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世界文学ツアー(昭和43年10月17日、川端康成のノーベル文学賞受賞が決定)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川端康成

昭和43年10月17日(1968年。 川端康成(69歳)のノーベル文学賞受賞が決まります。日本的感性を独特の詩的表現で著した『雪国』Amazon→、『千羽鶴』Amazon→、『古都』Amazon→などが高く評価されました。

川端康成
大江健三郎

26年後の平成6年、日本人で2人目の大江健三郎(59歳)が受賞しました。選考過程は受賞後50年は公開されないので詳しいことは分からないようですが、詩的文体で「the human predicament today(現代人の苦境)」を浮き彫りにしたと高く評価されたとのこと。『万延元年のフットボール』Amazon→、『同時代ゲーム』Amazon→、『燃えあがる緑の木』Amazon→などが勘案されたのでしょう。

両者が選ばれたのは優れた翻訳家に恵まれたのも大きいでしょう。当然ですが、選考に携わるほとんどの人が原文の日本語では作品を味わえないでしょうから。

ノーベル ズットナー
ノーベル
ズットナー

ノーベル賞は、スウェーデンの化学者であり実業家でもあったノーベル(天保4年(1833年)-明治29年)が、死の前年(明治28年。62歳)に書いた遺書に基づいて創設されました。基金にはノーベルが築いた換金可能な全財産が当てられることになります。ノーベルの死後5年(明治34年)から授与が開始されます。明治34年は1901年。ノーベル賞は20世紀の幕開きとともに始まったのです。

ノーベルはダイナマイトなど350もの特許を取得し、巨万の富を得ましたが、内省するところもあったのでしょう。親交のあったオーストリアの平和主義者・ズットナーからの影響もあったようです。

ノーベルには言語の才があり、8ヶ国語を操り、フランス語とロシア語の翻訳をし、英国の詩人・シェリーの詩を愛読、司法制度を批判した戯曲「特許パチルス」も書いています。そういった言語・文学への思入れから文学賞も設けられたようです(ノーベル賞は、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞の5部門)。

ノーベル文学賞は、各国の、代表的作家協会の会長、大学で文学を教える教授、ノーベル文学賞受賞者などからの推薦を受けてスウェーデン学士院(スウェーデン・アカデミー)が選考。院内で互選された5名からなるノーベル委員会が、各国から寄せられた150名ほどの候補者を5名ほどに絞り、学士院の18名が投票して決めるそうです。他の賞同様、理想主義的、人道主義的な傾向を持ち、業績が認められた現存の人物に授与されてきました。

第1回(明治34年)の受賞者はフランスの詩人・シュリ・プリュドム(上田 敏の訳詩集『海潮音』青空文庫→に「夢」が収録されている Amazon→)でした。推薦者名簿の筆頭はエミール・ゾラでしたが、唯物主義の始祖としてノーベルが嫌っていたため落選、文豪トルストイも反文明的生活を送りアナキズム的傾向があったためか受賞に至らず、受賞者が「全世界を代表する作家」にふさわしいか最初から疑義が呈されます。

フランス、ドイツの作家に続いて第3回(明治36年)は隣国ノルウェーの作家・ビョルンソンが選ばれました。当時、スウェーデンとノルウェーには政治的なあつれきがありましたが、「国籍にとらわれない」との規定が遵守されます。ノーベル文学賞は国と国とをつなぐ役割も果たしてきたのです。

ラーゲルレーヴ
ラーゲルレーヴ

女性の初受賞は、スウェーデンの作家・ラーゲルレーヴ(『ニルスのふしぎな旅』Amazon→の著者』)。9年目(明治42年)にしてようやく主催国スウェーデンからの受賞者です。「日本スゲー」の日本だと、ばんばん日本人が選ばれ、パタパタ日の丸が振られ・・・ああみっともない?

