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お七の物語は、井原西鶴の『好色五人女』をはじめ、歌舞伎、浄瑠璃などでたびたび取り上げられ、それらによるとお七は、前年(1682年)暮れの「天和の大火」のおり、避難先の寺で
・・・「世のあはれ、春吹く風に名を残し遅れ桜の今日散りし身は」と吟じけるを、聞く人
それは昨日、今朝見れば、塵も灰もなくて、鈴の森松風ばかり残りて、旅人も聞伝へてただは通らず、
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| 「鈴ヶ森刑場」跡(東京都品川区南大井二丁目7-3 Map→)の火あぶり台跡。真ん中の穴に鉄柱を立て、縛り付けられた処刑人の足元で薪が燃やされたそうだ。見せしめは、残忍であるほど効果があると考えられたのだろう | 当地の |
お七はその一途さやそのうら若さから巷の涙を誘ふこととなりますが、他にも、「鈴ヶ森(鈴ヶ森刑場)」で処刑された“人気者”がいます。
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忠弥は、
結局は、仲間の密告で頓挫し、正雪は自害、忠弥は寝込みを襲われて死去、その後、「鈴ヶ森」の柱に架けられたようです。旧東海道沿いの江戸の入口にあたる「鈴ヶ森」の地に晒された反逆者の
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| 当地の妙蓮寺(東京都品川区南品川一丁目1-1 Map→)には「丸橋忠弥の首塚」がある。住職の枕元に忠弥の首が転がっており(!)、埋葬したそうだ | 忠弥の槍の道場があったとされる忠弥坂(東京都文京区本郷一丁目3〜5 Map→)。忠弥は、槍の名人で、熱血漢、大酒飲みで、おっちょこちょい? |
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講談や歌舞伎でおなじみの
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享保12年(1727年)、
あと、8代将軍徳川吉宗の落胤(らくいん。私生児のこと)と称して浪人を集めた山伏の「天一坊」も、 享保14年(1729年)、「鈴ヶ森」で処刑されました。 彼も歌舞伎や、小説やドラマや講談に出てくるようです。大岡越前が裁いたとされますが、それはフィクションのようです。
明治元年(1868年)4月10日(討幕軍の江戸入城1日前)討幕軍が本陣とした当地の本門寺(東京都大田区池上一丁目1 Map→)に忍び込んだ彰義隊士の渡辺健蔵も、捉えられ、本門寺前の
「鈴ヶ森刑場」跡に建つ「
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| 渡辺健蔵の首塚(お首様) | 渡辺健蔵の胴塚(胴殻様) |
歌舞伎「白浪五人男」のモデルとされる江戸中期の大盗賊・日本左衛門(歌舞伎では日本駄右衛門)も、一説では「鈴ヶ森」で処刑されたと。
これらの処刑者は、ある意味“人気者”。ある者は人々の涙を誘い、ある者はやんややんやと喝采され、ある者は祀られて神様のようになりました。権力者の横暴を庶民が批判することなどとんでもなかった時代(令和の世もそうだったりして?)、庶民はその不満を、アウトローな彼らに託し、
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| 井原西鶴『好色五人女(現代語訳) (河出文庫) 』。現代語訳: 吉行淳之介、丹羽文雄 ●前田敦子が演じた八百屋お七→ | 山本周五郎『正雪記 (上巻) (新潮文庫) 』。「慶安の変」の顛末。記録がほとんど残らない由井正雪や丸橋忠弥が蘇える |
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| 「立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「金玉医者」「白井権八」」。談志が描くところのピカレスク(悪漢)ヒーロー | 「俺たちに明日はない」。実在した銀行強盗、ボニーとクライドの出会いと逃走。アメリカン・ニューシネマの先駆的作品 |
■ 馬込文学マラソン :
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
■ 参考文献:
●『東京路上細見』(林 順信 平凡社 昭和62年初版発行 同年発行2刷参照)P.29-31、P.38-40 ●「丸橋忠弥」(高木昭作)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→) ●「天一坊」(松井俊諭)※「日本大百科全書(ニッポニカ) 」(小学館)に収録(コトバンク→) ●『大田区史年表』(監修:新倉善之 東京都大田区 昭和54年発行)P.258、P.403 ●「白井権八」(上村以和於)※「朝日日本歴史人物事典」に収録(コトバンク→)
※当ページの最終修正年月日
2023.3.29