空を見上げ、ふと、故人を思う
昭和34年11月29日(1959年。
出版社「博文館」の社長・大橋進一(74歳)が亡くなりました。大橋の世話になってきた山本周五郎(56歳)も式場に向かいます。が、式場には顔を出さず、電信柱のかげから棺を見送ったとのこと。 “常識人”としてのアリバイ作りで葬儀に出る人も多そうですが、 周五郎はそういった「形だけ」が嫌いでした。聖書の一節「施しや祈りは人に気づかれないようにやりなさい」(『マタイによる福音書』(6章2節~)の実践でもあったのでしょう。周五郎は子どもの頃から聖書に親しんできました。
周五郎は妻が亡くなったとき、自宅の本箱を壊し自ら棺桶を作って、自分たちで火葬場まで
曵
いていってます。払う金額によって上・中・下のある「非宗教的(金銭臭のする)」棺桶に納まるよりずっといいですね。
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芥川 文 |
芥川龍之介(35歳)は、昭和2年、自宅の2階で大量の薬を飲み、その後、階下で寝ていた妻の
文
の横に横たわり、絶命。芥川の安らかな顔を見て、文の口から自然に出た言葉は 「よかったですね」。 不謹慎と思う人もいるかもしれませんが、さまざまな“義務”を抱え込んで、苦しい戦いを闘ってきた芥川の苦悩を誰よりも知る彼女には、彼の死が、彼の苦しみの終止符のように思えたのでしょう。魂というものがあるのならば、文の一言で、芥川の魂はどんなにか慰められたことでしょう。
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サトウハチロー |
徳田夢声 |
敗戦直後の昭和21年から放送されたNHKラジオの「話の泉」のアナウンサー・和田
信賢
(40歳)が、昭和27年のとある日、パリで急死しました。ちょうどその日はラジオの収録日。和田と一緒に番組を作ってきた人たちはめいめいに追悼の言葉を語りました。サトウハチロー(49歳)は急遽、追悼の詩を作り読み上げようとしましたが、こみ上げてくるものがあってどうしても読めません。司会の徳川
夢声
(58歳)が代読しました。「こんなすばらしい葬式をしてしまった以上、もうあらためて和田信賢の葬式をする必要はない」とは徳川の言葉。確かに、故人を想い、故人について懐かしく物語る以上の供養はないでしょう。葬儀の盛大さなどは、おそらく弔いそのものとは関係ありません。川端茅舎の葬儀は、兄・川端龍子によって盛大に行われましたが、茅舎を慕う者たちは早々に会場を後にしています。
他を圧倒するデカデカとした墓がありますが、あの世にいってまで何を誇示するのでしょう?
室生犀星は妻の一周忌に、二人の思い出の地に二人の空間を作っています。
“究極の墓”は、宮沢賢治が見出した石川善助の“墓”でしょうか。
石川さんを失つてすでに百日を経た。
いまはもう東京の夜の光の
澱
も、北日本を覆
ふ雨の雲も、かつてこの人が情熱と
憤懣
を載せて、その上を
奔
つた北太平洋もみなこの詩人の墓となつた。 そこでは分つことも割ることもいらない、たゞ
洞然
たる真空の構成、永久の墳墓、永久の故郷である。 しかもこの詩人の
墓銘
はうつくしい。 一頃に七度
衣
を
更
へる水平線も、仙台の
町裏
の暮あいに、円く手をつないで
唱
ふ
童子
らの声も、
凡
そこの人が
高邁
の眉をあげた
処
、
清澄
の
心耳
を
停
めた処
、そこにわれらはこの人の墓銘を読む。・・・(善助の死後、知人らによって編まれた『
鴉射亭
随筆』に賢治が寄せた
弔慰
文より)
行為による“弔い”もいろいろです。
故人の後をついで物事に取り組むのも“弔い”でしょう。故人の未完作を完成させるのも“弔い”。スケッチを残しながらもその完成を見ることができなかった立原道造の「ヒアシンスハウス」が、没後65年して誕生しました。
亡き子や亡き伴侶の無念を晴らす“弔い”もあるでしょう。
山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に出てくる佐八が、長屋のみんなのため身を粉にして働くのも、実は亡き妻への“弔い”でした。
『極道の妻たち』の著者・
家田荘子
さんは、現在、真言宗の僧侶をされています。関東大震災(大正12年)のおり、
火に巻かれた
吉原
遊廓を逃れ、遊郭内の花園池(「吉原弁財天」(東京都台東区千束三丁目22-3 Map→)に一部が残る)に飛び込んで折り重なって死んだ人たちのために、お経をあげ続けていらっしゃいます。
死顔を描くのも“弔い”。
私事ですが、義弟が急逝したおり、ジャズ仲間が楽器を持って通夜の場に集まりました。それを見たお坊様が、葬祭場に掛け合ってくださり、例外的に、葬祭場でのオールナイト・セッションとなりました。故人の喜ぶ声が聞こえるようでした。
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島田裕巳『「墓じまい」で心の荷を下ろす (詩想社新書)』 |
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『おくりびと』(松竹)。監督:滝田洋二郎。出演:本木雅弘、山崎 努、広末涼子、吉行和子ほか。日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞 |
「お葬式」。監督:伊丹十三。出演:山崎 努、宮本信子、菅井きん、大滝秀治、笠 智衆ほか。葬式というタブーに挑戦。その年の映画賞を総ナメにした |
■ 馬込文学マラソン:
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 片山広子の『翡翠』を読む→
・ 村松友視の『力道山がいた』を読む→
・ 川口松太郎の『日蓮』を読む→
・ 辻 まことの『山の声』を読む→
・ 室生犀星の『黒髪の書』を読む→
・ 石川善助の『亜寒帯』を読む→
■ 参考文献:
●「木村聖哉「戦時下の山本周五郎」への反論 ~作家像追究の視点をめぐって」(木村久邇典)※「青山学院女子短期大学紀要(43)」(平成元年11月10日刊)P.58-60 ●『断髪のモダンガール(文春文庫)』(森 まゆみ 平成22年発行)P.86-93 ●『大田黒元雄の足跡 ~西洋音楽への水先案内人~』(東京都杉並区立郷土博物館 平成21年発行)P.46-50 ●『詩人 石川善助 ~そのロマンの系譜~』(藤 一也 萬葉堂出版 昭和56年発行)P.406-407 ●『孤独という名の生き方 〜ひとりの時間 ひとりの喜び〜』(家田荘子 さくら舎 平成29年発行)P.92-101
※当ページの最終修正年月日
2024.3.9
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