明治29年11月12日(1896年。
牧野信一が、小田原駅近く(神奈川県小田原市栄町二丁目8 Map→)で生まれました。
牧野は、早稲田大学に通い、昭和5年からは当地(東京都大田区山王一丁目 22 Map→)に住まうなど、東京暮らしも長いですが、しばしば小田原に戻りました。彼はほとんど旅をしなかったので、人生の大半を小田原と東京で過ごし、そして小田原で自死。
そんな牧野なので、彼の小説にも繰り返し小田原が出てきます。とはいっても、実験的小説を目指した牧野の文学に出てくる小田原は、小田原であっても実際の小田原とはどこか違う。遠い異国の、古の雰囲気があるのは、プラトンやアリストテレスを耽読していたせいなのでしょう。キラキラとしたギリシャ的な光が射す「彼だけの小田原」が立ち現われます。
温かい眼差しの人々や、家並み、木々、小鳥、虫、花々、空の雲や月や虹、その他のあれやこれやと「初めて出会う」“故郷の季節”。何年たっても、何十年たっても、忘れかけても、その時の驚きや感動は体と心に刻まれていることでしょう。
井上 靖が故郷について書いた文章を読むと、境遇は全く違っても、不思議と自分の子どもの頃の心情が蘇ってきます。「ああ、そうそう、分かる分かる」という感じに。
井上は、父親の仕事の都合で、3歳から13歳まで、母親の郷里静岡県湯ケ島に預けられ、土蔵で、「おぬい婆さん」と2人で暮らしました。
「おぬい婆さん」は曾祖父の
妾
だった人で、曾祖父は彼女の将来を考え、
絶家
になった分家を継がせ、後に井上を生む「やゑ」を養女にしたのでした。よって、井上は、全く血のつながりのない“祖母”(「おぬい婆さん」)に育てられることとなります。
曾祖父亡き後、本妻やその子たち(井上からしたら叔父や叔母)は妾(「おぬい婆さん」)を激しく憎み、「おぬい婆さん」は「おぬい婆さん」で、本家の惣領の娘(井上の父親は入婿だった)の長男(井上)を“人質”に取ってそれに抵抗。
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「天城湯ケ島市民活動センター」(旧・湯ヶ島小学校。静岡県伊豆市湯ヶ島117-2 Map→)にある「しろばんばの像」(「おぬい婆さん」と「洪作」の像) |
幼い井上もおぼろげながらにその複雑な関係を感じとり、「おぬい婆さん」側について、本家の人たちに対する反抗心をたぎらせるのでした。そこらへんの子ども心の機微を描いた井上の『しろばんば」には、井上の故郷への思いが詰まっています。
・・・朝眼が覚めると、洪作は必ず、それが朝の挨拶ででもあるように、床の中で、
「おばあちゃん」
と、おぬい婆さんを呼んだ。おぬい婆さんは耳が遠いことになっていたが、不思議にこの“おばあちゃん”と呼ぶ洪作の声だけは、階下にいても、また土蔵の外で炊事をしている時でも、耳さとく聞き分けた。
「おばあちゃん、おばあちゃん」
洪作が二声三声呼んでいるうちに、必ず、
「どっこいしょ、どっこいしょ」
と、階段を上って来るおぬい婆さんのかけ声が聞えて来て、それが終ったと思うと、階段を上りきったところでおぬい婆さんが背を伸ばす姿が見えた。おぬい婆さんはそこで一息入れてから、
「あいよ、あいよ」
とたて続けに返事をして、戸棚をあけ、そにに用意してある紙にひねった駄菓子を持って洪作の枕許へやって来た。
「はい、おめざ」・・・(中略)・・・こうした朝のおめざは、上の家では非難されていた。祖母のたねはよく・・・(井上 靖『しろばんば』より)
故郷・湯ヶ島の井上の文学碑にも、『しろばんば』の一節が刻まれています。
国枝史郎の伝奇小説『
神州纐纈
城』の、日夜、人の生き血で
纐纈布
を染める仮面の城主も、ある日、ふと、少年だった日々を思い出し、押さえがたい望郷の念に駆られ“故郷”を目指します・・・
そんな“故郷”とも敢然と決別しようとしたのが、室生犀星です。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや・・・
(室生犀星「小景異情」より)
犀星23歳の時の作品です。都会での生活がどんなに苦しくても懐かしい“故郷”に縋ってはならない。独り、強く生きぬかなくてはならないとの決意でしょう。犀星の幼少期は凄まじかったので、「帰るところにあるまじや」には、何割かの悲しみと憎悪が含まれているかもしれません。
これらの犀星の詩に大感動したのが萩原朔太郎です。朔太郎は犀星の詩をほとんど
諳んじていたそうです。“故郷”に対してやはり屈折した思いのあった朔太郎ですから、琴線に触れてくるものがあったのでしょう。
中原中也も“故郷”に対する複雑な心情を次のように表しています。
・・・これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
(中原中也「帰郷」より)
“故郷”は、「慰めが得られる場所」であると同時に、「問われる場所」でもあるのでしょう。その後、お前はどうしたか? と。
概
ね偶然なのでしょうが、榊山 潤も山本周五郎も昔住んでいた横浜を最後の地とし、三島由紀夫も、生まれた地(東京都新宿区四谷四丁目22 Map→)のすぐ近く(陸上自衛隊「市ヶ谷駐屯地」)で死にました。その距離はわずか1kmほどです。“故郷”の引力の影響が数パーセントはあったでしょうか。
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ビートルズ 「マジカル・ミステリー・ツアー」。ビートルズには原点に戻れ(get back)のメッセージが散見される。このアルバムには、ジョンが故郷を歌った「Strawberry Filds Forever」(YouTube→)と、ポールが故郷を歌った「Penny Lane」(YouTube→)が並ぶ |
ボブ・マーリー「ライヴ !」。昭和50年の伝説的なロンドン公演を録音「。ボブとウェイラーズの原点「Trench town Rock」(YouTube→)、ジャマイカのトレンチタウンの路上で
粥
(コーンミール)をすすった経験を織り込んだ「No Woman, No Cry」(YouTube→)を収録 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 牧野信一の『西部劇通信』を読む→
・ 井上 靖の『氷壁』を読む→
・ 国枝史郎の『神州纐纈城』を読む→
・ 室生犀星の『黒髪の書』を読む→
・ 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→
・ 中原中也の「お会式の夜」を読む→
・ 榊山 潤の『馬込文士村』を読む→
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
・ 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
■ 参考文献:
●『牧野信一全集<第六巻>』(筑摩書房 平成15年発行)P.43、P.632、P.634、P.644-645 ●『牧野信一と小田原』(金子昌夫 夢工房 平成14年発行)P.3-5 ●「井上 靖評伝」(曾根博義)※『井上 靖(新潮日本文学アルバム)』(平成5年発行)P.4-15 ●『切なき思ひを愛す(室生犀星文学アルバム)』(編:室生犀星文学アルバム刊行会(原 祐子ほか)
菁柿堂
平成24年発行)P.115 ●『歴史作家 榊山 潤』(小田 淳 叢文社 平成14年発行)P.143-170 ●「訪ねてきてくれた友だち(馬込文士村 22)」(谷口英久 ※「産經新聞」(平成3年3月28日号)掲載
※当ページの最終修正年月日
2024.11.12
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