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貧しくある意味(昭和51年11月27日、城昌幸、死去する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城昌幸

昭和51年11月27日(1976年。 城 昌幸(72歳)が死去し、4,750冊もの蔵書や屋号「 其蜩庵 きちょうあん 」 の 扁額 へんがく などが、近くの馬込図書館(東京都大田区中馬込二丁目26-10 map→)に寄贈されました。

馬込図書館の「其蜩庵」の扁額
馬込図書館の「其蜩庵」の扁額

「其蜩庵」をそのまま読むと 「きちょうあん」 ですが、 「その日暮らし」 とも読めます。「其=その」、「蜩=ひぐらし」です。『若さま侍捕物手帖』が人気で300編を越え、何度も映画化・ドラマ化され、はこのシリーズで相当儲けたようです。当地にあったの家はぜいを尽くしたものでした。そういった金に困らない生活にあっても、昔の苦労や受けた恩、心細かった「その日暮らし」 の心を忘れないよう、はこの扁額を掲げたのではないでしょうか。

勝海舟

後に功成り名遂げる勝 海舟ですが、若い頃までの「その日暮らし」ぶりは尋常でありません。 海舟の父・小吉こきちは旗本でしたが 無役 むやく で、刀剣を売買していました。非常に貧しかったようです。海舟は15歳で家督をつぎ、剣術の出稽古で生計を立てますが、危険視されていた蘭学を学んでいたため仕事を落とすことも多かったようです。22歳で結婚し親元を離れて江戸赤坂に住みますが、相変わらず貧しく、

・・・一両二分出して日陰町で買った一筋の帯を、三年の間、妻に締めさせたこともあつたよ。この頃は、おれは寒中でも稽古着と袴ばかりで、寒いなどとは決して言はなかつたよ。米もむろん小買ひさ。・・・(勝 海舟『氷川清話』より)

正月の餅が買えないことを知った妻の実家が、餅を取りにこいと言ってきてもらいに行きますが、帰り道、「女房の実家のあわれみを受けるようでは大丈夫自立するあたわず」と思い直して、両国橋(東京都中央区 ・ 墨田区間 map→)からふろしき包みごと川に投げ捨てたというエピソードが残っています。家の畳は破れたのが3枚だけ。食事も一日一回。蚊の飛ぶ夏も蚊帳かや がなく、寒い冬も掛け布団がなく、米を炊く薪に事欠いて天井や縁側の板を外して代用したり・・・。

そんな極貧の中でも海舟はチャレンジャーでした。23歳の頃、蘭学研究に必要な和蘭辞書を一冊借りて書き写したという武勇譚が残っています。こういった切迫した状況下で身につけた知識や根性は、“一生もん”かもしれません。

他にも「貧しさ」には利点があります。金とか名声とか権力とかがあると、それを目当てに寄って来る人がいるのでしょうが、貧しくあればそういった“クズ”と無縁でいられます。

本も買えなかった海舟は、本屋の店先でむさぼるように立ち読みしていたようです。すると、本屋の主人は、たしなめるでなく、むしろその真剣な姿に感心し、函館の 渋田利右衛門 しぶた・りうえもん という本好きの豪商を紹介してくれます。渋田は海舟に読書代として200両という大金をぽんと渡し、また、自分が死んだあとに頼りにするようにと心ある2、3の人を紹介してくれたそうです。海舟はおそろしく貧しい身なりをしていたことでしょう。本屋にしても渋田にしても、そんなことで人を判断する人ではなかったのです。時代に一石を投じ得た人の影には、必ずやそういった熱心なサポーターがいたのではないでしょうか。

貧しさは、弱者としての自覚を促します。人は皆、老いるし、死ぬし、結局は弱いものだし、それを早くから自覚することはきっといいことなのでしょう(傲慢にならないだけでもいい)。

飢えてみな親しや 野分のわき遠くより (西東三鬼)

涙とともにパンを食べた者でなければ、
人生の味はわからない(ゲーテ)

元号「令和」の選定に携わった万葉集研究家の中西 進さんは、万葉集研究のため東大大学院に進学したばかりの頃(23歳)、当地の「大森第四小学校」(東京都大田区大森南三丁目18-26 map→)に間借りした定時制高校の教師をしていました。生徒たちは昼間は工場や海苔養殖場で働き、夜、疲れ切った体を教室まで運んできたといいます。それでも必死に学ぼうとする生徒たちに接することで、中西さんは自らの「立ち位置」を つか んだとのこと。

