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昭和13年3月15日(1938年。
火野 汲取り業者の話。主人公は人から「臭い」と差別されても、やんわりと笑いで返し、また、資金繰りに苦労しながらも、仕事に誇りをもって誠実に踏ん張っていました。しかし、しだいに、地域の政党勢力の対立に巻き込まれていきます。途中、救い主のような人も現れますが、結局はその人にもいいようにされ、読んでいて
この小説で、火野は第6回芥川賞を受賞。日中戦争中で、火野は中国の
火野が受賞して、芥川賞を取り損ねたのが間宮茂輔(39歳)です。間宮は、審査員の宇野浩二(47歳)から「九分九厘まで入賞」と連絡を受けていながら、受賞を逃しています。戦場で「御国のために闘っている」火野と、非合法下の共産党に関与してあしかけ4年もブタ箱に入れられた間宮とでは、作品の良し悪し以前に、前者に 糞尿は、どの人にも身近で切実なはずですが(ジャック・シムさんによると人一人平均して1年に2,500回ほどトイレに行き、人生の3年間はトイレにいる計算)、「わたしには関係ございません」という顔をされがち。トイレを「はばかり」といいますが、まさに 芥川龍之介の『好色』も傑作です。平安前期の
当地(東京都大田区)も戦中、激しく空襲されますが、そんなさ中も当地に留まった添田知道が、日記に次のように書いています。 ・・・庭の穴に、便所をくみ出して埋める。・・・(中略)・・・それを訊ねると、組長にもはっきりしないといふ。まこと以て不明朗なり。既に二ヶ月汲取りなし。みな汲み出して空地へ埋め、あるいは深夜溝に流しなどしてゐる。曇天の日は町中が臭いのだ。アメリカより糞ぜめは参る。・・・・(添田知道『空襲下日記』より) 戦争をリアルにイメージするには、こういった“臭い”も加味する必要があるでしょう。 戦場での用足しはどんなでしょう。レマルクのベストセラーの反戦小説『西部戦線異常なし』は当地(東京都大田区)に住まう秦 豊吉によって初めて和訳されますが、この作品にも、けっこうトイレの場面があります。 ・・・軍隊の共同便所へはいるのが実に恥かしかったものだ。扉というものはありゃしない。おまけに二十人ばかりが隣り合って汽車の中のように腰掛けるのである。もちろん一と目でずらりと見渡せる。……兵隊というものは、いつでも監視を受けていなければいけないものだ。・・・(中略)・・・こうして戦場へ出ていると、糞をすることなんぞも、まさに一つの快楽だ。・・・(中略)・・・とにかくそうして糞をするときが、実に本当の無念無想の時間だ。頭の上は青空である。遥か地平線には、黄色い繋留気球がきらきら光って浮いている。それから榴散弾の白い小さい雲が飛ぶ。・・・(以上、レマルク『西部戦線異常なし』より。訳:秦 豊吉) 大森貝塚の発見者・モースは、3度日本に来て長期滞在しています。彼は著書『日本の住まい』(Amazon→)で、西欧諸国に無理矢理開国させられ、そればかりかそれらの国から低く見られている日本に痛く同情し、日本文化の優れている点を糞尿処理などを例に説きました。糞尿を肥やしとして利用していることに触れ、そのリサイクルシステムを賞賛。一方、日本になかった婦人専用トイレの必要を説き、日本で初めてそれを作らせたとか。東京大学で生物学を教えていたモースは、いずれは女性も入学することを見越したようです。日本のトイレ文化は今も国際的に評価が高く、国連で「世界トイレの日」を制定したシンガポールのジャック・シムさんは、「日本の最大の輸出資源はトイレ文化」と言い切っています。トイレの不十分さが伝染病やレイプの大きな原因になっているとのことです。
当地の郷土博物館(東京都大田区南馬込五丁目11-13 Map→ Site→)の館長に、昭和54年〜平成13年、「トイレ学」の権威・西岡秀雄(慶応大学名誉教授。『トイレットペーパーの文化誌』(Amazon→)という著作も)が就任しています。その関係からか、当館で、平成2年に企画展「トイレ考 〜厠からTOILETへ〜」、平成8年に企画展「考古学トイレ考」を開催、注目を集めました。トイレの遺構からは、先史時代の人々の食生活、病気の種類、健康状態、生活環境までが推測できるようです。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |