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昭和18年2月12日(1943年。 倉田百三(52歳)が、当地の自宅(現・安田眼科(東京都大田区南馬込三丁目37-18 map→))で、看護人が病床を離れたわずかの間に、帰らぬ人となりました。 晩年倉田は次のように書いています。 ・・・近代知性は冷やかに死後の再会と つらい時、そういった「再会のビジョン」が大きな慰めになるのは確かでしょう。
当地(東京都大田区)で古書店「山王書房」を開いていた関口良雄は、死ぬ1週間ほど前(関口59歳)、妻の顔をじっと見て 「良くおぼえておくんだよ」 と言ったそうです。そう、覚えていれば、この世にいなくなってもその人に呼びかけることができるのです。その「再開のビジョン」が残された人たちの救いや慰めになることでしょう。
新島 襄(46歳)が、妻の八重(44歳)や、駆けつけた徳富蘇峰(26歳)に残した言葉も、「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」。
三島由紀夫の『豊饒の海』第一巻「春の雪」で、青年が友人に残した言葉も、 「今、夢を見てゐた。又、会ふぜ。きつと会ふ。 でした。二巻目以降、青年は様々な姿に転生し(転生したと考えられ)、友人の前に現れ、時空を超えた壮大な物語となります。
山本周五郎の『樅ノ木は残った』にも、黙って一人死んでいった男と、その男をただ一人理解した少女との感動的な“再会”の場面が用意されています。 加川 良の名盤「教訓」(Amazon→)に入っている「その朝」にも、 ・・・やがて俺達 といった一節があります。今がどんなにつらくっても、一人ぼっちでも、死んでしまいそうでも、死んだら、また「母ちゃん」に会えるのですね。 再会できる(会える)までは、イメージの中でその人に語りかける。それが、“祈り”のような気がします。 一緒に生活した人でなくてもいい。憧れの人であってもいいし、本の中の人、たとえば「赤毛のアン」でもいいし、「星の王子様」でもいいし、『レ・ミゼラブル』(Amazon→)のミリエル司教でもいいし、『罪と罰』のソーニャでもいいし、『異邦人』のセレストでもいい。イエスでも仏陀でもマホメットでもいいし、もちろん、直接“神なる存在”(摂理・宇宙)に語りかけるもよし、ガンジーでも、キング牧師でも、ジョン・レノンでも、マイケル・ジャクソンでもいい(彼らは「国籍ガー」とか「 金がないの?」とか「で、自分で努力したん?」などと酷なことは
巷には、〜教、〜教会、〜科学、〜道、名を隠して〜〜・・・とたくさんの宗教(宗教もどき)がありますが、自分たちのとこの“神さま”を絶対視するような所の“神さま”や(宗教でも政治でも絶対化される時、悲惨な状況が生まれる)、政党と直結した俗な宗教もどきや、何かと金のかかる“神さま” 、金の寡多によって供養の仕方(戒名の格や棺桶のデラックスさなど)に差をつけるような“非宗教的な宗教”(“非宗教的な宗教産業”)、「これやらないと呪われる(災厄が及ぶ)」とか脅してくる宗教もどきには、近寄らない方が良さそうです。 “神さま”にどこからでもいつでの語りかける(祈る)ことができるのなら、お堂も礼拝堂も
・・・君はインドで赤いけさを着てお祈りしているという ・・・ホテルの便所じゃ ------------------------------------------------------
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |