上段左:八百屋お七、上段右:丸橋忠弥、下段左:白井権八、下段右:白子屋お熊 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典 :「松竹梅湯島掛額」(月岡芳年)※「東京国立博物館」所蔵作品 浮世絵検索/・「丸橋忠弥 市川左団次」(豊原国周)→ ・「「東海道五十三次の内 川崎駅 白井権八」」(歌川国貞)→ ・「城木屋お駒(白子屋お熊がモデルとされる)」(歌川国貞)→
天和
3年3月29日(1683年。
八百屋お七が、当地の「鈴ヶ森刑場」(東京都品川区南大井二丁目7-3 Map→)で火あぶりにされたと伝わっています。
お七の物語は、井原西鶴の『好色五人女』をはじめ、歌舞伎、浄瑠璃などでたびたび取り上げられ、それらによるとお七は、前年(1682年)暮れの「天和の大火」のおり、避難先の寺で小姓(身分の高い人(ここでは住職)に仕える少年)の吉三郎と会って相愛の仲となり、その後、離れ離れになります。お七はまた火事になれば吉三郎に会えるのではないかと放火、ぼやで済みましたが、彼女は処刑されたとされています。 15歳。
・・・「世のあはれ、春吹く風に名を残し遅れ桜の今日散りし身は」と吟じけるを、聞く人
一入
に痛まはしく、その姿を見送りけるに、限りある命のうち、
入相
(日が入る頃)の鐘つく頃、品かはりたる(品川にかけている)道芝の
辺
にして、その身は憂き煙となりぬ。人皆いづれの道にも煙はのがれず、ことに
不便
はこれにぞありける。
それは昨日、今朝見れば、塵も灰もなくて、鈴の森松風ばかり残りて、旅人も聞伝へてただは通らず、回向
してその跡を弔ひける。さればその日の小袖、郡内縞のきれぎれまでも世の人拾ひ求めて、末々の物語の種とぞ思ひける。・・・(井原西鶴『好色五人女』のうち「恋からげし八百屋物語」より)
|
|
「鈴ヶ森刑場」跡(東京都品川区南大井二丁目7-3 Map→)の火あぶり台跡。真ん中の穴に鉄柱を立て、縛り付けられた処刑人の足元で薪が燃やされたそうだ。見せしめは、残忍であるほど効果があると考えられたのだろう |
当地の密厳院(東京都大田区大森北三丁目 5-4 Map→)の「お七地蔵」。お七の三回忌に江戸小石川の念仏講中の人たちがたてた。「鈴ヶ森刑場」近くにあったがここへ飛んできたと伝わる |
お七はその一途さやそのうら若さから巷の涙を誘ふこととなりますが、他にも、「鈴ヶ森(鈴ヶ森刑場)」で処刑された“人気者”がいます。
丸橋忠弥
も、慶安4年(1651年)、「
鈴ヶ森」で
磔
になったそうです。 同刑場は明治4年に閉鎖されるまでの220年間に10~20万人ほどが処刑されたそうですが、 忠弥はその第一号なんだそうです。
忠弥は、
由井正雪
の一味。首謀者の由井は将軍家も認める軍学者で、浪人の不満を利用して幕府転覆を謀り、幕府を震撼させました( 「由井正雪の乱(慶安の変)」)。
結局は、仲間の密告で頓挫し、正雪は自害、忠弥は寝込みを襲われて死去、その後、「鈴ヶ森」の柱に架けられたようです。旧東海道沿いの江戸の入口にあたる「鈴ヶ森」の地に晒された反逆者の
骸
は、幕府に不満をもつ人々を萎えさせたことでしょう。「鈴ヶ森(鈴ヶ森刑場)」は 「由井正雪の乱」をきっかけに作られたと言われています。
|
|
当地の妙蓮寺(東京都品川区南品川一丁目1-1 Map→)には「丸橋忠弥の首塚」がある。住職の枕元に忠弥の首が転がっており(!)、埋葬したそうだ |
忠弥の槍の道場があったとされる忠弥坂(東京都文京区本郷一丁目3〜5 Map→)。忠弥は、槍の名人で、熱血漢、大酒飲みで、おっちょこちょい? |
-----------------------------------------------
講談や歌舞伎でおなじみの
白井権八
も、延宝7年(1679年)、「鈴ヶ森」で処刑されたと言われています。 23歳か24歳くらいで処刑されたようです。 辻斬り(強盗)で130人以上も殺したというのに、たいへんな美男子で、かなりの“人気者” !?
享保12年(1727年)、
白子屋
お熊という女性も、23歳で「鈴ヶ森」で首を斬られています。江戸日本橋の材木屋白子屋の長女で、母と謀って、持参金目当てに又四郎を婿に迎え、それを殺害しようとしたとのこと。 捕まったあと、市中引き回しとなりますが、 「美貌の悪女」を一目見ようと沿道に人垣ができたとか。 彼女も歌舞伎や浄瑠璃に登場するようです。
あと、8代将軍徳川吉宗の落胤(らくいん。私生児のこと)と称して浪人を集めた山伏の「天一坊」も、 享保14年(1729年)、「鈴ヶ森」で処刑されました。 彼も歌舞伎や、小説やドラマや講談に出てくるようです。大岡越前が裁いたとされますが、それはフィクションのようです。
明治元年(1868年)4月10日(討幕軍の江戸入城1日前)討幕軍が本陣とした当地の本門寺(東京都大田区池上一丁目1 Map→)に忍び込んだ彰義隊士の渡辺健蔵も、捉えられ、本門寺前の
霊山
橋 (Map→)で首斬され、首だけ「鈴ヶ森」にさらされたようです。 「鈴ヶ森」でさらされた最後の人のようです。最初が忠弥で、最後が健蔵なのですね。
「鈴ヶ森刑場」跡に建つ「
大経寺
」(東京都品川区南大井二丁目5-6 Map→)には勇猛院日健と法号が刻まれた彼の首塚(お首様)があり、拝むと首から上の病に効くそうです。胴体の方は、「馬頭観音堂」(東京都大田区池上三目20-4 Map→)に不敵士之墓として葬られ、胴殻様(どんがらさま)と呼ばれています。こちらの方は、首から下の病に効くとか。
|
|
渡辺健蔵の首塚(お首様) |
渡辺健蔵の胴塚(胴殻様) |
歌舞伎「白浪五人男」のモデルとされる江戸中期の大盗賊・日本左衛門(歌舞伎では日本駄右衛門)も、一説では「鈴ヶ森」で処刑されたと。
これらの処刑者は、ある意味“人気者”。ある者は人々の涙を誘い、ある者はやんややんやと喝采され、ある者は祀られて神様のようになりました。権力者の横暴を庶民が批判することなどとんでもなかった時代(令和の世もそうだったりして?)、庶民はその不満を、アウトローな彼らに託し、
溜飲
を下げたのではないでしょうか。
|
|
「立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「金玉医者」「白井権八」」。談志が描くところのピカレスク(悪漢)ヒーロー |
「俺たちに明日はない」。実在した銀行強盗、ボニーとクライドの出会いと逃走。アメリカン・ニューシネマの先駆的作品 |
■ 馬込文学マラソン :
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
■ 参考文献:
●『東京路上細見』(林 順信 平凡社 昭和62年初版発行 同年発行2刷参照)P.29-31、P.38-40 ●「丸橋忠弥」(高木昭作)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→) ●「天一坊」(松井俊諭)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→) ●『大田区史年表』(監修:新倉善之 東京都大田区 昭和54年発行)P.258、P.403 ●「白井権八」(上村以和於)※「朝日日本歴史人物事典」に収録(コトバンク→)
※当ページの最終修正年月日
2023.3.29
この頁の頭に戻る
|