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毎日やる(昭和27年4月20日、徳富蘇峰が『近世日本国民史』全100巻を完結- 今日の馬込文学/馬込文学マラソン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳富蘇峰

昭和27年4月20日(1952年。 徳富蘇峰(89歳)が、 『近世日本国民史』全100巻Amazon→)を完結させました。

明治天皇の崩御で執筆を決意、「明治」という時代を書くのが目的でしたが、明治を書くにはその成因を作った江戸時代を書く必要を感じ、さらには安土桃山時代の織田信長あたりまで遡って起筆。そして、木戸孝允の死(明治10年)、大久保利通の死(明治11年)をもって完結させました。

「思ひ立つては早速着手する」を流儀とした蘇峰は、明治天皇崩御の翌年(大正2年。蘇峰50歳)から着手しますが、大正5年に父親(徳富 一敬かずたか )を亡くし、大打撃を受けて気力を喪失。2年後の大正7年、『日本外史』全22巻を著した頼 山陽が53歳で亡くなったことを思い、55歳になっていた蘇峰は、もう遅いかもしれないと思いつつも再度筆をとります。板垣退助、山県有朋、勝 海舟、大隈重信、伊藤博文、乃木希典といった人と直接交渉があった人がそういるわけでもなく(蘇峰はこれらの人物に実際に会っている)、自分にしか書けないとの思いを強め、猛然と筆を進めました。

その後の34年間、 蘇峰は、旅行のときもカバンに資料を詰め込んで持ち歩き、病気になっても筆をとり、息子が死んだ日も書き、戦後執筆を禁止されて出版の見込みがなくなっても口述筆記しています。連載回数は実に約1万2千回。原稿用紙に換算すると約24万枚、総ページ数約4万2千、総文字数約1千9百万という 大著たいちょ となりました。

辻村もと子(17歳)と父・直四郎(54歳)。大正12年 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『辻村もと子 〜人と文学〜』(いわみさわ文学叢書) 『近世日本国民史』 の原稿の山。これでもまだ38巻分 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『蘇峰自伝』(中央公論社 昭和10年)

蘇峰が当地(旧居「山王草堂」(現「山王草堂記念館」(東京都大田区山王一丁目41-21 Map→ Site→)に住んだ大正13年から昭和18年までの約19年間は、まるまる『近世日本国民史』の執筆期間に含まれます。「山王草堂」の敷地に 成簣堂せいきどう という鉄筋3階(地下1階)の書庫が作られ、10万冊もの和漢書が収集され、執筆の資料に供されたとのこと。成簣堂に集められた本は、現在、「石川武美たけよし 記念図書館(旧「お茶の水図書館」。東京都千代田区神田駿河台二丁目9 Map→ Site→)内の「成簣堂文庫」として保管されているようです。

『近世日本国民史』は起筆から順次発行されていきましたが、アナキストの大杉 栄も獄中で読みふけり、正宗白鳥菊地 寛久米正雄、吉川英治、山本有三らも愛読、芥川龍之介も自死する半年ほど前、病状がすすむ中で必死に読んでいます。日本共産党シンパの松本清張も、カトリック信者の遠藤周作も読んだそうです。渡部昇一は院生のとき『近世日本国民史』を50巻まで買ったそうです。問題は置き場所。床に敷こうとしますが、二人部屋だったので相方を思うとさすがにできず、実家に送って帰省のおりにむさぼり読んだとのこと。

これだけの“仕事”を残すには、やはり「毎日やる」覚悟が必要でしょうね。

宇野千代

宇野千代は言います、小説は誰にでも書けます、と。けど、「毎日、ちょっとの時間でも、机の前に座ること」は必要とも。名ゴルファー・尾崎将司さんも、練習は元旦からやる、と書いていました。村岡花子をモデルにしたNHK連続テレビ小説「花子とアン」Amazon→では、息子が亡くなった直後に仕事の筆をとる村岡が夫にたしなめられる場面がありました。でも、おそらくは、村岡の方が“正しい”です。吉本隆明いわく、「10年間毎日続けたらだいたいのことはそれなりに“ものになる”」。

「毎日やる」の第一のコツは、すぐ始めることです。気が乗らないでも、すぐ始める。やる気はやっているうちに出てくるものなので。「習慣の力」が働き出せば、毎日大決心して「さあ、やるか!」とやらないでも済みます。

もう一つのコツは、やり過ぎないこと。小説家の藤本義一ぎいち が、毎日の読書は20ページに決めていると書いていました。仮に興が乗ってもそれ以上は読まない、と。「もっと読みたい」という気持ちを抑える抑制心が培えるし、限られた分量に集中できるし、「もっと読みたい」という気持ちが明日の読書の楽しみ・明日の読書への意欲にもなることでしょう。

・・・純文学の原稿は、一日三枚と決まっていました。それ以上書くと、筆が滑るというのです。休みというものは、一日もありませんでした。大みそかの除夜の鐘は、いつも書斎。一人で池上本門寺の鐘を聴いていました。・・・(平岡瑶子(三島由紀夫夫人)の言葉)

・・・努力とは息をするように続けられること、無理をしないこと。息をすることです・・・(将棋棋士・永瀬拓矢) ※インタビュー(livedoorNEWS/スポニチアネッスク 令和元年4月2日配信)より)

手始めに、新聞小説を毎日読み、切り抜いてみてはどうでしょう?

・・・(said, I know) we can make it work
we can make it work(go now)

Five days to go working for next day
Four days to go(now)working for next day(said, we got)
Three days to go(lord)working for next day(said, we got)
Tow days to go working for next day
(Say, we got)One day to go(now)for next day
Every day is work, to work・・・

・・・(いいかい)ぼくたちは成し遂げることができるんだよ
ぼくたちは成し遂げる(今からやろうよ)

明日のために5日間やる、
明日のために4日間やる(今からだよ、いいかい)、
明日のために3日間やる(主よ!)(いいかい)、
明日のために2日間やる、
明日のために今日もやる(今からだよ、いいかい)
毎日やるさ・・・(ボブ・マーリー「Work」より)

北方謙三『黙約 〜ブラディ・ドール〜(角川文庫)』。決めたことを毎日、例外なくこなす。同じ時刻にバーに現れ、毎日、一杯のバーボン。約束を破らない人たち 「行 〜比叡山 千日回峰〜(NHK特集)。「毎日やる」の極み。怪我しようが、重い病にかかろうが、その日、やり通せなければ、自刃する覚悟。だから、白装束で歩く
北方謙三『黙約 〜ブラディ・ドール〜(角川文庫)』。決めたことを毎日、例外なくこなす。同じ時刻にバーに現れ、毎日、一杯のバーボン。約束を破らない人たち 「行 〜比叡山 千日回峰〜(NHK特集)」。「毎日やる」の極み。怪我しようが、重い病にかかろうが、その日、やり通せなければ、自刃する覚悟。だから、白装束で歩く
カール・チェルニー『ツェルニー 〜毎日の練習曲〜』(全音楽譜出版社) 佐々木典士(ふみお)『ぼくたちは習慣で、できている。(増補版) (ちくま文庫)』
カール・チェルニー『ツェルニー 〜毎日の練習曲〜』(全音楽譜出版社) 佐々木典士ふみお 『ぼくたちは習慣で、できている。(増補版) (ちくま文庫)』

■ 馬込文学マラソン:
子母沢 寛の『勝 海舟』を読む→
芥川龍之介の『魔術』を読む→
宇野千代の『色ざんげ』を読む→
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考文献:
●『近世日本国民史 織田氏時代』徳富猪一郎 民友社 大正7年発行)P.1-8 ●『蘇峰自伝』(徳富猪一郎 中央公論社 昭和10年発行)P.461-468  ●「徳富蘇峰が34年をかけて書いたライフワーク 「近世日本国民史」」(久恒啓一)今日も生涯の一日なり→ ●『馬込文士村 No.31』(谷口英久)※「産経新聞(東京みなみ版)」(平成3年5月10日)に掲載 ●『蘇峰と「近世日本国民史」』(杉原志啓 都市出版 平成7年発行)はしがき ●『私の見た人(朝日文庫)』(吉屋信子 昭和54年発行)P.24 ●「徳富蘇峰『維新への胎動』」(松岡正剛の千夜千冊→ ●「芥川龍之介 片山廣子 関連書簡16通(編:やぶちゃん)」心朽窩旧館→ ●「近世日本国民史の電子書籍化」(松葉佐優)をちこち犬の吠ゆるころ→ ●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.174  ●「折々の言葉(1610)」※「朝日新聞(朝刊)」(令和元年10月14日号)掲載

※当ページの最終修正年月日
2024.4.20

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