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昭和22年3月26日(1947年。 「黒猫亭事件」が急転回しました。横溝正史(44歳)の小説『黒猫亭事件』(Amazon→)においてのことです。 「黒猫亭事件」とは、同年(昭和22年)、東京郊外のG町で起きた事件で、発見された屍体は「顔なし」でした。体型から女性と分かっても、腐乱してもはやどういった顔か判別できない状態だったのです。 カフェ「黒猫亭」には、マスターとその妻、住み込みの女中と通いの女給2人がいました。マスターとその妻はすでに店を人に譲っていません。捜査が進む中で、「顔なし死体」の女性は、マスターの妻で、殺害したのはマスターとその情婦だろうとの線が有力になって、全国の警察に手配され、また、3月26日の夕刊でも大きく報道されました。 そこで、名探偵・金田一耕助が登場です。金田一は、警察の捜査が全くの的外れであることを直感、独自に捜査を開始して、大どんでん返しの結論へと導きます。 この小説『黒猫軒事件』には、小説中の著者(「Y」として登場。小説『黒猫軒事件』の実際の筆者・横溝正史が反映されているが同一ではない)がどうして金田一が主人公の小説を書くことになったかとか、金田一と当地(東京都大田区)との関わりとかも書かれています。 金田一は、すでに「本陣殺人事件」や「獄門島」での殺人事件を解決して名を轟かせていました。『黒猫軒事件』の話者(Y)は、最初、村人から聞いた話を元に『本陣殺人事件』(Amazon→)を書きます。その後、金田一が岡山で療養中のYを訪ね(横溝正史も岡山に疎開していた)、2人は意気投合、『獄門島』(Amazon→)は金田一の許可を得て書いたとしています。そして、『黒猫軒事件』は、「顔のない死体」についても書きたいという希望を持っていたYに、金田一が材料を提供して書かれます。 当地との関わりですが、それがなんと、名探偵・金田一耕助は当地(東京都大田区)に住んでいたのです! ・・・それから間もなくかれがやって来たのは、大森の山手にある松月というかなり豪勢な割烹旅館だった。戦後、ふつうの住宅はなかなか建たないけれど、こういう種類の家はどんどん建つ。松月というこの家は、風間がお得意さきを饗応するために自分で建てたもので、二号だか、三号だかにやらせている。
・・・(中略)・・・廊下づたいに奥のはなれにやって来ると、 風間俊六は、金田一が東北の中学校(宮沢賢治と同じ盛岡中)に通っていた時の同窓で(かつて岩手県に金田一村があった。現・二戸市。金田一温泉 Map→)、東京に出て来て一緒に神田で下宿していましたが、その後、金田一は米国へゆき徴兵もされて2人の交流は途絶えていました。日本は敗戦、金田一は復員し、私立探偵家業を再開します。瀬戸内海の事件(『獄門島』の事件)を済ませての帰路の汽車の中で風間と再開、その後は、上記の「松月」に居候することになります(昭和22年金田一34歳。金田一は大正2年生まれ)。風間は土建業を営み羽振りがよく、金田一のパトロンとなったのです。その後、金田一は昭和32年(44歳)に世田谷の緑ヶ丘の高級アパートに越すまでの10年間、当地の「松月」にいました。ということは、横溝の名作『悪魔が来りて笛を吹く』(Amazon→)、『犬神家の一族』(Amazon→)、『八つ墓村』(Amazon→)、『悪魔の手毬唄』(Amazon→)の事件を解決した時の金田一の住所は東京都大田区。「大森の山手」というのは、山王二丁目(Map→)あたりでしょうか。 横溝は3人の人物から金田一を造形したようですが、いつも和服の城 昌幸も念頭にありました(あとの2人は横溝自身と菊田一夫)。 金田一耕助の活躍は戦後(昭和21年。金田一33歳。横溝作品で金田一が初めて登場するのは『本陣殺人事件』)からですが(戦前から探偵業はやっていた)、名探偵・明智小五郎は戦前から活躍していました。江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』で初登場。同作の初出は「新青年」の大正14年1月増刊号ですので、明智は大正末には探偵として頭角を現します。 『D坂の殺人事件』には、D坂(団子坂。東京都文京区)(Map→)の中程にある「白梅軒」という喫茶店に入り浸っている「私」と同店で知り合った「妙な男」が出てきます。9月初旬の晩、「私」が窓の外をぼんやり見ていると、坂を隔てた向かいの古本屋の様子がどうも変です。いつもは店番している「古本屋の細君」の姿がありません。そうするうちに、店と奥の間の障子が内側からピシャリと閉められ、いよいよ変です。そこに、やはり「白梅軒」の常連の「妙な男」が現れます。二人が古本屋を見に行くと奥の間で「古本屋の細君」が死んでいます。奥の間は密室。二人の謎解きが始まります。この「この妙な男」が明智小五郎です。 明智といえばダンディーなイメージですが、「D坂の殺人事件」で初登場の頃は、モジャモジャ頭でそれを引っ掻き回すのが癖で、木綿の着物にヨレヨレの帯で、まるで金田一耕助ですね(金田一は着物に袴)。年は25歳を超えておらず、痩せ型。歩くとき肩を振る癖がありました。顔は講釈師の5代目神田伯竜(小島政二郎の『一枚看板』(『現代名作集(二)(日本文学全集64)』(日本の古本屋→)に収録)のモデル)に似ていました。煙草屋の二階の四畳半に下宿し、部屋の四方は本が山をなし、中央のわずかな隙間で寝起きしていました。 ところが5年後の昭和5年、当地(東京都大田区)にやってきた頃の明智は別人のようです。大森の山手に住まう宝石王の一族の皆殺しを企む復讐鬼と明智は対決しますが、「D坂の殺人事件」から5年しかたっていないのに、すでに40歳近くになっています。相変わらず独身で、素人探偵業でお金もありませんがすでに数々の事件を解決してきており警察からも一目置かれ、洋装となり、身のこなしもスマートで女性にもめっぽうモテます(復讐鬼の“娘”が惚れて命を救うほどに)。この『魔術師』が昭和5年雑誌「講談倶楽部」に掲載されたおり、岩田専太郎が挿絵を描いています。明智がビジュアル化された最初でしょうか。岩田の絵が読者はもちろん著者・乱歩の“明智像”に影響したことでしょう。
金田一は一貫してスタイルを保ち、明智は華麗に変身したのですね。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |