田中正造たなか・しょうぞう。天保12年(1841年)、栃木県佐野市生まれの政治家。区会議員・県会議員をへて第一回衆議院総選挙に当選。以後、通算7回当選した。足尾銅山からの鉱毒の害を訴え続け、明治34年(60歳)、明治天皇に直訴、問題が広く世に知られるきっかけとなる。当地の貯水池建設に反対し、強制撤去後も村内に住み続け抵抗した。大正2年(71歳)死去する。参考サイト:ウィキペディア/田中正造→ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/田中正造(平成30年9月11日更新版)→ |