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映画「現代人」より。右が池部 良 ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/池部 良(令和2年1月24日更新版)→原典:映画「現代人」(松竹大船)スチル写真
池部 良は文芸路線の都会派、渋~い俳優だ。 『風が吹いたら』は、この池部のエッセイ集。 こういったいわゆるタレント本だとその多くがゴーストライターによって書かれたり、良くても口述されたものを編集者が適当にまとめたりするのだろうけれど、この内容の濃さは本人がカリカリと書いたとしか思えない。 ヰタ・セクスアリス(自身の性の来歴)がたくさん書かれているが、かなり過激に自分を丸裸にしている。 なかなかなものだ。 女郎屋に行ったら「映画スターの池部」と知られ「あんたが来る所じゃないのよ」と女に優しく諭されたり、入隊してから隊長に「ファンからの手紙を焼き捨てろ」と命令され溢れる涙を必死にこらえたり、騙されたり、ひっぱたかれたり、誤解されたり、ある女優の「部分」(?)に触れてしまったり・・・、二枚目スターにもいろいろあるものだ。そこには、“人間・池部 良”が息づいている。 こんな興味深いエピソードもある。志賀直哉と親交があった池部が、ある日、志賀に「池部君、女ってものはキレイなもんだと思うかい?」と問われる。しどろもどろの池部に、志賀は自身の考えを開陳、池部も自身の経験を語る。志賀ってやっぱりそうとう変わっているわと笑いながらも、えらく納得させられた。 『風が吹いたら』について人気俳優・池部 良のエッセイ集。 昭和62年(池部69歳)、文藝春秋社から発行された。「一陣の風が吹いて来たと思ったら今までに発表した原稿がばさっと集まった感じ」だからこのタイトルのようだ。 池部良について
当地で生まれる 「昭和残侠伝シリーズ」(昭和40~47年)では高倉 健の相棒役を好演、新境地を開いた。 昭和53年(60歳)から日本映画俳優協会の理事を務め、俳優と暴力団との関係を断つべく尽力した。 エッセイストとしても活躍 平成22年10月8日(2010年。92歳)、敗血症により死去。( )。
馬込文学圏と池部良当地(東京都大田区大森)で生まれ育った。 池部が当地に住んだのが大正7年(0歳)から昭和17年(24歳)までで、近くに石坂洋次郎夫妻が大正13年(24歳)から翌大正14年(24歳)まで住んでおり、石坂の妻は6〜7歳頃の池部を見かけ覚えていた。戦後、石坂夫妻の推薦で映画「青い山脈」の六助の役をやることになり、その後、当地にある石坂夫妻の家(東京都大田区田園調布)をしばしば訪れ、終生親しくした。「青い山脈」以後も、石坂作品原作の映画「丘は花ざかり」「山のかなた」「石中先生行状記」「若い人」に出演。
昭和28年頃(35歳頃)、軽井沢の鬼押し出し(群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原1053 map→)近くの宿でシナリオを書くために投宿したおり、たまたま隣室に志賀直哉が泊まり、親しくなった。志賀は最初『暗夜行路』の映画化を拒んだが、「池部が主人公をやるなら」と承諾する。 参考文献●『風が吹いたら』(池部 良 文藝春秋社 昭和62年発行)P.12、P.18、P.85、P.188-189、P.283-285、P.305-321 ●『五衰の人 〜三島由紀夫私記〜』(徳岡孝夫 文藝春秋社 平成8年初版発行 同年発行2刷参照)P.221-222 ●『映画俳優 池部 良』(編集:志村三代子 、弓桁あや ワイズ出版 平成19年発行)P.8-11、P.274-275、P.332-333 参考サイト●ウィキペディア/・池部 良(令和2年1月24日更新版)→ ・青い山脈(映画)(令和元年12月1日更新日)→ ・早春(映画)(平成31年2月25日更新版)→ ・ 若い人(令和2年1月18日更新版)→ ●日本映画データベース/池部 良→ ※当ページの最終修正年月日 |