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映像化の意図(昭和8年2月2日、映画「伊豆の踊子」、公開される)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典: YouTubu/伊豆の踊子(1933)→


昭和8年2月2日(1933年。 映画「伊豆の踊子」YouTube→が公開されました。当地(東京都大田区)にあった「松竹蒲田撮影所」で作られた「蒲田映画」です。監督は、2年前(昭和6年)に日本初の本格的トーキー映画を成功させた 五所平之助 ごしょ・へいのすけ (31歳)ですが、この映画はサイレント映画。踊子を演じたのが蒲田の売れっ子・田中絹代(23歳)です。

内容的には、旅館の内芸者がどうのこうのとか、金鉱を巡るいざこざがあったり、コミカルなエピソードが挿入されたり、と原作の『伊豆の踊子』とは全く異ります川端康成(32歳)の『伊豆の踊子』Amazon→は、一高生の「私」が伊豆に一人旅に来て、旅芸人の一座と行会い、その娘に淡い恋心を抱き、娘も「私」に強く惹かれますが、結局「私」は娘と一座の人々と一緒になり切れない自分を感じ、そして別れるという、ただそれだけの、それだけに、心の機微や旅の風情がしみじみとしみてくる短編小説です。映画にして面白い作品ではないと思います。撮影所側も当初作品の映画化に難色を示したそうです(客に受けないと予想され、トーキー映画にする予算がつかなかったのでは)。それではということで、人気俳優を投入し、小説にはないワクワクどきどきの要素をふんだんに投入し、撮影にたどり着いたのでしょう。このように、映画製作にも「芸術性」を重視するか、それとも「営業」(興行性、売り上げ。スポンサーの意向など)を重視するか、または「社会性」を重視するかの葛藤が常にあると思います。

田中版「伊豆の踊子」を観た原作者の川端は、自作の意図とかけ離れた展開に唖然としたでしょうが、映画は大ヒットし、川端の名も広く知られるようになったので、川端も恩恵を被ったとも言えます。

作品の出来の良し悪しとは別に、昔の映画は、ロケ地の風物を知るための資料としても興味深いです。映像が少なかった時代ですので、貴重です。あと、サイレント映画なので、弁士がつき、彼らの演技力によって、映画が見違えるようになったかもしれません。

田中版「伊豆の踊子」の一場面。「私」(学生)を演じたのも蒲田のスター・ 大日方 傳(おびなた・でん) ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典: YouTubu/伊豆の踊子(1933)→
田中版「伊豆の踊子」の一場面。「私」(学生)を演じたのも蒲田のスター・ 大日方 傳おびなた・でん  ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典: YouTubu/伊豆の踊子(1933)→

以後、「伊豆の踊子」は、若手女優の売り出し映画の定番となりました。田中の後、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵が踊子役を演じ、ドラマにもなり、アニメにもなったようです。吉永小百合と山口百恵のも見てみましたが、田中が演じたものと比べるとかなり原作に近くはなっていましたが、現在の「私」が遠い過去を回想する形にしたり、病に冒された芸者を登場させたりして、良くも悪くも感動的に盛り上げる工夫がなされていました。吉永版「伊豆の踊子」Amazon→のロケ現場には原作者の川端が顔を出し、踊子姿の吉永を見て「なつかしい親しみ」を感じたとのコメントを残しています。

「伊豆の踊子」の他にも、人気俳優を起用して繰り返し映画化された文学作品があります。石坂洋次郎の『青い山脈』Amazon→は、日本国憲法施行後1ヶ月頃(昭和22年6月9日)から「朝日新聞」に連載され、作中、 「民主」という言葉がたびたび出てくる「時代の申し子」のような作品ですが、連載2年後の昭和24年に初めて映画化され(原 節子版「青い山脈」Amazon→)、その後も繰り返され計5度映画化されたようです。

愛の献身の極致・谷崎潤一郎の『春琴抄』も昭和10年以来6度(●田中絹代版(監督:島津保次郎)→ ●京マチ子版(監督:伊藤大輔)→)、自らの放浪体験を綴った林 芙美子の『放浪記』も昭和10年以来3度(●高峰秀子版(監督:成瀬巳喜男)→)、若く健康な肉体と翳りない魂を賛美した三島由紀夫の『潮騒』も昭和29年以来5度(●吉永小百合・浜田光夫版→ ●山口百恵・三浦友和版→)、雪深い温泉町の情景がしみる川端康成の『雪国』も昭和32年以来2度(●池部 良・岸 惠子版→ ●木村 功・岩下志麻版→) 映画になりました。