大江健三郎が受賞後、ストックホルムで行った受賞記念講演(演題:「あいまいな日本の私」Amazon→川端康成の記念講演「美しい日本の私」を踏まえたもの)の冒頭で、少年期に魅了されたラーゲルレーヴの「ニルス」を取り上げています。意地悪なニルス少年は妖精に小人にされてしまいます。ところが、ひょんなことから、鳥たちと冒険することに。

・・・ニルスはなによりもスウェーデンを横切る旅によって、また友人である雁たちと協調し、かれらのために戦うことをつうじて、いたずら坊主の性格を改造し、無垢むくな、しかも自信にみちた謙虚さをかちえてゆきます。その過程によりそうことが、喜びの第二のレヴェルでした。ついに帰郷したニルスは、懐かしい家のなかの両親に呼びかけます。・・・(中略)・・・「お母さん、お父さん、僕は大きくなりました。・・・(大江健三郎『あいまいな日本の私』より)

タゴール
タゴール

第13回(大正2年)にして初めてアジアからの受賞者が出ます。ヨーロッパ以外からの初受賞。インドの詩人タゴールです。英国占領下のインドのベンガル州カルカッタ出身で、「森羅万象に永遠が宿る」といったインド的思念を独特な英語で表し、高く評価されました。平静と忍耐を愛するタゴールでしたが、大正8年(57歳)、自治を求める非武装のインドの民衆に対して英国の将兵率いる軍が発砲、千数百人にも上る死傷者が出るという「アムリトサル大虐殺」が起こると、大衆運動を提案、翌年(大正9年)からのガンディー(50歳)をリーダーとする非暴力不服従運動への道を開きました。タゴールは英国王室から贈られたナイトの称号も返上しています。ちなみに、タゴールの次のアジアからの受賞者は川端康成。その間なんと55年です。ヨーロッパに偏重していたのですね。

第14回(大正4年 ※大正3年は受賞者なし)は、芥川龍之介、小島政二郎、倉田百三らが熱烈に支持したロマン・ローランです。

第29回(昭和5年)にしてようやく米国から受賞者が出ます。米国の白人男性中心主義を風刺したシンクレア・ルイスです。その後は米国からも続々と受賞者が出ます(令和2年時点で11人)。

33年目の昭和8年ロシア人として初めてイヴァン・ブーニンが受賞、ラテンアメリカ人の初受賞者は45年目(昭和20年)のチリのガブリエラ・ミストラル、86年目の昭和61年アフリカ人で初めてウォーレ・ショインカが受賞、88年目の昭和63年エジプトのナギーブ・マフフーズがアラブ圏で初受賞。92年目の平成4年デレック・ウォルコット(セントルシア出身)がカリブ海諸国での初受者となり、100年目の平成12年華人(移住先の国籍を取得した中国系住民)として初めて 高 行健こう・こうけん 、112年目の平成24年中国籍の人で初めて莫 言ばくげん が受賞しました。

柏倉康夫『ノーベル文学賞 〜「文芸共和国」をめざして〜(増補新装版)』(吉田書店)。第1回から平成28年受賞のボブ・ディランまで ズットナー『武器を捨てよ!〈上〉』(新日本出版社)。訳:ズットナー研究会。平和主義を貫き、ノーベルに影響を与えた
柏倉康夫『ノーベル文学賞 〜「文芸共和国」をめざして〜(増補新装版)』(吉田書店)。第1回から平成28年受賞のボブ・ディランまで ズットナー『武器を捨てよ!〈上〉』(新日本出版社)。訳:ズットナー研究会。平和主義を貫き、ノーベルに影響を与えた
『原典でよむ タゴール (岩波現代全書) 』。編・訳:森本達雄 シンクレア・ルイス『本町通り(上) (岩波文庫)』 。訳:斎藤忠利
『原典でよむ タゴール (岩波現代全書) 』。編・訳:森本達雄 シンクレア・ルイス『本町通り(上) (岩波文庫)』 。訳:斎藤忠利

■ 馬込文学マラソン:
川端康成の『雪国』を読む→

■ 参考文献:
●『ノーベル文学賞 〜「文芸共和国」をめざして〜」(増補新装版)』(柏倉康夫 吉田書店 平成28年発行)P.9-32 ●『詳説 世界史研究』(編集:木下康彦、木村靖二、吉田 寅 山川出版社 平成20年初版発行 平成27年発行10刷)P.451-452、P.480-481

※当ページの最終修正年月日
2023.10.18

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