『潮騒』執筆の翌年の三島由紀夫(昭和30年。30歳)。この年からボディービルを始め、生涯続けた。当地(東京都大田区南馬込四丁目)に越してきてからは近く(東京都大田区蒲田)のボディービル・ジムにも通う ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「アサヒグラフ」(朝日新聞社) 昭和30年11月9日号
昭和29年6月10日(1954年。
三島由紀夫(29歳)の小説『潮騒』が発行されました。
伊勢湾の入口にある神島(三重県神島町 Map→ ※小説の中では歌島)を舞台に、
翳
りない純朴な魂をもつ若い男女が、いくつかの障害を乗り越えて結ばれていく話で、屈折した精神を描くことが多い三島には珍しく、爽やかさが際立つ小説です。発行後たちまちベストセラーとなり、英訳され米国でも人気を博しました。発行された昭和29年から現在までに5度は映画になっており、三島作品で一番一般受けした作品かもしれません。
真っ直ぐさと、若さと、純朴さを兼ね備える主人公の新治を、
・・・一昨年新制中学を出たばかりだから、まだ十八である。背丈は高く、体つきも立派で、顔立ちの稚なさだけがその年齢に適っている。これ以上日焼けしようのない肌と、この島の人たちの特色をなす形のよい鼻と、ひびわれた唇を持っている。黒目がちな目はよく澄んでいたが、それは海を職場とする者の海からの賜物
で・・・
と書き、もう一人の主人公・初江については、
・・・額は汗ばみ、頬は燃えていた。寒い西風はかなり強かったが、少女は作業にほてった顔をそれにさらし、髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。綿入れの袖なしにモンペを穿き、手には汚れた軍手をしていた。健康な肌いろはほかの女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉
は静かである。少女の目は西の海の空をじっと見つめている。・・・
と書きます。自然と労働に磨かれた身体が輝いています。ここでは、青っちろい「知性」や、人工的な美や、作意や駆け引きなどは、何の魅力も持ちません。
『潮騒』に見られる真っ直ぐな“肉体賛美”は、どこから来るのでしょう?
三島の「ギリシャへの傾倒」と密接に関係しているようです。
アジア・太平洋戦争末期の昭和20年5月、三島(20歳。三島の満年齢と昭和の年数は一致する)は、海軍の
工廠
(軍直属の軍需工場。「相模海軍工廠跡の碑」(神奈川県
高座郡
寒川町
一之宮六丁目2 Map→))に勤労動員され、寮内の図書係になります。本を読む時間もあり、書き物をする時間もあって、日本の古典を浴びるように読み、また、
小泉八雲
(ラフカディオ・ハーン)の著作とも出会いました。ギリシャ生まれのハーンは、日本人のことを「東洋のギリシャ人」と評し、三島はそのフレーズに出会ってから、ギリシャを意識するようになったのでしょうか。1年後の昭和21年(21歳)、川端康成(46歳)に手紙で次のように書いています。
・・・神代
が果てるや神々は夜のなかへ身を隠しました。二度と真昼の太陽の下
で神々は乱舞しませんでした。中世のお
伽草子など読みまして、その世界が凡て手函
のなかの夜のやうで、思はず息苦しくなることがございます。日本人はこれほど美しい自然と陽光に恵まれながら、ハアン(ラフカディオ・ハーン)のあの「東洋のギリシャ人」といふ讃詞にも背
いて、夜の方へと顔を向けてまゐりました。紅葉
〔尾崎紅葉〕にも鏡花
〔泉 鏡花〕にも、近世の「夜」が沈殿してをります。あれほどハイカラにみえる佐藤春夫氏にさへ、夜のかすかな名残が払ひ切れずにをります。日本人に深く根ざす美学に於
て、「夜」は
殆
んど本質的なものがございました。・・・
ラフカディオ・ハーンが日本に見出したのは、自国と同じような美しい自然と陽光の下で営まれる健全な生産と、その生産を守護する純朴な神々だったのでしょう。しかし、その“楽園”を、日本は、中世以降見失ったと三島は考えたようです。
昭和26年から昭和27年にかけて約半年間、三島(26歳)は世界旅行に出かけます。この旅で、彼は、太平洋のぎらつく太陽、リオデジャネイロ(ブラジル)の祝祭的空気といったものにも触れ、しかし、何よりも彼の心を打ちふるわせたのは、4月24日から29日までの6日間のギリシャ滞在でした。憧れの地を踏み、「無上の幸福」に酔います。
旅行に出た頃、三島は、古代ギリシャ時代(2世紀末から3世紀初頭)に書かれた恋愛物語『ダフニスとクロエ』を熟読し、古代ギリシャ・ラテン文学の権威・
呉 茂一
の東大での授業にももぐりこんだようです。
そして、帰国後、古代ギリシャの島を彷彿とさせる三重県の「神島」を知り(かつて農林省にいた父の
平岡 梓
に島探しを頼んだ)、2度そこを訪れて取材し、日本版『ダフニスとクロエ』の『潮騒』を書きあげたのでした。
「自然と陽光の下で営まれる生産」を支えるのは、若い肉体(労働力)。それを、美の観念に結びつけ、爽やかに謳い上げたのが『潮騒』です。
『ダフニスとクロエ』と同様、『潮騒』にも恋敵が現れます。新治には青年会の支部長の安川が、初江には新治が世話になった灯台長の娘の千代子(東京の大学から帰省してきた)が現れます。安川は島の青年のリーダーですが小賢しく、千代子は「都会的な知」の象徴なのでしょう。新治と初江は、二人と争うのではなく、ただ真っ直ぐ、勇敢に生きることで、自然、恋敵を退け、皆に祝福されて結ばれます。
三島は、『潮騒』を書いた翌年(昭和30年。30歳)からボディービルを始めます(上の写真を参照)。神島に取材に行った時、島の人から病気の療養に来たと思われるほど色白でひ弱な感じでしたが、1年間欠かさずトレーニングすることで肉体的劣等感がほぼ完全に払拭され、2年後にはベンチプレスで60kgを上げるまでになりました(最初は10kgしか上げられなかった)。
・・・肉体と精神のバランスが崩れると、バランスの勝つたはうが負けたはうをだんだん喰ひつぶして行くのである。痩せた人は知的になりすぎ、肥つた人間は衝動的になりすぎる。現代文明の不幸は、悉
くこのバランスから起つてゐる。・・・(中略)・・・だまされたと思つてボディ・ビルをやつてごらんなさい。もつとも私がすすめるのはインテリ諸君のためであつて、脳ミソの空つぼな男がそのうへボディ・ビルをやつて、アンバランスを強化するのは、何とも無駄事である。(三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より)
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ロダンの「考える人」を、肉体と精神のバランスの極致の表現と三島は考えた。「国立西洋美術館」(東京都台東区上野公園七丁目7-7 Map→ Site→)にて |
当地の三島邸(東京都大田区南馬込四丁目32-8 Map→)の庭には、ギリシャの神・アポローン(オリュンポス十二神の一柱。ゼウスの息子。芸能・芸術の神)の像が据えられています。
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三島由紀夫『潮騒 (新潮文庫) 』。佐伯彰一の「三島由紀夫 人と文学」「『潮騒』について」と年譜を収録 |
三島由紀夫『アポロの杯 (新潮文庫) 』。昭和26年(26歳)から翌年にかけての世界旅行の紀行文 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
・ 川端康成の『雪国』を読む→
■ 参考文献:
●『潮騒(新潮文庫)』(三島由紀夫 昭和30年初版発行 平成21年発行133刷参照)P.5-62、P.199-207 ●『川端康成・三島由紀夫 往復書簡(新潮文庫)』(平成12年発行)P.19-20、P.31-33 ●「『潮騒』のこと」「ボディ・ビル哲学」(三島由紀夫)※『三島由紀夫評論全集 第二巻』(新潮社 平成元年発行)に収録 ●「愛の物語『ダフニスとクロエ』(新ART BLOG)」(アトリエ・ブランカ →)
※当ページの最終修正年月日
2023.6.11
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