「日本映画データベース()」とウィキペディの「日本の文学を原作とする映画作品」()によると、吉屋信子の51作品、松本清張の32作品、小島政二郎の32作品、石坂洋次郎の26作品、三島由紀夫の26作品(三島が監督・主演した「憂国」ほか)、井上 靖の16作品、山本周五郎の12作品、泉 鏡花の12作品(溝口健二監督の「折鶴お千」「滝の白糸」「日本橋」ほか)、芥川龍之介の11作品(黒澤 明監督の「羅生門」ほか)、石川達三の10作品、近年でも、東野ひがしの 圭吾さんの22作品、赤川次郎さんの13作品、伊坂幸太郎さんの12作品が映画化されています(数え間違えているかもしれません)。

周五郎原作の映画12作品のうち、「赤ひげ」(監督:黒澤 明、原作:『赤ひげ診療譚』)などは国際的にも高い評価を受けましたが、周五郎は作品の映画化・劇化に伴う関係者との面談などで貴重な執筆時間を取られることに辟易へきえき とし、「映画・演劇・TV化謝絶」と作品に書くようにもなりました。

原作の単なる再現(解説)でなく、原作を借りての俳優の単なる顔見せでもなく、映像化で、原作では表現し得なかったことを表現しようとの試みもなされてきたことでしょう。

映画「欲望」(Amazon→)の一場面。三島由紀夫の『天人五衰』のカバーの絵を強く意識して画面が作られたのではないだろうか 原作の『欲望』(Amazon→)(小池真理子)は、三島由紀夫の文学といたるところでリンクしている。『天人五衰』への言及もある
映画「欲望」Amazon→)の一場面。三島由紀夫の『天人五衰』のカバーの絵を強く意識して画面が作られたのではないだろうか 原作の『欲望』Amazon→)(小池真理子)は、三島由紀夫の文学といたるところでリンクしている。『天人五衰』への言及もある

原作に埋め込まれた夥しい言葉のイメージ(「海」という言葉一つとっても、読者の脳裏に浮かぶイメージは千差万別)から、特定のイメージを選択し、補強し、他のイメージと整合させ、対比させ、溶け込ませ、順番を変える。限られた上映時間、膨大な費用という枷を克服し、音(音楽や効果音や情景音など)や、俳優の資質を生かし、カメラワークを工夫し、間の利用など諸々の演出効果を駆使し・・・、やれることはいくらでもありそうです。

波戸岡景太『映画原作派のためのアダプテーション入門 〜フィッツジェラルドからピンチョンまで〜』(彩流社) 『映画は文学をあきらめない 〜ひとつの物語からもうひとつの物語へ〜』(水曜社)。著:宮脇俊文、挾本佳代、田中優子、晏妮、デヴォン・ケイヒル、池内 了
波戸岡景太『映画原作派のためのアダプテーション入門 〜フィッツジェラルドからピンチョンまで〜』(彩流社) 『映画は文学をあきらめない 〜ひとつの物語からもうひとつの物語へ〜』(水曜社)。著:宮脇俊文、挾本佳代、田中優子、晏妮、デヴォン・ケイヒル、池内 了
「『羅生門・鼻・芋粥』(芥川龍之介) 『新訳 マクベス』(シェイクスピア 訳:河合祥一郎)(「日本を代表する名監督の映画になった原作を合本で読む!」シリーズ)』(KADOKAWA) ティム・グリアソン『映画はこう作られていく 〜名作映画に学ぶ 心を揺さぶる映像制作術(映画史に残る126本超の作品を新たな視点で分析!)』(ボーンデジタル)
「『羅生門・鼻・芋粥』(芥川龍之介) 『新訳 マクベス』(シェイクスピア 訳:河合祥一郎)(「日本を代表する名監督の映画になった原作を合本で読む!」シリーズ)』(KADOKAWA) ティム・グリアソン『映画はこう作られていく〜名作映画に学ぶ 心を揺さぶる映像制作術(映画史に残る126本超の作品を新たな視点で分析!)』(ボーンデジタル)

■ 馬込文学マラソン:
川端康成の『雪国』を読む→
石坂洋次郎の『海を見に行く』を読む→
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
池部 良の『風が吹いたら』を読む→
吉屋信子の『花物語』を読む→
小島政二郎の『眼中の人』を読む→
井上 靖の『氷壁』を読む→
山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→
小池真理子の『欲望』を読む→

■ 参考文献:
●『昭和文学作家史(別冊 一億人の昭和史)』(毎日新聞社 昭和52年発行)P.194 ●『わたしの渡世日記(上)(文春文庫)』(高峰秀子 平成10年初版発行 平成23年12刷参照)P.42 ●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.226 ●『あ丶活動大写真 〜グラフ日本映画史〈戦前篇〉〜』(朝日新聞社)P.122-123 ●『山本周五郎 〜横浜時代〜』(木村 久邇典くにのり  福武書店 昭和60年発行)P.288-289

※当ページの最終修正年月日
2024.2.2

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