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昭和29年7月3日(1954年。
三島由紀夫(29歳)の小説『
明るい避暑地の と、冒頭から不吉な感じが漂います。その家は、古びてるわけでもなく、建築様式が陰気なわけでもなく、避暑地の海水浴場へつらなる道沿いにあるのに、季節は夏だというのに、「妙に暗い」のでした。 この家の5人は“ある男”がやって来るのを恐れています。会話が途切れるごとに、5人は家の外の物音に耳をすませます。いつか来る、必ずやって来るだろう、と5人は
小説の終わりの方で明らかになるのは、この家の BC級戦犯裁判とは、日本人がアジア各地で行った捕虜虐待などの罪を問うた裁判です。5,700人が訴追され、984人に死刑判決がおりました。国や上官の命令に忠実だったが故に裁かれた側面も強かったし、三島の小説にあるように、上官から責任を押し付けられて処刑された人もいたようです。そこで生まれた“怨念”が、BC級戦犯裁判が終結して3年した昭和29年、三島の小説で蘇りました。 三島は『復讐』を書くにあたって、先輩の 昭和21年、国民主権、基本的人権、平和主義を謳う日本国憲法が公布され、また、昭和25年から28年までの朝鮮戦争の特需で日本経済は奇跡的に復興しました。しかし、『復讐』の中の家族は、その“明るい世相”から取り残され、BC級戦犯裁判が生んだ“怨念”によって少しずつ蝕まれていきます。 小説は 文庫本でわずか14ページほどの短編です。驚怖が徐々に高まった後に、 読者をただ怖がらせるだけの小説ではありません。上に書いたように現在の日本人の大半が見ようともしない「BC級戦犯裁判」という極めて悲惨な歴史的事実にも触れていることもそうですが、「恐怖の効用」に触れている点にも注目したいです。この家の5人は、実はこの“恐怖”によって結びついてもいます・・・。
与謝野晶子、谷崎潤一郎に続いて「源氏物語」の完全現代語訳を成し遂げた 見事な黒髪の女性と「ただでない関係」になった男の前に、彼の“昔の女”に似た女性が現れるというお話です。彼はイケメンで、“女性の扱いがうまい”のでした。モノにしたい女性の前で、彼は、朗らかで親切でウブな感じを自然に演じることができます。 男と“昔の女”に似た女性との縁談も、男に都合のいい条件でトントン拍子に進んでいきました。しかし、男は黒髪の女性とも切れずにいたのです。そして、迎えた婚礼の日。その盃ごとのおりに・・・ 三島の『復讐』が発表された2年後(昭和31年。円地51歳) に発表された『黒髪変化』にも、時代のキーワードとなる「アップレ」という言葉が出てきます。おそらくアプレ(アプレゲール)のことで、フランス語で戦後派(après-guerre)を意味します。既成の道徳や価値観にとらわれない芸術運動をさしましたが、日本では、今までにないタイプの若者の犯罪(例えば金閣寺の放火事件など)をさし、ほぼ悪い意味で使われました。『黒髪変化』の男もそういった“アプレ”の青年として描かれたのでしょう。 三島の『復讐』も円地の『黒髪変化』も、“人間”の怖さを描いたものですが、怖い話には、不思議な現象を描いたものも多いです。人体の一部を食して成長する花の話(城 昌幸の『人花』)や、夜の海辺で会った女性が語る悲しくも不思議な物語(横溝正史の『かいやぐら物語』)や、幼い霊に慕われる話( 怖い話の中でも特に実体験も基づくものは、怖い、怖すぎます。当地(東京都大田区池上)にも住んだ火野葦平の『怪談宋公館』は実話が元になっています。 「怖い話」を多くの作家が手がけるのは、多くの人がそれを好み、恐怖には効用があるからでしょう。上に書いたように恐怖は人を結びつけます。怖いね、怖いねと言いながら、人は寄り添ったりします。自分たちの外側に「異質なもの」「怖いもの」を措定し、団結を深めるという点では、差別にも似てますが・・・。 畏怖という言葉があります。怖れ
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |