樋口一葉の『たけくらべ』を、合評記事「三人冗語」で絶賛した森 鴎外(左)、幸田露伴(中)、斎藤緑雨(右)。鴎外が腰掛けている石は「三人冗語の石」(Photo→)と呼ばれ、鴎外の住まい跡に建てられた「森 鴎外記念館」(東京都文京区千駄木一丁目23-4 Map→ Site→)に現在も残る ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『明治文学アルバム(新潮日本文学アルバム 別巻)』
明治29年4月10日(1896年。
樋口一葉(24歳)の小説『たけくらべ』(Amazon→)が「文芸倶楽部」(博文館)に一括して再掲載されました(最初、明治28年から29年にかけて「文学界」に断続的に連載された)。それを同月、文芸雑誌「めざまし草」(「目不酔草」。森 鴎外主宰)の「三人
冗語
」(森 鴎外(34歳)、幸田露伴(28歳)、斎藤緑雨(28歳)の合評記事)が激賞。「頭取」という人物(鴎外)があらすじを述べると、「ひいき」という人物(露伴)が、
・・・全体の妙は我等が眼を眩
ましめ心を酔はしめ、応接にだも暇あらしめざるほどなれ・・・(中略)・・・
僅々
〔ほんのわずか〕の文字をもって、実は当人すら至極に明らかに自覚せりといふにはあらざるべき有耶無耶
の幽玄なる感情を写したるは最も好し・・・(中略)・・・多くの批評家多くの小説家に、このあたりの文字五六字づつ技量上達の霊符として呑ませたきものなり・・・
と、ひいきというだけあって熱いです。「第二のひいき」という名で鴎外がまた登場し、
・・・われはたとへ世の人に一葉崇拝の嘲
を受けんまでも、この人にまことの詩人といふ称をおくることを惜まざるなり・・・
と、絶賛。「むだ口」という人物が緑雨でしょうか。彼も相槌を打っています。辛口の3人が揃って一作を褒めたのは『たけくらべ』だけだったようです。「めざまし草」は権威ある雑誌だったので、そこで絶賛されたことで、一葉は「今
紫式部」と讃えられるまでになりました。
3年ほど前(明治26年)一度筆を折る覚悟をした一葉でしたが、吉原遊廓近くの下谷竜泉寺
町(現・竜泉(東京都台東区 Map→)。『たけくらべ』の舞台)での一年ほどの生活(荒物・駄菓子屋を開くが失敗)で詩材を得て、翌明治27年より再び筆をとり創作に専念、『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』と現在も読みつがれる名作を次々と生み出しました(「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる)。
しかし皮肉なことに、『たけくらべ』が「文芸倶楽部」に一括掲載された頃には彼女の結核はもう相当悪く(再掲時の原稿は口述し妹が書き取った)、約半年後の明治29年11月23日、24歳という若さで死去してしまうのでした。
宮沢賢治を大手メディアで初めて絶賛したのが辻 潤(39歳)でした。賢治の『春と修羅(Amazon→)』が大正13年4月に発行されるや、その3ヶ月後には「読売新聞」に次のように書いています。
・・・ この詩人はまったく特異な個性の持主だ。 ・・・(中略)・・・ 若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら、私は 『ツアラトウストラ』 を忘れても 『春と修羅』とを携えることを必ず忘れはしないだろう。・・・(辻 潤 『惰眠洞妄語』より)
その頃の賢治はまだ仲間内でしか知られていなかったでしょうから、辻は『春と修羅』をどこで入手したのでしょう? 佐藤惣之助経由でしょうか? 佐藤も5ヶ月後に『春と修羅』を「(大正)十三年の最大収穫」と「日本詩人」で絶賛しています。ただし賢治の場合は、一葉と違い、名声を得ないままでこの世を去りました。
三島由紀夫も埋もれかけた才能を掘り出す名人でした。三島は自身を「一に評論家、二に劇作家、三に小説家」と評するくらいでしたから、相当自信もあったのでしょう。上記の森 鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨、辻 潤もそうだったのでしょうが、三島も古今東西の本を渉猟した人です。それらの読書から獲得したたくさんの“引き出し”があるから、多くの人が見逃している“宝”も引っかかってくるのでしょうね。稲垣足穂や国枝史郎を再評価し、彼らを再び世に出しました。
足穂の『山ン本
五郎左衛門只今退散仕る』(Amazon→)を評して、
・・・この荒唐無稽な化物咄
の中に、ちゃんとリアリズムも盛り込めば、告白も成就しているのみならず、読者をして、作中人物への感情移入から、一転して、主題に覚醒せしめ、しかも読者自らを、山ン本という、「物語の完成者であり破壊者であるところの不可知の存在」に化身せしめ、以て読者の魂を天外へ拉し去ることに成功しているのである。・・・(中略)・・・しかも稲垣氏は、決して観念的なあるいは詩的な文体をも用いず、何一つ解説もせず、思想も説かず、一見平板な、いかにも剛胆な少年の呑気な観察を思わせる叙述のうちに、どことはなしに西洋風なハイカラ味を漂わせて、悠々と一篇の物語を語り終ってしまうのである。・・・(三島由紀夫「小説とは何か」より)
と、熱いです。足穂の作品もいいのでしょうが、三島の評文に惚
れ惚れします。
国枝の『
神州
纐纈
城(Amazon→)』についても、
・・・この奔放な構想と作者の過剰な感性は、未完の宿命を内に含んでいた。
一読して私は、当時大衆小説の一変種と看做されてまともな批評の対象にもならなかったこの作品の、文藻
〔文章のあや・彩り〕のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性とにおどろいた。これは芸術的にも、谷崎潤一郎氏の中期の伝奇小説や怪奇小説を
凌駕するものであり、現在書かれている小説類と比べてみれば、その気稟
〔生まれもっている気質〕の高さは比較を絶している。こと文学に関するかぎり、われわれは一九二五年よりも、ずっと低俗な時代に住んでいるのではなかろうか。・・・・(三島由紀夫「小説とは何か」より)
と、書いています。世の作家、ことに谷崎潤一郎といった大御所を向うに回してそれを越える価値を「埋もれかけた作品」に付与するのですから、やはり勇敢です。
評価の定まっている作品や売らんかなの作品を褒
めそやすのと、見過ごされている作品に光を当てるのとは別物、というより批評姿勢としては対極。後者のみが評論の名に値するのはいうまでもありません。そういえば、「現代のベートーヴェン」を見出した人たちは、その「作品」を評価したんですよね???
滝田樗陰が宇野千代らを見出し、川端康成が尾﨑士郎(『人生劇場』)や北条民雄や岡本かの子や三島由紀夫を導き、北原白秋が室生犀星や萩原朔太郎を見出し、島崎藤村が牧野信一を見出し、牧野が坂口安吾を見出し、メンデルスゾーンがバッハ(「マタイ受難曲」)を見出し、ストラヴィンスキーが武満 徹を見出し、芹沢長介が相沢忠洋を導き・・・
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森 鷗外『鷗外随筆集 (岩波文庫)』。編:千葉俊二 |
幸田露伴『珍饌会
〜露伴の食〜 (講談社文芸文庫)』。編:南條竹則 |
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斎藤緑雨『緑雨警語(冨山房百科文庫)』。編:中野三敏 |
三島由紀夫『小説読本 (中公文庫) 』。長篇評論「小説とは何か」ほか。解説:平野啓一郎 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 辻 潤の『絶望の書』を読む→
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
・ 稲垣足穂の『一千一秒物語』を読む→
・ 国枝史郎の『神州纐纈城』を読む→
・ 宇野千代の『色ざんげ』を読む→
・ 川端康成の『雪国』を読む→
・ 尾﨑士郎の『空想部落』を読む→
・ 北原白秋の『桐の花』を読む→
・ 室生犀星の『黒髪の書』を読む→
・ 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
・ 牧野信一の『西部劇通信』を読む→
■ 参考文献:
●『明治文学アルバム(新潮日本文学アルバム 別冊)』(昭和61年初版発行 平成8年発行8刷)P.65-66 ●「三人冗語」(十川信介)※「世界大百科事典(改訂新版)」(平凡社)に収録(コトバンク→) ●『鷗外全集(第二巻)』(鷗外全集刊行会 大正13年発行)P.493-498 ●「樋口一葉」(塩田良平)、「めざまし草」(浅井 清)※『新潮 日本文学小辞典』(昭和43年初版発行 昭和51年発行6刷)P.947-949、P.1153 ● 『宮沢賢治(新潮日本文学アルバム)』(昭和61年発行)P.42-43 ●『惰眠洞妄語』(辻 潤)※『辻 潤著作集2』(オリオン出版社 昭和45年発行)に収録 ●「小説とは何か」(三島由紀夫)※ 「三島由紀夫読本(新潮 臨時増刊号)」(昭和46年発行)P.97-103 ●「樋口一葉『たけくらべ』」(松岡正剛の千夜千冊→)
※当ページの最終修正年月日
2024.4.10
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