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明治28年頃の足尾銅山。大規模になるにつれ鉱毒による被害も拡大した ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『大日本帝国の確立(画報 日本近代の歴史 5)』(三省堂) 明治34年12月10日(1901年。 )、田中正造(59歳)が東京日比谷で、明治天皇(49歳)に直訴しようとします。 足尾の古川鉱山(「足尾銅山通洞選鉱所跡」( 栃木県日光市足尾町中才1-1 Map→)に起因する惨状を訴えようとしたのです。田中は遺書を書き、累が及ばないよう、妻のカツには離縁状を送っています。直訴状は、名文家として知られていた幸徳秋水(30歳)(当時「
この「足尾鉱毒事件」とは、どんなものだったのでしょう。 足尾銅山は江戸時代初期から幕府の直轄で栄えましたが、幕末からは産出量が激減。明治10年、政府から払い下げを受けた古河市兵衛(45歳。古河財閥の創始者)が、志賀直道(50歳。志賀直哉の祖父)や渋沢栄一(37歳)の協力を得て、再開発に着手します。6年後の明治16年、豊かな鉱脈が発見され、銅の産出量が復活。水力発電など欧米技術を導入して大規模に操業し、日本最大の銅山となりました。 ところが、生産第一の経営によって、煙害が発生し、精錬に必要な木材の乱伐によって山林も荒廃、山林の荒廃から大洪水も頻発し、また、有毒の廃石や排水が垂れ流されたため、渡良瀬川の漁業被害も顕在化してきます。 明治14年、栃木県県令(今の県知事)の
明治18年、「
明治23年に大洪水があり、有毒な廃石・排水が田畠を侵し、大きな農業被害も引き起こし、人体への影響も憂慮されるようになりました。 同年(明治23年)の第1回衆議院議院総選挙で当選し衆議院議院だった田中(48歳)は、翌明治24年、国会で足尾の鉱毒問題を取り上げ、政府の鉱山監督行政を批判。鉱山側は明治29年までに鉱毒をなくすことを約し、住民に示談金を払って一旦は決着した形となります。政府は後ろ向きで問題の記録集を発売禁止にしました。 しかし、明治29年になっても鉱害が無くなりませんでした。同年、田中(54歳)を中心に雲龍寺(群馬県館林市下早川田町1896 Map→)に鉱毒問題に取り組む事務所を置き、そこを拠点に農民たちの大規模な陳情(「押出し」と呼ばれた)が行われるようになります。参加人数は2,000〜10,000名ほど。窮乏していた彼らは鉄道へは乗らず徒歩で東京に向いました。 世論の高まりもあって、政府は委員会を設置、鉱毒予防令を発布します。鉱山側は排水の濾過池、沈殿池、堆積場を設置したり、有害な
田中は警備の警察官に取り押さえられ、直訴は未遂に終わりましたが、マスコミが大きく取り上げたことによって、足尾鉱毒問題が注目されました。 甚大な被害を出しながらも足尾銅山が操業をやめなかったのは、兵器を作るために銅が必要だったことが大きかったでしょう。「足尾銅山鉱毒事件」は日清・日露の両戦争の最中に起こりました。足尾銅山の被害者は、戦争の被害者でもあったのです。 反対運動の盛んだった谷中村は、明治40年、破壊され、鉱毒を沈殿させるための遊水池(「渡良瀬遊水地」(栃木県栃木市藤岡町藤岡 Map→)となりました。 よって谷中村を中心とする抵抗運動は衰退、しかし、足尾銅山では労働条件の改善を求める運動が続行されました。大きな労働争議があり、軍隊が出動、300余名の逮捕者が出ることもありました。北川千代の夫の高野松太郎は、大正8年11月の坑夫7,000人のストライキを指導した人です。
田中の直訴未遂によって足尾銅山に対する世間の関心が高まり、その翌年(明治34年)、志賀直哉(18歳)も足尾銅山に行こうとします。しかし前述したように直哉の祖父の志賀直道は、古河市兵衛ととも足尾銅山の経営に関与した人物です。父の直温(なおはる)(総武鉄道創設の功労者)は、直哉が足尾銅山に関わることを許さず、直哉とて譲らず、両者の確執が深まりました。 明治43年には、山本有三(23歳)が足尾銅山を訪ね、同年、その時の見聞を元に、戯曲「穴」(Amazon→)を書きました。彼の戯曲第一作です。地下200mもの坑内で働く7名の男の会話を通し、その非人間的な労働環境を浮き彫りにしています。坑夫たちはじきに黒い
吉屋信子は体制側にいました(父が明治35年(田中の直訴未遂の翌年)から谷中村を含む栃木県
足尾銅山は昭和48年まで操業され、平成元年まで輸入鉱石の製錬がされていました。現在、日本では、銅鉱の採鉱はされず、輸入鉱石に頼っています。日本の銅の年間需要量は、なんと、足尾銅山の開山から閉山までの全産出量を上回るとのこと。凄まじい勢いで採鉱(自然破壊)されています。新たな「鉱毒事件」「労働問題」が、今度は海外で起きてはいないでしょうか?
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