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※「クリエイティブ・コモンズ 表示-継承」ライセンスのもと提供されている写真を使用 作者:NORITO,S 昭和27年5月10日(1952年。 モンゴメリの小説『赤毛のアン』の初の日本語訳が出版されました。翻訳したのは当地(東京都大田区中央三丁目12-4 Map→)に住んでいた村岡花子(59歳)です。 村岡がカナダの宣教師ミス・ショー(村岡は大正15年頃(33歳頃)、キリスト教関係の本を出版している銀座の教文館で翻訳・編集をしていた。その頃の同僚)から『赤毛のアン』の原書『Anne of Green Gables(「緑の屋根」(屋号)のアン)』を贈られたのは昭和14年。第二次世界大戦が始まった年です。ドイツ側についた日本はカナダとも敵対します。日本にいられなくなったミス・ショーが日本を去る際、友情の印に贈ったそうです。 戦中、英語は「敵性語」とされ、英語の本は焼かれ、英単語は日本語に置き換えられました。村岡の母校「東洋英和女学校」も「東洋永和女学校」に改変させられます。英語で書かれた本を持っているだけでも「国賊」「非国民」(今でいう「反日」)という言葉がぶつけられました。村岡の家にも石が投げ込まれ、ガラスが割れ娘のみどりが怪我しそうになったこともありました。 それでも、村岡は、戦中(昭和18年末頃)から、『Anne of Green Gables』を訳し始めます。 村岡が住んでいたあたり(東京都大田区中央三丁目あたり)も、昭和19年末頃から空襲に見舞われます。それでも疎開しないで当地に留まったのは、戦火から『Anne of Green Gables』などの書籍を守るためでもありました。娘のみどりの娘・村岡恵理さんが次のように書いています。 ・・・花子の人生の友である蔵書は洋書が多く、それらの本を持ち出すことは不可能で、花子は行李に入れて庭に埋めたり、防空壕に隠していた。花子は住みなれた大森にとどまった。憲兵や特高が目を光らせ、密告者も横行していた。ファンを名乗って訪ねてくる密偵がいるらしい、と文学者仲間から注意をうながされた。 日本が敗戦する昭和20年頃には訳し終えたようですが、「敵対した国」(カナダ)の文学を即座に出版するのは憚られたのでしょう。昭和27年4月28日、「サンフランシスコ平和条約」が発効し、日本の独立が部分的に回復しますが、その12日後、『Anne of Green Gables』の日本語訳(『赤毛のアン』)が日の目を見ます。
『赤毛のアン』の原著、モンゴメリ(33歳)の『ANNE OF GREEN GABLES』が米国で出版されたのは、日本語版が出る44年前の明治41年6月。「ある夫婦が孤児院の男の子を養子にしようとしたところ、間違って女の子を養子にしてしまった」という新聞記事から着想し、カナダのプリンス・エドワード島(Map→)での自らの少女時代の記憶も重ね合わせて書かれました。アンのように生後3ヶ月で両親を失ったわけではありませんが、モンゴメリも生後1年と9ヶ月で母を失い、その後は母方の祖父母に預けられたので、似た境遇です。 出版4ヶ月後の明治41年10月、マーク・トウェイン(72歳)が「なんて愛らしいんでしょう。こんなに活発で、愉快な子は、かの傑作「アリス」以来」とモンゴメリに手紙しています。『トム・ソーヤーの冒険』(Amazon→)の作者もアンの愛らしさにはノックアウト! とはいってもアンの愛らしさは、見た目の“かわいさ”ではありません。『ANNE OF GREEN GABLES』の最初の方にこんな文章があります。 ・・・A child of about eleven, garbed in a very short, very tight, very ugly dress of yellowish white wincey. She wore a faded brown sailor hat, and beneath the hat, extending down her back, were two braids of very thick, decidedly red hair. Her face was small, white, and thin, also much freckled; her mouth was large and so were her eyes, that looked green in some lights and moods and grey in others.・・・ ・・・年は十一歳ぐらい。着ている黄がかった灰色のみにくい服は、綿毛混織で、ひどく短くて、きゅうくつそうだった。色あせた茶色の水兵帽の下からはきわだってこい赤毛が、二本のあみさげになって背中にたれていた。小さな顔は白く、やせている上に、そばかすだらけだった。口は大きく、同じように大きな目は、そのときの気分と光線のぐあいによって、緑色に見えたり灰色に見えたりした。・・・(村岡花子訳) さらには、極めておしゃべりで、アホな失敗もたくさんします。なのに、最高に愛らしいのです。 『赤毛のアン』は、児童文学・少女小説に分類されることが多いようですが、大人にも、むろん男性にもおススメです。『ANNE OF GREEN GABLES』の初の和訳、村岡版が有名ですが、他にも松本 平成26年、村岡の半生を下敷きにしたNHKの連続テレビ小説「花子とアン」(Amazon→)が放送されました(脚本は快作「ハケンの品格」(Amazon→)の中園ミホさん。主演は吉高由里子さん)。村岡は大正8年(26歳)から昭和43年(75歳)に死去するまでの約50年間当地(東京都大田区中央三丁目)に住んでいたので、ドラマでも当地と思しき場面がしばしばあって、当区では区を上げて盛り上がりました。村岡版『赤毛のアン』の中の「 『赤毛のアン』は最初 「窓辺に アンにとって「赤毛」はコンプレックスの種でしたが、案外、本人が自分の欠点と思っているところが人からは“魅力”ってことも多いかもしれませんね。 ・・・「もし私が、マシューが最初に手配したとおり、男の子だったら」アンは悲しそうに言った。「今ごろたくさん手伝ってあげて、いくらでも仕事を楽にしてあげたのに。だから、私が男の子だったらよかったのにって思うわ」
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |