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映画「有りがたうさん」の一場面。桑野
昭和11年2月27日(1936年。
、清水 宏監督(32歳)の映画「有りがたうさん」(YouTube→)が公開されました。当地(東京都大田区蒲田)に松竹の撮影所(「松竹蒲田撮影所」)が、神奈川県大船に移転した頃の作品です(「松竹蒲田撮影所」の閉所式は1ヶ月ほど前の昭和11年1月16日)。公開日の昭和11年2月27日は、「二・二六事件」の翌日です。27日の明け方から戒厳令が
原作は、川端康成(映画公開時36歳)の5頁ほどの短編「有難う」。 音楽担当の堀口敬三(38歳)は、大田黒元雄を中心に、当地(東京都大田区山王一丁目)で開かれた「ピアノの夕」のメンバーの人です。 上原 謙が演じるバスの運転手は、バスの通行のために道を開けてくれる大人や子ども、巡礼の人、乗合馬車、材木を運ぶ馬、大八車、人力車などにきちんきちんと「ありがとう」と声をかけていきます。白い服で歩く朝鮮人労働者の一群にも、同じように感謝の言葉を投げかけます。彼が走る山道は“感謝”で一ぱい。みんなは彼のことを“ありがとうさん”と呼んでいます。物語は、彼のバスが、「(伊豆)半島の南の端の港」(下田(Map→)か)を出て、2つ峠を越えて「汽車のある町」(三島(Map→)か)に出て、翌日、再び港町に戻って来るまでのこと。ほのぼのとした伊豆の景色を背景に、様々な人がバスに乗り、そして降りていきます。婚礼もあり、葬式もあります。まるで人生の縮図のようです。 この映画はオールロケだと思いますが(主に天城街道がロケ地)、撮影中、ヤバいことがありました。バスを実際に運転していた上原がハンドルを切り損なって(伊丹十三映画「タンポポ」でも主役の一人山崎 努は大型自動車の免許を取得して役に当たった)、バスが谷に落ちそうになったのです。大惨事一歩手前です。命拾いした瞬間、清水監督は「いいシーンが撮れた!」と大喜び、急遽台本を書き換えて一場面として活かします。この映画の見所の一つです。おっとりとした上原と、
上原 謙は「有りがたうさん」公開の前年(昭和10年)、立教大学を卒業、すぐに松竹蒲田撮影所入りしています。あまりの美男子ぶりに学友が無断で松竹に写真を送ってしまい、入所する羽目になったとか(笑)。確かにほれぼれするほどの美男子(イケメンなんてもんじゃない?)ですね。 バスの乗客で印象的な“黒襟の女”を桑野 二人は入所してすぐに、映画「彼と彼女と少年達」(昭和10年5月30日公開。フィルムは残っていないようだ)で共演。監督はやはり清水 宏でした。以後二人は「アイアイ・コンビ」(ラブラブ・コンビといった感じ?。二人は上原が住んでいた当地(東京都大田区山王三丁目)で実際にも交際した時期がある)と呼ばれ人気を博します。 監督の清水 宏は、浅草で映写技師をやっていましたが、大正11年(19歳)、父親が有島武郎の玄関番をやっていた関係から小山内 薫に紹介され、栗島すみ子の口利きで松竹蒲田撮影所に入所。大正13年(21歳)には監督になっています。作為的な物語やセリフや演技、役者が画面に出っ張ってくるのを嫌いました。「役者なんかものをいう小道具」という名言(?)を残しています。そんなですから、スタッフからは傲岸な人、冷たい人と見られることが多かったようですが(挨拶は返さないし、気に入らないと暴力に及んだ)、名監督の小津安二郎、溝口健二、山中貞雄らが口を揃えて清水を「天才」と讃え、俳優の笠 智衆も清水の評価が不当に低いのに首をひねりました。松竹蒲田撮影所の所長だった ・・・清水は役者の表情よりもストーリーから生まれる画面を想像して、その画面から逆にストーリーを表現しようとした。これは彼の新しい方法であった。だからロングの人物でも、それが全体の雰囲気を十分に表現することも出来、役者の背中から撮って、顔なんか向うを向けていても、十分に全体のニュアンスを出している。役者の表情に頼ってしばいの押しをする代りに、カットのこまかさによって役者のアクティングを分解して、それを清水らしいアングルでとらえて、その積み重ねでもってストーリーを押して行く。これは一つの映画の重要な技術だが、彼はその点がうまかった。・・・(城戸四郎『日本映画伝』より) 田中絹代が来た頃の松竹蒲田撮影所を舞台にした映画「キネマの天地」で、すまけいが演じた小倉金之助監督には清水が入っています。映画「キネマの天地」で、富士山を背景にロケーションを行う場面があります。俳優が演技しようとすると、小倉監督が「客は景色を見とるんやで、お前らの芝居なんて見てへんのやで」と怒鳴ります。映画では主役の小春(田中絹代がモデル)との色恋は描かれませんでしたが、実際には、清水と田中は結婚一歩手前までいっています。 「有りがたうさん」の3年前(昭和8年)に公開された清水(29歳)の「港の日本娘」(Amazon→)という映画が残っています。北林透馬の同名小説が原作ですが、ストーリーに無理があり(友情を誓い合った二人の少女の一人が、もう一人の少女の彼氏と結婚、もう一人の少女は傷害事件を起こし、そして港を渡り歩いて身を売ることもする酒場の女に身を落としていくという話。それでも二人は友情を保とうとする・・・)、風景描写には後の清水映画の片鱗が見られます。
習作の域を出ない作品ですが、映画には「時代の記録」としての価値もあるなとつくづく。北村初雄が詩にした横浜の10年ほど後の姿。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |