|
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
|
昭和33年3月10日(1958年。
三島由紀夫(33歳)が、タクシーで、「 この取材を元に、『鏡子の家』冒頭の、勝鬨橋が跳ね上がる印象的な場面が書かれました。 『鏡子の家』には、東京四谷の資産家の令嬢・鏡子と、彼女の家に集うタイプの全く異なる4人の若者が登場。「考えることを拒絶」し目の前の相手をぶち倒すことに青春の全てをかける学生ボクサーと、ずば抜けた才能を持ちながらも自らはそれに気づかない日本画家と、美しい顔立ちで女性にもてるけれど売れない俳優と、「俗」に徹することを信条とする貿易商のエリート社員。彼らは、巫女的な鏡子の前では、性の来歴から、自殺願望まで、何でも話すことができるのでした。 鏡子は、4人の若者を映し出す、名前にあるとおりの「鏡」です。7年後(昭和40年)に起筆する、三島最後の作品『豊饒の海』の原型と言えます。『豊饒の海』にも4人の若者が出てきて、その4人と関わる一人の男が4人の人生の「観察者」となります。 両作の4人は著者(三島)の分身なのでしょう。4人は全く異っていますが、全て三島の一側面を反映しているように思います。その矛盾したあり方が生む緊張感は、三島自身の緊張感でもあるのでしょう。 三島は『鏡子の家』に1年3ヶ月を費やし(昭和33年3月17日に起稿され、翌昭和34年6月29日に脱稿)、原稿用紙にして947枚。この間に、見合いもし、結婚もし、新婚旅行にも出て(昭和33年6月1日〜15日)、当地(東京都大田区)に家を建て、越してきました。 そういった実生活にも大きな変化がある時期に、三島は『鏡子の家』に没入しました。執筆に熱中し過ぎる自分が怖いくらいだったそうです。 そして、『鏡子の家』が出版されました。奥野 ところが、『鏡子の家』は不評で、売れませんでした(14万部は出ているので三島作品の中ではの話)。精力を傾けた作品だったので、三島は大きなショックを受けました。赤裸々に自己告白した『仮面の告白』(昭和24年発行。三島24歳)、犯罪者の心理を恐ろしいまでに追求した『金閣寺』(昭和30年発表。三島30歳)と、三島文学は文壇で大きな話題となってきましたが、『鏡子の家』は文壇の反応が鈍く、三島は落胆しました。 『仮面の告白』や『金閣寺』はセンセーショナルだったのでマスコミが動いて、読者もそれに反応、連動して文壇も反応したのでしょう。『鏡子の家』は両作のようなセンセーショナル性は希薄だったので、“完璧な傑作”であってもそうはならなかった。三島は「文壇の冷たさ」を嘆きました。 今も、『仮面の告白』や『金閣寺』は読んでも、『鏡子の家』まで読む人は限られていることでしょう。 『鏡子の家』では、最後の方で意外な展開となり(鏡子と4人の中の1人との不倫。鏡子には夫も子どももいる)、それだけで拒否反応を起こす読者も一定数いたかもしれません。昭和34年(1959年)発行です。当時は、一般の性道徳の捉え方が今とはずいぶん違っていたでしょうから。 『鏡子の家』発行の2年前(昭和32年)、瀬戸内寂聴(当時は瀬戸内晴美。35歳)が文芸雑誌「新潮」に『花芯』を発表。これも不評でした。非難する声も多くありました。あの気丈な瀬戸内が1ヶ月ほど寝込んだというのですから、相当なものだったのでしょう。瀬戸内にとって初めて文芸誌から求められて書く小説で、意気込み、長い間あたためてきたテーマを投入しただけにショックが大きかったようです。 『花芯』の主人公の園子は、母や、義母や、近所の主婦や男たちの言葉に潜む「陳腐さ」「嘘」「醜さ」にむせ返り、実際に食べ物を戻してしまうほどでした。そんな言語に過敏な園子は、体の感覚しか信じられなくなっていくのでした。 この小説を、「「子宮」という言葉が乱用」されていて、「マス・コミのセンセーショナリズム」に毒されていると評したのが、当時の有名な文芸評論家・平野 謙です。彼の一言が大きかったのでしょう。平野の言葉に便乗した評者・読者も多かったことでしょう。『花芯』は「子宮小説」「ポルノ小説」を蔑まれます。以後5年間、瀬戸内は文芸雑誌から声がかかりませんでした。 ちなみに、『花芯』には、「子宮」という言葉が7回しか出てきません。それに、それをいうのならタイトルの「花芯」はどうでしょう。女性器を表す言葉です。 瀬戸内が筆を折らなかったのは、共感・感動の声も多くあったからなのでしょう。円地文子や三島由紀夫も『花芯』を高く評価しました。 翌年(昭和33年)、三笠書房のすすめで加筆されて単行本化されました(原稿用紙65枚の作品が200枚の作品に膨れ上がった)。現在発行されている『花芯』はこの加筆版でしょう。「気負ったところが、いくらかでも消え」たようですが、 瀬戸内は終生、最初に発表した方の『花芯』を愛しました。
『花芯』が掲載された「新潮」(昭和32年10月号)には 石原慎太郎の『完全な遊戯』(Amazon→)も掲載されています。平野はこの作品も「マス・コミのセンセーショナリズム」に毒された一例としました。内容は『花芯』よりさらに過激で、「男たちが精神疾患のある女性を拉致・監禁し、輪姦した挙句に殺害する」というもので、その作中の許しがたい行為ゆえ、他の評者から小説自体も否定されました。この小説が巻き起こした波乱は、「登場人物の行動が読者の同意の範囲」にあることが「小説の絶対条件」になるか否か、との問いを発しています。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |