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昭和30年7月4日(1955年。
三島由紀夫(30歳)が、東海道本線で熱海に行き、「熱海ホテル」(「 アラン・フルニエは、27歳のとき、第一次世界大戦でドイツ軍との戦闘中に消息をたち、出版された小説はこの『モーヌの大将』のみ。でも、この一篇は広く読まれ、現在に至るまで様々に批評されてきました。 19世紀末のフランスの田園の学校に住まう15歳の少年の「私」。両親はその学校の教師で、家族はつましい生活を送っていました。その学校に、2つ年上の大人びた少年(その雰囲気から“モーヌの大将”と呼ばれる)が転入してきます。服にかぎ裂きを作ったくらいでも親に叱られる「私」は、授業を抜け出して馬車を無断で出して冒険に出る“モーヌの大将”にひかれ、次第に彼の冒険に巻き込まれていくのでした。生真面目な少年が、ちょっと“ワル”に憧れる心情は、万国共通でしょうか。この『モーヌの大将』を三島は10代で一度読み、この熱海滞在中に再読、改めて感動しています。いい作品は一度読んでお終いではもったいないですね。 三島は2ヶ月前の5月に「ランボウ論」を書き、同じ7月には『ラディゲの死』を出しています。アラン・フルニエも、ランボー(ランボウ)も、ラディも皆早死です。ラディゲなどは大正12年にわずか20歳で亡くなっています。三島という人は、才能ある人の アラン・フルニエが 『モーヌの大将』を書き始めたのが大正2年で26〜27歳、三島が再読したのが30歳で近いです。いっそぴったり今の自分の年齢で書かれた作品を読んで見るのはどうでしょう。同年齢なのにこんなにスゴイ!と打ちのめされてみるのもいい経験かもしれません。 ●ラディゲ(16歳)の『肉体の悪魔』(Amazon→) 『モーヌの大将』は、アルビコッコ監督が、「さすらいの青春」(Amazon→)というタイトルで映画にしています。映画と原作を比べるのも面白いです。映画は原作の解釈であり、その発展。昭和43年公開の映画なので、三島も観たでしょうか? 三島が読んだのはアラン・フルニエが大正3年に行方不明になって40年ほど経っています。
作家の最初の作品と最後の作品を比べるのも面白そう。“別の作家”に生まれ変わっているかもしれません。 「作品の場」(作家が生きた場所や作品の舞台)がイメージできると俄然面白くなってきますね。このサイト(「馬込文学マラソン」)もその楽しさに気づいて始めました。 自分と同年齢の現役の作家の作品は、体験した時代が共通しているので共感できる点が多く、また、自分が見落としている視点や感覚に気づくきっかけともなるでしょう。 今、閉塞感を覚えるのなら、「遠い本」にチャレンジしてみてはいかがでしょう。大きな発見があるかもしれません。今まで全く興味を持たなかった分野の本や、難解そうで自分には絶対無理と思い込んでいる本や、何冊もある大作、あまり馴染みのない地域の作家の本(アジアやアフリカやイスラム圏の作家の本なども)など、直感で「コレだ!」と思ったら、今、ネットで注文してしまいましょう(出版社には注意。ロクでもない出版社の本をつかむと何年か(洗脳されたら一生)遠回りすることになるかも)。大作は時間のある若いうちか退職後にしか読めないと言う人がいますが、毎日、一段落ずつでも読んでいけば、いつかは読み終わります。チンプンカンプンな箇所があっても、先へ先へ。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |