本門寺の大階段(此経難持坂
)上右手の広場に建つ日蓮像(全体→ 部分→)。
星 亨
の銅像が建っていたが戦中供出され、替わりに建った
毎年10月12日は、当地の「本門寺」(東京都大田区池上一丁目1 Map→ Site→)で、お
会式があります。
その見ものは、なんといっても、夕方18時頃から23時頃まで行われる、百数十もの講中による「万灯練り行列」。団扇太鼓、鉦
、笛の音が織りなす力強いリズムにのって、各講中によって凝りに凝らされた万灯がねり動いていきます。その周りを纏
の舞がその技を競う。いやがおうにも気分が高揚してきます。「
徳持
会館」(東京都大田区池上七丁目14-6 Map→)から本門寺までの約2Kmに行列ができ、参道は参拝者・観覧客で埋め尽くされます。
お会式は宗祖などの命日に行われる「またお
会
いする儀
式
」。本門寺では、日蓮宗の宗祖・日蓮が没した地であることから、日蓮の命日(10月13日)にむけて11日から行なわれ、
逮夜
(命日の前夜)の12日は昔から賑わいました。歌川広重(2代目)と歌川豊国(3代目)の「江戸自慢 〜三十六興〜」の1つ「池上本門寺会式」(
元治
元年(1864年)制作)(Photo→)や、小林清親の「池上本門寺」(明治17年制作)(Photo→)などにもその様子が描かれています。
大正11年、「池上線」が開通すると「本門寺」への参拝客が爆発的に増えます。「池上線」は「本門寺」への参拝客輸送が主目的だったのです。昭和7年8月、 当地(東京都大田区北千束)に下宿した中原中也(25歳)も、お会式に出向いたのでしょう、その年の10月、「お会式の夜」という詩稿を残しています。
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見事
な
纏
の舞 |
沿道を埋める屋台と観覧客 |
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此経難持坂
は加藤清正が寄進したと伝わる。『法華経』「宝塔品」96文字にちなんで96段。その一段一段を万灯が上っていく |
日蓮の荼毘所(火葬場)と伝わる場所にあった「灰堂」が、文政11年(1828年)「宝塔」として再建された。この日には扉が開く |
日蓮の60年の人生は激動そのものです。
日蓮は、承久4年(1222年)、千葉県
鴨川市小湊
(Map→)で生まれ、11歳で地元の
清澄寺
(鴨川市清澄322-1 Map→ Site→)にのぼり、仏道に入ります。16歳から鎌倉や京都方面に遊学、31歳頃から法華信仰を説くようになりました。34歳頃(1256年頃)鎌倉に出て、辻説法を開始。1260年(38歳)、旧来の仏教各派とそれを庇護する幕府を激烈に批判したため、以後、何度も迫害に会い、伊豆と佐渡島にも流されました。1274年(51歳)に赦免されて鎌倉に一旦帰着後、
身延
の地(現在、
身延山
「
久遠寺
」(山梨県南巨摩
郡身延町身延3567 Map→ Site→)が建つ)に
籠り、以後8年間、読経・礼拝・修行、弟子の育成に明け暮れました。
ところが、身延山中の厳しい気候の中で、3年目の1277年(55歳)より、下痢を伴う病気となり、悪化していきました。冬を越すのも難しいと思われるほどになったため、常陸の「
加倉井
の湯」(茨城県水戸市加倉井町 Map→)で湯治に専念することを目的に(異説あり)、身延の山を下ります。
弘安5年9月8日(1282年)日蓮(60歳)は、
波木井実長
(南部実長。身延での日蓮の庇護者)の用意した栗毛の馬にまたがり(実長は道中の日蓮を守護するため自分の子どもと練達の馬丁を同行させた)、身延を出立。
下記の道のりで、身延から池上に至っています。
富士川水系の笛吹川添いに北上して富士山を北方から回り込んで河口湖湖畔に出て、三国峠、明神峠、足利
峠をへて箱根山を北方から回り込み、
酒匂川
の河口付近で相模湾に出て、大磯・平塚あたりから北東方向に内陸を行き、多摩川も渡り、身延を出て10日目の9月18日、池上
宗仲
の
邸(現「
本行寺
」(東京都大田区池上二丁目10-5 Map→ Site→)。「本門寺」に隣接して建つ寺院)に到着しました。なお、池上への途上、
洗足池
(東京都大田区南千束二丁目 Map→)で日蓮が足を洗ったとか
袈裟
をかけたとかいう話や、「
萬福寺
」(東京都大田区南馬込一丁目49-1 Map→)に一泊して日蓮が
鬼子母神
像を奉納したとかいう話は、江戸時代になって出てきたものであり、信憑性に欠けます。
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身延山久遠寺で圧倒的な存在感を放つ菩提梯(ぼだいてい)。この階段を上りきると華やかな堂塔が立ち並ぶ一角に出る |
身延で日蓮が庵を結んだところ。ひんやりとした清浄な空気が流れる。日蓮の身延での8年間を思う |
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日蓮が入滅した池上宗仲の館にあたる場所に建つ本行寺。
大坊
とも呼ばれる |
日蓮入滅の際、庭に季節外れの桜が咲いたという。お会式の晩、訪ねたら一輪咲いていた |
日蓮は、池上到着の25日後の10月13日、弟子たちに囲まれて、宗仲の邸で息を引き取りました。
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内村鑑三『代表的日本人(岩波文庫)』。内村は日蓮宗の僧侶の講演会を企画するといった型破れなクリスチャン(キリスト者)だった。日本を代表する5人のうちの1人に日蓮を挙げている。「日蓮ほどの独立人」はいないとし、闘争好きな点を除けば「理想とする宗教者」と讃える。他宗の人をも讃え得たのは、内村が物事の本質を見る人だったからだろう |
映画「日蓮」(松竹)。昭和54年、日蓮の七百回忌を記念して、川口松太郎の小説『日蓮』を映画化。監督:中村 登。日蓮を萬屋錦之介、浜夕を松坂慶子、日朗を3代目中村又五郎、阿仏房を西村 晃が演じる。他にも、松方弘樹、田中邦衛、田村高廣、岸田今日子、永島敏行、丹波哲郎、野際陽子、赤木春恵、池上季実子、大滝秀治、市川染五郎など超豪華な顔ぶれ |
■ 馬込文学マラソン:
・ 川口松太郎の『日蓮』を読む→
・ 中原中也の「お会式の夜」を読む→
■ 参考文献:
●『撮された戦前の本門寺 〜古写真集〜(増補版)』(本間岳人 池上本門寺霊宝殿 平成22年初版発行 平成23年発行2版)P.37 ●「幻想的な万灯が練る東京三大御会式(ぶらりお寺たび)」(日蓮宗)(Site→) ●「江戸自慢三十六興 日本橋 初鰹」(くもん子ども浮世絵ミュージアム→) ●『大田区の史跡散歩(東京史跡ガイド 11)』(新倉善之 学生社 昭和53年発行)P.156-162 ●『中原中也(新潮日本文学アルバム)』(昭和60年発行)P.80-81 ●「日蓮の入滅と池上氏」(新倉善之) ※『大田区史(上巻)』(東京都大田区 昭和60年発行)P.559-574 ●『特別展 鎌倉の日蓮聖人 〜中世人の信仰世界〜』(神奈川県立歴史博物館 平成21年発行)P.161-163 ●「常陸の湯 ~混浴の社交場〜」(来夢来湯→)
※当ページの最終修正年月日
2024.10.12
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