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室生犀星が当地(東京都大田区)の映画館で観た「サンセット大通り」「わかれ雲」(五所平之助監督)の一場面。右上の女性は「天国と地ごく」に出演したヴァージニア・メイヨ。「絶えず柔らかい微笑を見せてゐたが、非常に美しい」と犀星が日記に書いている ※「パブリックドメインの映画(根拠→)」を使用 ウィキペディア/サンセット大通り(平成27年9月23日更新版)→ 日本映画の鉄道シーンを語る/83.わかれ雲→ ウィキペディア/ヴァージニア・メイヨ(平成27年1月26日更新版)→
昭和4年3月8日(1929年。 室生犀星(39歳)が、次のように日記に書いています。 ・・・夜、ミヤコ・キネマ見物。 「ミヤコ・キネマ」(「
映画の蘊蓄もあり、昭和7年発表の『青い猿』という小説で犀星(42歳)は、片山広子がモデルと思しき人物を次のように書いています。 ・・・ もちろん映画好きだったのでしょうが、犀星の映画館通いには一つ“秘密”がありました。大森駅近くのアパートで世話をしている女性がいて、映画鑑賞のおり、または映画鑑賞と称して彼女に会うことがあったようです。妻のことも子どものことも彼流に徹底して愛した犀星ですが、そんなこともあったのですね。犀星が死ぬ半年前にそのことを知った犀星の娘で作家の室生朝子は、そのことを恨まず、むしろ「誰をも不幸にしなかった父の『完全犯罪』」と褒め称えて(?)います。
「ミヤコ・キネマ」(「都キネマ」「山王映画」)には、昭和5年に当地(東京都大田区)入りした山本周五郎も足を運んでいます。当地の文学史に詳しい近藤富枝さんによると、周五郎は、「ミヤコ・キネマ」で見た映画「原田甲斐」(甲斐を大忠臣に描いている)にヒントを得て、『樅ノ木は残った』を書いたとか。だとしたら、 「原田甲斐大忠臣説」は周五郎が最初でないことになりますね。 「ミヤコ・キネマ」(「都キネマ」「山王映画」)は犀星の日記に初出する昭和3年にはあり、昭和20年の空襲では火に巻かれたようなので無事であったかどうか。 ・・・みるみる、火の手あがる。壕の周りにゐた者が騒ぎ出した。市場の附近だ。前の石段にあがってみる。山王映画の建物の頭部が見える。そのうしろが火だ。・・・(添田知道の昭和20年4月15日づけ日記より)
大正9年6月、当地(東京都大田区)に松竹蒲田撮影所ができた頃から、全国的に映画の勃興期に入り、今よりもずっと映画館が建ちました。当地にも「ミヤコ・キネマ」(「都キネマ」「山王映画」)の他に、松竹蒲田撮影所ができた年(大正9年)に「大森寿館(後に「大森電気館」)」(大森中)、大正11年には蒲田で初の「蒲田常設館」、関東大震災(大正12年9月1日)後も、「蒲田富士館」「羽田劇場」「旭館(後に「蒲田キネマ」「昭和館」)」(南蒲田)ができました。昭和8年の大森区の地図にある「日活館」「大森劇場」「弥生館」「大森会舘」も映画館でしょうか。 いつ頃できていつ頃なくなったか分かりませんが、「みずほ劇場」(「サウナみずほ」(大森北一丁目34-16 map→)あたりにあったらしい。その隣か同じビルに「大森エイトン劇場」もあったようだ)、「大森ハリウッド劇場」(「カドヤ食品第2駐車場」(山王三丁目1-5 map→)あたりにあったというかまぼこ型の洒落た映画館)、「大森東映」という映画館もあったようです。 現在(平成28年1月18日現在)、当地(東京都大田区)にある映画館は、「テアトル蒲田・蒲田宝塚」「(JR蒲田駅西口のアーケード商店街「サンライズ蒲田」内「東京蒲田文化会館」(西蒲田七丁目61-1 map→ Site→) 4F」、「平和島シネマサンシャイン」(平和島一丁目1-1 ビッグファン平和島 4F map→)、「キネカ大森」(品川区南大井六丁目27-25 西友大森店 map→ Site→)の4館のようです。
南川 潤の小説『風俗十日』で、池上通りのスタンドバーの女給・逸子が、新米マダムと客のデートに付き合わされていく映画館は、「省線(現在のJR)の線路を越した下の町」にあるというので、ガードを越してすぐとしたら、「みずほ劇場」か「大森エイトン劇場」でしょうか。
当地(東京都大田区)にゆかりのある作家で映画をよく見たのは、上に挙げた犀星と周五郎が一番でしょうか。三島由紀夫も一冊の本になるくらい映画評論を書いているので、好きだったのでしょうね。ゴジラも見ていますし、自らメガホンをとり主演したこともありました。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ■ 参考サイト: ※当ページの最終修正年月日
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