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昭和7年6月27日(1932年。 石川善助(31歳)が死去しました。善助の死にははっきりしない点が多々あります。
前日の26日、善助は、居候していた草野心平(29歳)の家(
10時頃、帰るという竹村と一緒に善助も「白蛾」を出ますが、「町角」で、善助は「他用がある」と言って竹村と別れ、「白蛾」の方に戻って行きました。一人になって、善助は
善助の死体の発見場所を、28日の「読売新聞(朝刊)」「東京朝日新聞(朝刊)」が、「山王下第一踏切」(東京府下
「読売新聞(朝刊)」が報じた番地にある「大森町」は誤りで(大森町は別の場所。大森駅が近いので思い込んだか)、「報知新聞(夕刊)」が報じた方が地番表記は正確です。しかし、後者の地番には「踏切」がないのです。
これをどう考えたらいいのでしょう?
「読売新聞(朝刊)」「東京朝日新聞(朝刊)」で報じた「電車に
しかし、下図でお分かりのとおり、善助が「山王下第一踏切」にいたる必然性はほぼなく、また、「電車に煽られ」たのなら電車の運転手が目撃しただろうし、当時、「山王下第一踏切」には番小屋があった可能性があり、だとしたら、番小屋の職員が、事故の状況を知っているか、または、第一発見に関わっていないと不自然です。それで、
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| Aは「読売新聞(朝刊)」「東京朝日新聞(朝刊)」が事故現場として報じた「山王下第一踏切」、Bは「報知新聞(夕刊)」が報じた事故現場。Cは竹村と善助が別れたと思われる「町角」。竹村が住む馬込方面に抜けるには、ここから
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善助は、「町角」(C)で、竹村と別れた後、「大森駅」か「白蛾」に向かい、そこにたどり着く前に刑事(特高)に捕まり、どこかで厳しく尋問され(拷問を受け)、その末に死んでしまったのではないでしょうか。よって、「事故現場」にも不審な点があり、死体の第一発見者の情報もつまびらかになっていないのではないでしょうか。
刑事は日頃から「白蛾」と「白蛾」に入り浸っていた近藤 東を張っていて、「白蛾」から出てきた善助に、「白蛾」や近藤との関係を問いただしたのかもしれません。「白蛾」のマダム・星野幸子は(第二次)日本共産党の幹部・福本和夫(三・一五事件で検挙され、当時、下獄中)の妻だったことがあり、近藤は2年前(昭和5年)、「改造」の懸賞に応じて1位を獲得、その詩のタイトルが「レーニンの月夜」です。当局は“天皇の絶対性”を利用して民主主義を根こそぎにしようとしていました。
善助の友人・
ちなみに、当日善助と行動をともにした竹村の日記は、なぜか昭和7年の分だけ欠落しています。当局が没収したのでしょうか。それとも、目をつけられないよう竹村が自身で破棄したのでしょうか。
こういった観点からすると、28日の「読売新聞(朝刊)」に掲載された警察発表と思われる「他殺の疑いなく溺死」という判断にも作為が感じられます。なぜ、即座に、他殺でないと断言できたのでしょう。善助が横たわっていたとされた溝には当時ほとんど水が流れておらず、そんなところで、どうやったら溺れ死ぬことができるのでしょう。また「(善助の頭が)
全く無関係かもしれませんが、善助死亡事件の4ヶ月後(昭和7年10月)、「白蛾」のマダム・星野が自殺をはかり、未遂、翌年(昭和8年)にも自殺をはかり死去しています。
恐ろしいことですが、自死や事故死とされても、他殺が疑われるケースが結構あります。他殺でも誰が殺したのか“
社会のタブーに果敢に挑戦し続けた映画監督・伊丹十三の“自死”もなんか変。伊丹はヤクザの民事介入暴力をテーマにした作品を撮っているし(「ミンボーの女」。公開後、伊丹は襲撃され重傷を負った)、死の5日前まで医療廃棄物問題を追求していました。
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| 小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』(河出書房新社)。小笠原が死の1年半前に上梓した渾身の一作 | 大江健三郎『取り替え子 ~チェンジリング~(講談社文庫)』。義兄(伊丹十三)の死をテーマにした作品 |
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| 芥川龍之介『藪の中 (講談社文庫)』。“薮の中”の死骸。誰が殺したのか? 今も議論される小説の中の未解決事件 | 『落下の解剖学」。脚本・監督:ジュスティーヌ・トリエ。人里離れた山荘で男が転落死する。事故なのか、自死なのか、他殺なのか・・・ |
■ 馬込文学マラソン:
・ 石川善助の『亜寒帯』を読む→
・ 芥川龍之介『魔術』を読む→
■ 参考文献:
●『詩人 石川善助 〜そのロマンの系譜〜』 (藤 一也 萬葉堂出版 昭和56年発行)P.387、P.387-413、P.456-457 ●「大森・山王下第一踏切 〜善助、事故死を追う〜」(鈴木
■ 謝辞:
善助本の編者・MH氏、善助研究家のKK氏、善助の郷里・仙台在住のKT氏から、資料をいただいたり、ご教示していただいたりしました。また、詩人のTE氏より励ましのお言葉をいただきました。ありがとうございます。
※当ページの最終修正年月日
2024.6.27