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三島由紀夫が晩年の6年間を費やして書いた小説。昭和42年1月(42歳)から 「新潮」 に連載され順次刊行される。 『春の雪』 『
平安後期に菅原孝標女が書いたとされる超常的な小説『浜松中納言物語』にヒントを得て書かれた。三島は学習院高等科で、『浜松中納言物語』の末巻(第五巻)を復元した松尾 聡に国文法と古典を教わっている。
冒頭から登場する
初版は各巻が異なる色の絹で覆われている。 4巻目の『天人五衰』 のカバー絵は瑶子夫人(日本画家・杉山
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三島由紀夫 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/三島由紀夫(平成26年11月3日更新版)→ |
天才肌
大正14(1925)年1月14日(昭和元年に満1歳。昭和の年数と年齢が一致する)、東京四谷で生まれる。本名は
理知的で、かつ妖しさ漂う作風
昭和21年(21歳)、鎌倉の川端康成(46歳)を訪問。持参した『煙草』が認められ「人間」に掲載された。 昭和22年(22歳)、東大法学部卒業後大蔵省に入るが、翌年退職、執筆に専念する。 自身の同性愛的傾向を赤裸々に綴って注目を浴びた『仮面の告白』 (昭和24年)、学生金融会社・光クラブの山崎
昭和27年(27歳)、『卒塔婆小町』(『近代能楽集 Amazon→』の1つ) が長岡輝子(44歳)の目にとまり、文学座に戯曲を提供するようになった。
昭和31年(31歳)、金閣寺放火事件を題材にした『金閣寺』を脱稿。 世界的に注目され、2度ノーベル文学賞の候補になる。
当地(東京都大田区)に越してきた頃に書いた『鏡子の家』(昭和33年 33歳)は、平野 謙らから酷評された。この頃から、映画に出たり、写真の被写体になったり、レコードを作ったりする。 生真面目に文学にかじりついているのがアホらしくなったのだろうか。
政治への傾斜
昭和36年(36歳)、自薦の一作『憂国』を書く。 モデルの有田八郎元外相からプライバシー侵害で訴えられた『宴のあと Amazon→』 、空飛ぶ円盤を題材にした『美しき星』、松川事件を思わせる電車転覆事件をモチーフにした戯曲『喜びの琴』など、問題作を次々に書く。 『喜びの琴』は文学座内で反共的との大きな批判が起こり、文学座を離れるきっかけとなる。『絹と明察 Amazon→』『サド侯爵夫人』『英霊の聲 Amazon→』を発表。 昭和42年(42歳)から自衛隊へ体験入隊、翌年、私的軍隊「盾の会」を結成する。同年、『文化防衛論 Amazon→』『わが友ヒットラー Amazon→』を上梓。 昭和44年(44歳)、駒場の東大教養学部で全共闘の幹部学生と討論した。
昭和45年11月25日(45歳)、森田必勝ら「盾の会」の4名と東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地に行き、隊員を前に演説、その後切腹した。 墓所は多磨霊園( )。
■ 三島由紀夫評
・ 「ケンカ売られたって感じだね、あんなイヤな野郎、世の中にいないね。」(深沢七郎)
・ 「いつも存在しようとしながら存在できなかった」(平岡
・ 「三島さんは優しい人だった。よく気のつく人だった。高笑いする人だった。この高笑いは、彼の素性のよさと、汚れのない人柄を示していた。仕事の約束をキチンと守る人だった」(山口 瞳)(左右社 『〆切本』P.251)
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| 『三島由紀夫 (人と文学シリーズ) 』(学研) | 保阪正康『三島由紀夫と楯の会事件 (角川文庫) 』 |
昭和34年(34歳。結婚後1年)、長岡輝子(51歳)が見つけた土地(東京都大田区南馬込四丁目32-8 map→)に 「悪者が住むような家」 を建て、昭和45年に自死するまでの11年間住む。
来訪者は、横尾忠則 、森 茉莉、三輪明宏、大江健三郎、ドナルド・キーン 、澁澤龍彦 、浅利慶太 、安部公房、万代 潔(民族派の雑誌 「論争ジャーナル」 編集部。 「楯の会」構想のきっかえとなった人物。 彼に会った4ヶ月後から三島は自衛隊に体験入隊)など。パーティーがしばしば催され「大森鹿鳴館」と呼ばれた。
三島邸からわずか数十歩のところに三島が高く評価した稲垣足穂が居候した衣巻省三邸があった。 三島は知っていただろうか?
■ 参考文献:
●『三島由紀夫 研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.181-183、P.257 ●「世界文学における日本の “近代小説”」 (エドワード・G・サイデンステッカー)※ 『昭和文学作家史』(毎日新聞社 昭和52年発行)P.307-310 ●『ふたりの夫からの贈りもの』(長岡輝子 草思社 昭和63年発行)P.243-244 ●『五衰の人』(徳岡孝夫 文藝春秋 平成8年初版発行 平成8年2刷参照)P.176-177 ●『三島由紀夫の家』(篠田達美 篠山紀信 美術出版社 平成7年発行) P.204 ●「深沢七郎の人間滅亡教(その1)」(甘口辛口→)
※当ページの最終修正年月日
2025.4.22