人間がどれくらい弱者であることに気付くか、それが私は原点だと思う。弱さに気が付けば謙虚になり、謙虚さがやさしさになる。(中西 進)

貧しさから生まれる“価値”もあります。オー・ヘンリーの『賢者の贈りもの』Amazon→にあるように、限られた中からするからプレゼントに「深い思い」がこもります。大金持ちは100万本のバラを贈っても、100カラットのダイヤを贈っても「深い思い」を伝ええないかもしれません。仏教もキリスト教も、乏しい中からの切実なプレゼント(献金)の尊さを、「貧者の一灯」「やもめの 賽銭さいせん 」というエピソードで説いています。

裕福な家をあとにして出家した釈迦や、財産の多くを放棄したトルストイ有島武郎なども、「貧しくあることの意味」を考えたことでしょう。原稿料を前借りして使い切ってから書いた山本周五郎は、「貧困」を作り出す名人ですね。求道者が物乞い(托鉢たくはつ)するのも、 無一物 むいちもつ になって、裸で、真理(仏・神・イデア・自然・宇宙)と向き合うためなのでしょう。

当地(東京都大田区下丸子)出身の思想家・内田 たつる さんが、「貧困」「格差」について次のように書いています。

・・・「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか。・・・(内田 樹『こんな日本でよかったね』より)

「金のものさし」しかない時、「格差」や「貧困」は耐え難いものになりそうです。違うものさしが持てれば、金がなくても「金持ち」でありうるし、「金のものさし」しか持てなければ金がいくらあっても未来永劫「貧乏人」であろうと内田さんは語ります。

「貧困の可視化」とかいって口の に上ることが多くなった「貧困」ですが、就労がどうの、賃金がどうの、貯蓄がどうの、消費がどうのといった「(物質的)貧困」に限られ、就労の質、消費の質、価値観、生き方といったところまではなかなか話が行かないようです。「レジャーランドに家族で行けない」のが貧困なのではなく、家族の団欒の在り方で「レジャーランドとかに行くといったことしか思いつかない」といった「(精神的)貧困」の方がより根源的だったりします。人を指差して「貧乏くさい」といった言葉を吐く人の「(精神的)貧困」などは痛ましいものがあります。

ただし、「お金より大切なことがある」という考え方を悪用して、人々に金を吐き出させ、それを収奪するやからもいるのでご注意を。

萩一晶 『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)』 奥山忠信 『貧困と格差 〜ピケティとマルクスの対話〜』(社会評論社)
萩 一晶はぎ・かずあき 『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ (朝日新書)』 奥山忠信 『貧困と格差 〜ピケティとマルクスの対話〜』(社会評論社)
森 茉莉『贅沢貧乏 (講談社文芸文庫)』 橋本 治 『貧乏は正しい! (小学館文庫) 』
茉莉まり贅沢ぜいたく 貧乏 (講談社文芸文庫)』 橋本 治『貧乏は正しい! (小学館文庫) 』

■ 馬込文学マラソン:
子母沢 寛の『勝 海舟』を読む→
山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→

■ 参考文献:
●『現代視点 勝 海舟』(旺文社 昭和58年発行)P.25-29、P.71- 74 ● 『氷川清話(講談社学術文庫)』(勝 海舟 平成12年初版発行 平成27年40刷参照)P.24-30 ●『海舟座談(岩波文庫)』(昭和58年初版発行 平成7年27刷参照)P.97 ●『こんな日本でよかったね(文春文庫)』(内田 樹 平成21年発行)P.112-118 ●『一神教と国家 ~イスラーム、キリスト教、ユダヤ教~(集英社新書)』(内田 樹、中田 考 平成26年)P.100-103 ●「「原点」となった夜学での1年(一首のものがたり) 〜電燈の毀れてあれば一と処 暗きを避けて生徒らは席とる(中西 進)」(加古陽治)※「東京新聞(夕刊)」令和4年1月24日掲載

※当ページの最終修正年月日
2023.2.16

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