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ノーベル賞をめぐる二人(川端康成と三島由紀夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和43年10月17日、川端康成(左)の受賞決定の報に接し、三島由紀夫(右)が鎌倉長谷の川端邸に駆けつけた ※別冊一億人の昭和史 『昭和文学作家史』(毎日新聞社)より

 

昭和43年10月17日(1968年。 川端康成(69歳)のノーベル文学賞受賞が決まりました。

日本的な心を独特な詩的表現で著した『雪国』『千羽鶴』『古都』などの作品が高く評価されたのです。川端作品は昭和30年代から海外でもよく読まれるようになっていました。

しかし、ドナルド・キーン(当時46歳)は、この受賞を“おや?”と思ったそうです。 三島由紀夫(当時43歳)が2度候補に挙がっており、最有望視されていたからです。

当日の川端の受賞の弁にも 「三島君のお陰」 という謎の多い言葉がありました。

川端の作品のいくつかに三島が関わったとする説がありますが、まさかそのことを言っているわけではないでしょう。とはいっても、川端作品のいくつかには伊藤整、中里恒子※1、龍胆寺雄、瀬沼茂樹らが関わったというので、三島がその一人であっても驚くことはありません。 明治以降の文壇では、代作はさほど珍しくなく、する方にもさせる方にも罪の意識はなかったようです。 「忙しい時のアウトソーシング」 ぐらいの感じでしょうか。また、有名作家が駆け出しの作家に名前を貸して仕事を回してあげるという援助の側面もあったといいます。面倒見がいい川端ですから、そんなこともあったのでしょう。川端自身も、菊池寛の『不壊の白玉』などを代作したと言われます。読者はその作家が書いたと思いこんで読むわけで、読者を騙すのはけっして良いことだとは思いませんが・・・。

もうひとつ 「三島君のお陰」 という言葉についての推測ですが、三島が賞から身を引いて川端に譲ったということもあったでしょうか。 12日前の10月5日、おそらくノーベル賞選考たけなわというときに、三島は私的軍隊「盾の会」 を立ち上げています。 このことが、インターナショナルなノーベル賞の選考に影響しないわけはなく、またその影響を三島が考えないはずもありません。譲ったというよりも、そもそも三島はノーベル賞などほしくなかったのではないでしょうか? この賞のイメージで自身をしばりたくなかったのではないでしょうか?三島が身を引いたからとて川端が受章するというものでもありませんが、三島が受章しなければ、川端が受章する可能性が多少は高まるでしょう。これには反論もあり(というよりむしろそちらの方が定説のようですが)、三島はノーベル賞がほしく、川端の受章にたいへんショックを受けたのだと。

さらに一つは、7年前の昭和36年、三島がノーベル賞の主催者あてに川端の推薦文を書いています。 「三島君のお陰」とはそのことなのでしょうか。

ともあれ、川端が受賞し、三島は受賞しませんでした。

川端の受賞後、親密だった二人は急に疎遠となり、そして2年ほどして三島が自ら命を絶ち、さらに1年半ほどして川端も同じ道をたどります。 ノーベル賞をめぐるあれやこれやが、彼らの異なる生き方を明瞭にし、それを加速させたのではないでしょうか。

※1 : 川端の『乙女の港』は中里恒子が下書きを書いた

『川端康成・三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)』 瀧田夏樹 『川端康成と三島由紀夫をめぐる21章』
川端康成三島由紀夫往復書簡 (新潮文庫)』 瀧田夏樹 『川端康成三島由紀夫をめぐる21章』
川端康成 『雪国 (新潮文庫)』 川端康成 『雪国(英文版)―Snow Country (タトルクラシックス)』
川端康成 『雪国 (新潮文庫)』 川端康成 『雪国(英文版)―Snow Country (タトルクラシックス)』

■ 馬込文学マラソン:
川端康成の 『雪国』 を読む→
三島由紀夫の 『豊饒の海』 を読む→

■ 参考文献:
・ 「サイデンステッカーキーン両氏が回想録 川端三島の秘話明かす」
 (「朝日新聞」平成18年2月8日)

・ 別冊1億人の昭和史 『昭和文学作家史』
  (毎日新聞社 昭和52年発行) P.129-133

・ 『<盗作>の文学史 市場・メディア・著作権』
 (栗原裕一郎 新曜社 平成20年発行) P.36-39

・ 『三島由紀夫 研究年表』
 (安藤武 西田書店 昭和63年発行) P.267-268

・ 『川端康成 三島由紀夫 往復書簡(新潮文庫)』(平成12年発行)P.239

■ 参考サイト:
ウィキペディア/ノーベル文学賞→
ウィキペディア/盾の会→
ウィキペディア/ゴーストライター(平成24年10月15日更新版)→
毎日新聞/オピニオン/余録:文芸春秋を創設した作家、菊池寛には他人が代作し…(平成26年02月07日)→

※当ページの最終修正年月日
2017.6.12

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