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昭和11年10月20日(1936年。
、高見 順(29歳)の『
完結しない状態で第1回芥川賞(昭和10年)の候補に挙がりますが、その後、あまりに恥ずかしくて先が書けなくなったという代物。武田麟太郎(31歳)の強いすすめで続きが書かれ、翌昭和11年3月に武田が創刊した「人民文庫」の創刊号に掲載されて一応完結、単行本になりました。
恥ずかしさで書きつなげなかったのは、この作品で高見は、複数の登場人物の言動をかりて、自身を克明にさらけ出したからです。「文学的情熱」といった高尚な(?)ものではなく、自分の中の「汚い臭い奴」「ドロドロした眼をあてられない奴」をゲロを吐くように吐き出したからでしょう、時間の流れの前後が入り乱れ、何十行も改行がなかったり、地の文と会話文が混然とし、小説の中に著者が登場したり、と型やぶれな手法が多々見られ、現代文学を予感させる作品となりました。
同作に出てくる「文学青年」の妻は酒場で女給をしており、酒場の客と半同棲状態です。実際、高見も、似た境遇でした。
タイトルにある「故旧(こきゅう)」は、旧知(古くからの知り合い)のことですが、「昔からの友はいいなぁ〜」といったほのぼのとしたものを求めてこの本を手にしないほうがいいです。「こきゅう」とは、フランス語だと「cocu(コキュ)」で、“妻を寝取られた男”です!
高見もそうでしたが、「コキュ(cocu)」の苦悩やら精神的危機はただごとでないようです。
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志賀直哉の『暗夜行路』でも、主人公の謙作が長期旅行している間に、新妻の直子が従兄と過ちを犯します。それを知った謙作は、感情を押さえようとしても、抑えきれません。以下の文は、謙作が乗るすでに動き出した汽車に、直子も乗ろうとする場面。
・・・「危いからよせ。もう帰れ!」
「赤ちやんのお乳があるから・・・」
「よせ!」
直子は無理に乗らうとした。そして半分引きずられるやうな格好をしながら
直子は従兄と関係を持ってしまったことを強く悔やんでおり、今、謙作の乗る汽車に乗れなかったら、それこそ本当のお別れになると切迫した気持ちで、ムキになって汽車に乗ろうとしたのでしょう。切ない場面です。今では、謙作も「DV夫」になるのでしょうか?
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太宰 治の『人間失格』(Amazon→)にも、生々しい「コキュ(cocu)」の場面があります。本心を隠しながら道化のように生きる「自分」は、自己嫌悪しつつも、そんな自分から逃れられずにいます。そんな牢獄のような人生を送る「自分」にも、一人の人を疑うことを知らない無垢な女性との出会いがあり、明るい兆しが見え始めるのでした。ところが、残酷なことに、彼女が犯される。
・・・自分の部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が見えます。電気がついたままで、二匹の動物がいました。
自分は、ぐらぐら目まいしながら、これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、おどろく事は無い、など
「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思い知ったろう。もう、おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地獄だ。・・・(太宰 治『人間失格』より)
ビートルズの「ホワイトアルバム」(正式名称は「ザ・ビートルズ」。10作目のオリジナル・アルバム。昭和43年発売。2枚組。Amazon→)に「
And now Rocky Raccoon, he fell back in his room
Only to find Gideon's Bible
Gideon checked out and he left it no doubt
To help wiht good Rocky's revival
(The Beatles「Rocky Raccoon」より)
そして、ロッキー・ラクーンは部屋にすごすごと退散さ
部屋には「ギデオンの聖書」(ギデオン協会がホテルに無料配布している聖書)があるだけ
ギデオン(『旧約聖書』の「士師記」に出てくる勇者)がチェックアウトする時に置いていったものに違いない
善良なロッキーが立ち直れるようにと
(ビートルズ「ロッキー・ラクーン」より)
敗者(「コキュ(cocu)」)への眼差しが温かい。
倉本 聰作品にも「コキュ(cocu)」が出てきます。映画「駅」(Amazon→)の英次(高倉 健)や、ドラマ「北の国から」(Amazon→)の五郎(田中邦衛)もそうでした。寝取られる側が相手を深く愛していればいるほど、その時受ける傷は深く大きなものになります。
「源氏物語」には多種多様な愛の形が出てきますが、桐壺帝は、実の息子(光源氏)に、妻(光源氏からしたら義理の母)を寝取られちゃいます。
それにしても、寝取られるのはなぜか男ばかりで、女の場合、寝取られるとはあまり言われません。長い間、男が外に女を作ったり、複数の妻を侍らせるのが「男の甲斐性」などと褒め称えられていたので、女の場合は、寝取られてもことさら「寝取られた」と言われなかったのでしょう(「取る」は「盗る」とも読め、否定的な意味がこもる)。かりに夫を寝取られて、怒ったり、絶望したりしている女がいようものなら、嫉妬深いと言われてきたのでしょう。「嫉妬」の漢字がともに女偏というのが、そこらへんの経緯をよく物語っています(だからといって「嫉妬」という漢字を問題視して“狩って”しまうのは問題。「嫉妬」という漢字で過去を知り、乗り越えていけばいいわけで)。
島尾敏雄の自伝的小説『死の
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| 堀江 |
『旅路の果て」。監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ。妻を寝取られ失意の中で俳優人生を終わらせた名優と、彼の妻を寝とった人気俳優とが、同じ養老院に住むことになる・・・ |
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| 「死の棘」。原作:島尾敏雄、監督: |
■ 馬込文学マラソン:
・ 高見 順の『死の淵より』を読む→
・ 志賀直哉の『暗夜行路』を読む→
■ 参考文献:
●『高見 順(人と作品)』(
※当ページの最終修正年月日
2024.10.20