|
||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||
![]() |
|
|||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||
![]() |
『潮騒』に見られる真っ直ぐな“肉体賛美”は、どこから来るのでしょう?
三島の「ギリシャへの傾倒」と密接に関係しているようです。
アジア・太平洋戦争末期の昭和20年5月、三島(20歳。三島の満年齢と昭和の年数は一致する)は、海軍の
・・・
ラフカディオ・ハーンが日本に見出したのは、自国と同じような美しい自然と陽光の下で営まれる健全な生産と、その生産を守護する純朴な神々だったのでしょう。しかし、その“楽園”を、日本は、中世以降見失ったと三島は考えたようです。
昭和26年から昭和27年にかけて約半年間、三島(26歳)は世界旅行に出かけます。この旅で、彼は、太平洋のぎらつく太陽、リオデジャネイロ(ブラジル)の祝祭的空気といったものにも触れ、しかし、何よりも彼の心を打ちふるわせたのは、4月24日から29日までの6日間のギリシャ滞在でした。憧れの地を踏み、「無上の幸福」に酔います。
旅行に出た頃、三島は、古代ギリシャ時代(2世紀末から3世紀初頭)に書かれた恋愛物語『ダフニスとクロエ』を熟読し、古代ギリシャ・ラテン文学の権威・
そして、帰国後、古代ギリシャの島を彷彿とさせる三重県の「神島」を知り(かつて農林省にいた父の
「自然と陽光の下で営まれる生産」を支えるのは、若い肉体(労働力)。それを、美の観念に結びつけ、爽やかに謳い上げたのが『潮騒』です。
『ダフニスとクロエ』と同様、『潮騒』にも恋敵が現れます。新治には青年会の支部長の安川が、初江には新治が世話になった灯台長の娘の千代子(東京の大学から帰省してきた)が現れます。安川は島の青年のリーダーですが小賢しく、千代子は「都会的な知」の象徴なのでしょう。新治と初江は、二人と争うのではなく、ただ真っ直ぐ、勇敢に生きることで、自然、恋敵を退け、皆に祝福されて結ばれます。
三島は、『潮騒』を書いた翌年(昭和30年。30歳)からボディービルを始めます(上の写真を参照)。神島に取材に行った時、島の人から病気の療養に来たと思われるほど色白でひ弱な感じでしたが、1年間欠かさずトレーニングすることで肉体的劣等感がほぼ完全に払拭され、2年後にはベンチプレスで60kgを上げるまでになりました(最初は10kgしか上げられなかった)。
・・・肉体と精神のバランスが崩れると、バランスの
![]() |
ロダンの「考える人」を、肉体と精神のバランスの極致の表現と三島は考えた。「国立西洋美術館」(東京都台東区上野公園七丁目7-7 Map→ Site→)にて |
当地の三島邸(東京都大田区南馬込四丁目32-8 Map→)の庭には、ギリシャの神・アポローン(オリュンポス十二神の一柱。ゼウスの息子。芸能・芸術の神)の像が据えられています。
![]() |
![]() |
| 三島由紀夫『潮騒 (新潮文庫) 』。佐伯彰一の「三島由紀夫 人と文学」「『潮騒』について」と年譜を収録 | 三島由紀夫『アポロの杯 (新潮文庫) 』。昭和26年(26歳)から翌年にかけての世界旅行の紀行文 |
![]() |
![]() |
| ロンゴス(推定)『ダフニスとクロエー 〜牧人の恋がたり〜』。訳:呉 茂一 ●ラヴェル作曲「ダフニスとクロエ」(指揮:準・メルクル、演奏:フランス国立リヨン管弦楽団→ | 石井直方、柏口新二、髙西文利『筋力強化の教科書』(東京大学出版会)。ボディービル、医学、スポーツの立場からの筋トレの有用性 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
・ 川端康成の『雪国』を読む→
■ 参考文献:
●『潮騒(新潮文庫)』(三島由紀夫 昭和30年初版発行 平成21年発行133刷参照)P.5-62、P.199-207 ●『川端康成・三島由紀夫 往復書簡(新潮文庫)』(平成12年発行)P.19-20、P.31-33 ●「『潮騒』のこと」「ボディ・ビル哲学」(三島由紀夫)※『三島由紀夫評論全集 第二巻』(新潮社 平成元年発行)に収録 ●「愛の物語『ダフニスとクロエ』(新ART BLOG)」(アトリエ・ブランカ →)
※当ページの最終修正年月日
2023.6.11