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報われない恋(昭和5年9月4日、第17回「(再興)院展」、一般公開が始まる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不吉な色をたたえる 日高川ひだかがわ Map→を前に、 清姫きよひめ の嘆きは頂点に達する。小林古径の「清姫」は8場面からなるが、その6場面目「淵」の一部。●「淵」の全体図→。「道成寺縁起絵巻」(土佐光重が描いたとされる)の清姫は、日高川の前あたりからあまりの悔しさからか火を吹き始めるPhoto→。光重の清姫は情念の人で、古径の清姫は一途さで純真な人 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『小林古径(巨匠の名画16)』(学習研究社)


昭和5年9月4日(1930年。 、第17回「(再興)院展」の一般公開が始まりました。

小林古径

小林古径(47歳)は「 清姫 きよひめ 」を出品。和歌山県の 道成寺 どうじょうじ (日高寺。日高郡高川町 鐘巻 かねまき 738 Map→ Site→)に伝わる「 安珍 あんちん ・清姫伝説」をもとに描かれた作品です。現在は、「 山種 やまたね 美術館(東京都渋谷区広尾三丁目12-36 Map→ Site)が所蔵しています。

奥州白河(現・福島県白河市 Map→)の美男の山伏・安珍が、熊野に参詣のおり、熊野街道の庄屋(真那子まなご の庄司の家)に一泊したところ、庄屋の娘の清姫が安珍に一目惚れします。彼女は夜這いして迫りましたが、安珍は参詣の途中であることを理由に断り、その代わり、帰りには必ず寄ると嘘をつきました。待てど暮らせど安珍はやって来ません。恋い焦がれた清姫は、安珍を追います。追う清姫に、逃げる安珍。日高川( 切目川きりめがわ Map→とも)を渡って安珍が逃げると、清姫は蛇となって火を吹きながら川をも越えて来ます。安珍は命からがら道成寺で 梵鐘ぼんしょう に身を隠しますが、蛇身となった清姫は梵鐘に巻きついて、ついには梵鐘の中の安珍を焼き殺してしまうのでした(道成寺のある「鐘巻」という地名はそこからきているのだろう。地名には歴史や伝承が刻まれる)。そしてその後、蛇身の清姫も水に飛び込んで命をたつ、といったお話です。蛇に転生した2人を、道成寺の住持が法華経の功徳で成仏させ、2人とも天人となったとか。

「道成寺縁起絵巻」は室町後期に描かれましたが、「安珍・清姫伝説」の祖型が、日本最古の歴史書『古事記』(奈良時代初期の和銅5年(712年)に奏上)の「蛇女と一夜の契り」( 肥長比売ひながひめ の話)、平安中期の『( 大日本国だいにほんこく法華験記ほっけげんき 』の「紀伊国きいのくに牟婁郡 むろぐんの 悪女あしきおんな 」、平安後期の『今昔物語』の「紀伊国道成寺僧 写法花法華を写して救蛇蛇を救った物語 」などに見られます。

これらに共通するのは、情欲に駆られた「悪女」であることと、最後、仏の力で救われること。

能の『道成寺』も「道成寺縁起絵巻」と同様、室町後期の作ですが(観世(小次郎)信光の作といわれる)、ちょっと違ってきます。2人が死んでから物語が始まります。道成寺で例の梵鐘の供養をしている時、一人の白拍子が現れて供養の舞を踊ります。ほどなくして、白拍子は梵鐘を落とし、中に入ってしまう。「女」の執念を知った僧たちは、祈祷して、霊を慰めます。すると梵鐘の中から蛇体の女が現れ、哀れにも、炎で我身を焼き、日高川に姿を消す・・・。「悪女」ではなく、業につき動かされる哀れな人間として「女」を描きました。程度の差こそあれ、男性を含め、多くの人が清姫的体験をしていることでしょう。その普遍性が「清姫」(道成寺)を古典たらしめているのだと思う。長唄、人形浄瑠璃、歌舞伎、わらべ歌、映画、アニメ、絵本、オペラ、ゲームなどにもなっているようです。

三島由紀夫は謡曲を元に8本(三島自身が嫌った「源氏供養」を含めると9本)の戯曲を書き、「近代能楽集」としてまとめていますが、その一編に『道成寺』があります。清姫と安珍の代わりに清子きよこやすし 、梵鐘の代わりに「巨大な箪笥」が登場。しかし、そういった物語の部品は似ても三島作品には題名どおり「近代的」な様々なテーゼが散りばめられます。清子は、安が清子から逃れて10歳も年上の桜山夫人の恋人なったのは、自分の「若さと美貌」のせいなのだと考えます。そして、完璧な愛を成就するため、自分のその「若さと美貌」を硫酸でめちゃくちゃにしようとするのです。「巨大な箪笥」の経済的な価値や、「若さと美貌」といった外面的な価値に群がる近代人の底の浅さを露見させつつも、最後が、やはり、三島。それだけで終わらせません

小林古径

こういった「報われない恋」のテーマは、多くの文芸に見られます。

大正10年、山本有三(34歳)が書いた戯曲『坂崎出羽守でわのかみ 』(『生命の冠・坂崎出羽守(定本版 山本有三全集 第一巻) 』(新潮社)に収録 Amazon→)もまさにそういう作品です。

坂崎出羽守は実在の人物です。慶長5年(1615年)、「大阪夏の陣」で、徳川家康(72歳)が、豊臣秀頼がいる大阪城を攻め、秀頼とその母・淀君(秀吉の側室)を自害に追い込みました。そのおり、秀頼の正室(家康の孫娘・千姫(18歳。2代将軍秀忠の娘)を救い出したいと考えます。そして救い出した者に千姫をめとらせると言ったそうで、その時名乗り出たのが坂崎出羽守だったとされます(異説あり)。

坂崎は燃え上がる大阪城から千姫を救出するのに成功、しかし、顔にひどい火傷を負ってしまうのでした。千姫は坂崎の顔の火傷を嫌悪します。さらには、千姫の前に、若くて美男で有能な本多 忠刻 ただとき (19歳)が登場、千姫は一もなく二もなく、本多に恋しまうのです。残酷な話ですが、心打たれるものがあります。平成29年、山本有三生誕130年を記念して36年ぶりに上演されました。

大正14年、蒲田で映画にもなりました。

六代目尾上菊五郎の坂崎出羽守(大正13年) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「国立劇場(第305回歌舞伎公演解説書<改訂版>)」(日本芸術文化振興会) 映画「坂崎出羽守」の一場面。勝見庸太郎が監督と主演(坂崎出羽守の役) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『チラシで見る松竹蒲田映画の世界』(編:真木祐志)
六代目尾上菊五郎の坂崎出羽守(大正13年) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:「国立劇場(第305回歌舞伎公演解説書<改訂版>)」(日本芸術文化振興会) 映画「坂崎出羽守」の一場面。勝見庸太郎が監督と主演(坂崎出羽守の役) ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『チラシで見る松竹蒲田映画の世界』(編:真木祐志)

昭和31年、井上 靖(49歳)が「朝日新聞」に連載した小説『氷壁』にも、一度の“関係”を信じて、その後も相手の女性にアプローチする男が登場します(“ストーカー”と断罪されるでしょうか)。男は冬の前穂高の岩壁を登攀中、ザイルが切れて墜落死してしまいます。このザイル切断を巡る周囲の確執が、物語の縦糸になっています。

「愛」は双方の交歓が前提というところがあり(キリスト教的な普遍的な愛(アガペー)は別として)、相手に背を向けられた時、容易に憎悪に変わるかもしれません。「恋」は一方的な行為なので、ある意味、より純粋。「恋」が報われない時、それは絶望的に辛いことでしょうが、その情念を、凝結・結晶させることができれば、 琥珀 こはく に封じ込められたアゲハ蝶のように“永遠のもの”にすることができるかもしれません。

ユゴー 『ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)』。訳:辻 昶(つじ・とおる)、松下和則。女の心はいつも別の男にあった。彼女と“結ばれる”のは、彼女の命が尽きてから・・・ 柏木ハルコ『失恋日記』(祥伝社)。生活保護のケースワーカーを主人公にした快作ドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(会見動画→)の原作者による、失恋によく効く“薬”(かな?)
ユゴー 『ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)』。訳:辻 昶(つじ・とおる)、松下和則。女の心はいつも別の男にあった。彼女と“結ばれる”のは、彼女の命が尽きてから・・・ 柏木ハルコ『失恋日記』(祥伝社)。生活保護のケースワーカーを主人公にした快作ドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(会見動画→)の原作者による、失恋によく効く“薬”(かな?)
映画「ベニスに死す」。原作:トーマス・マン。監督:ビィスコンティ。タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは、「世界一美しい少年」と賞賛された ●予告編→ 映画「仕立て屋の恋」。監督:ルコント。出演:ミシェル・ブラン、サンドリーヌ・ボネールほか。憧れの彼女が、ある日訪ねてくる・・・。恋の切なさと残酷さ。作中流れるブラームス「ピアノ四重奏曲第一番」の甘美なメロディーが忘れられない ●予告編→
映画「ベニスに死す」。原作:トーマス・マン。監督:ビィスコンティ。初老の作曲家が、ベニスのリド島Map→の非日常で、美少年・タッジオに切なく惹かれてゆく。タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは、「世界一美しい少年」と賞賛された ●予告編→ 映画「仕立て屋の恋」。監督:ルコント。出演:ミシェル・ブラン、サンドリーヌ・ボネールほか。憧れの彼女が、ある日訪ねてくる・・・。恋の切なさと残酷さ。作中流れるブラームス「ピアノ四重奏曲第一番」の甘美なメロディーが忘れられない ●予告編→

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
井上 靖の『氷壁』を読む→

■ 参考文献:
●『小林古径(巨匠の名画16)』(作品解説:関 千代 学習研究社 昭和52年発行)P.120-121 ●「安珍清姫」(松井俊諭)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録コトバンク→ ●「古事記、 本牟智和気王ほむちわけのみこ の説話について〜啞をめぐって〜」(加藤良平)古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)→ ●「説話(道成寺)」MediaWiki→ ●「道成寺」the能.com→ ●『山本有三全集(第一巻)』(新潮社 昭和52年発行)P.285-351、P.418-419、P.427-428 ●「国立劇場」(第305回 平成29年11月歌舞伎公演 プログラム)P.2-3、P.7-17 ●「ベニスに死す」(森川俊夫、西村安弘)※「日本大百科全書(ニッポニカ)」(小学館)に収録 コトバンク→

※当ページの最終修正年月日
2024.9.4

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