に 「文芸汎論」も創刊。

怪奇小説も手がけ、大正14年(21歳)、江戸川乱歩などが活躍する文芸誌「新青年」に原稿を送付したところ、熱烈に受け入れられ、「生涯の針路が定められた」(城 昌幸「思い出あれこれ」)。『シャンプオオル氏事件の顛末』(大正14年。21歳)、 『ジャマイカ氏の実験』(昭和3年。23歳)、 『人花』(昭和10年。31歳) などを書く。

昭和5年(26歳)、第一詩集 『近世無頼』 を上梓。詩人としての顔と、ミステリー作家としての顔を持った。

捕物帳作家へ
戦中、文化統制がなされる中、何百編にも及ぶ 『若さま侍捕物手帖』を書き始め、 野村胡堂の 『銭形平次』 、 佐々木味津三の 『右門捕物帳』、 岡本綺堂の 『半七捕物帳』 と並んで四大捕物帖の一つに数えられる。詩では、 『終の栖 (すみか)』 『月光菩薩』 などを私家版で作る。 この頃から、仏教的措辞を取り入れるようになった。

社長といった別の顔
敗戦後の昭和21年(42歳)、 「ゆうとぴあ(後に 「詩学」 と改題)」を創刊。 また、詩と探偵小説の雑誌 「宝石」の編集長になり、後に宝石社の社長となる。 「宝石」からは、山田風太郎高木彬光らが出た。

昭和51年11月27日(1976年。72歳)、胃ガンにより死去( )。

城昌幸 『随筆 えぴきゅりあん』 城 昌幸『若さま侍 〜時代小説英雄列伝〜 (中公文庫)』
城 昌幸『随筆 えぴきゅりあん』 城 昌幸『若さま侍 〜時代小説英雄列伝〜 (中公文庫)』

城 昌幸と馬込文学圏

昭和6~7年(27~28歳)頃、臼田坂附近(東京都大田区南馬込四丁目。臼田甚五郎の家の正面辺り)に住み、近所の山本周五郎北園克衛、石田一郎、秋山青磁らと親交した。戦後、が主宰したミステリー雑誌「宝石」に北園の詩が掲載されるのは、この関係からか。

昭和31年(52歳)、 『若さま侍捕物手帖』 の印税で中馬込に家を造る。 ガラスは一切使わず、天井や襖には有名な画家に絵を描かせ、贅を尽くした。そこを城は其蜩庵と呼ぶ。 「妻あり子なし、安住して酒を愛」 す。

「宝石」の発行元の岩谷書店の社長・岩谷 満とを引き合わせたのは岩佐東一郎だった。

城の死後、4,750冊もの蔵書は自宅近くの馬込図書館に寄贈された。同館2階の馬込文士村資料室には、城の屋号の 「其蜩庵」の扁額が立ててある。「其蜩」は 「その日暮らし(其=その、蜩=ひぐらし)」と読める。其蜩庵そのものは、長野県に移築されている?
の死後、4,750冊もの蔵書は自宅近くの馬込図書館に寄贈された。同館2階の馬込文士村資料室には、の屋号の 「其蜩庵」の扁額が立ててある。「其蜩」は 「その日暮らし(其=その、蜩=ひぐらし)」と読める。其蜩庵そのものは、長野県に移築されている?

参考文献

・「月光詩人の彷徨」(長山靖生)
 ※ 『怪奇製造人』 (国書刊行会 平成5年)の解説 P.281-290

・ 『日本怪奇小説傑作集 2』
  (編集:紀田順一郎、東 雅夫 東京創元社 平成17年発行)
  ※「解説」(東 雅夫)P.485-489

・ 『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』
 (大田区立郷土博物館編・発行  平成8年発行) P.44

・ 『馬込文芸の会 十年の歩み』
 (発行者:大沢富三郎 平成6年3月18日)

・ 『大田文学地図』
 (染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年) p.90

・ 『馬込文士村の作家たち』
 (野村 裕 美和タイプ印刷 昭和58年) P.239-242

・ 『山本周五郎(新潮日本文学アルバム)』
 (昭和61年初版発行 昭和61年2刷参照) P.43


参考サイト

青空文庫/図書カード 『右門捕物帖』 →

ウィキペディア/城 昌幸(平成30年8月10日更新版)→

大田区図書館/城 昌幸記念文庫/所蔵一覧→

5分物語 ~朗読ユニット グラス・マーケッツ blog~/朗読+京都 『あけくれ』 →

※当ページの最終修正年月日
2018.12.20

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