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裁かれた“異邦性”(昭和26年7月21日、広津和郎による『異邦人』批判に、中村光夫が反論)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルベール・カミュ ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/アルベール・カミュ(令和元年7月2日更新版)→

 

昭和26年7月21日(1951年。 文芸評論家の中村光夫(40歳)が、フランスのカミュ(37歳)が書いた話題の小説『異邦人』についてなされた広津和郎(59歳)の批判に対して、「東京新聞」紙上で反論しました。

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カミュの『異邦人』は、太平洋戦争中の昭和17年(カミュ28歳)に刊行され、日本語訳は、敗戦後6年目の昭和26年の6月(まだGHQの占領下。3ヶ月後の9月に「サンフランシスコ平和条約」に調印される)、窪田啓作(31歳)によってなされました。

きょう、ママンが死んだ。

で始まるこの小説は、フランス領アルジェリアの首都・アルジェmap→に住むムルソーという青年が、同じアパートに住む知り合いのトラブルに巻き込まれ、“偶然”、一人のアラブ人を殺してしまうところで第1部が終了。第2部では、ムルソーが裁かれ、死刑を宣告されるまでが描かれます。

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広津和郎

広津にはムルソーの言動の一々が「妙に神経に引っかか」ったようです。棺の母親の顔を最後に見るかと問われたとき見ないとこたえたこと、母親の年齢を問われても正確に言えなかったこと、通夜の席でミルク入りのコーヒーやたばこを臆面もなく楽しんだこと、葬儀の翌日、海水浴に行って、その後、知り合いの女性と喜劇映画をみて情交までしたこと、その女性が愛しているかと聞くと「それは何の意味もないことだが、恐らく愛していないと思われる」とこたえて彼女を悲しませたこと、知り合いの悪事に協力するおりも「別にどうとも思わないが、なかなか面白い話だ」とどこか投げやりであったり、きわめつけは、裁判で殺人の動機を尋ねられたとき、「太陽が眩しかったから」とうそぶき・・・、広津にはムルソーという人間をどうにも認めることができないのでした。彼に対する死刑宣告についても次のように書いています。

・・・従って検事や陪審官や裁判長のやうに、この人間を冷酷無比として「死刑」に処する事には賛成しなくとも、この人間を隔離する事には賛成しないわけには行かない。いかにアルゼリアの太陽に照らされたにしても、一人のアラビア人を殺して、「太陽のせゐだ」と空嘯くのは、精神が異常であると云はなければならない。たしかにこれはわれわれに取って「異邦人」である。こんな所にカミュの独自性追求があるなら、そんな独自性はわれわれとは関係がない。・・・(広津和郎「カミュの「異邦人」」(「東京新聞」昭和26年6月12~14日))

広津和郎
中村光夫

広津のこの『異邦人』批判に対して中村は、明治からの西欧の作品をありがたがる日本人の傾向に鮮やかに反発した広津の「精神の健康な弾力」を認めつつも、文章の後半では、

・・・氏のムールソオに対する攻撃は、まったく既成道徳の通り一遍の常識をでず、そこらの頑固親爺が伜にむかって、「近ごろの若い者は」と説教するのとまるで選ぶところがありません。
 かつての「神経病時代」の作者の「神経」も、今ではこういう常識道徳の代弁者になり下ってしまったとしたら、齢はとりたくないものです。カミュがこの小説を書いたのが、まさしくこうした既成の人間関係のワクにたいする反逆のためであり、 それはちょうど若いころの広津氏が「神経病」や「性格破産」に苦しむ青年たちを描いて、大人の世界、虚偽に対する疑惑を投げつけたのと同じことではありませんか。・・・(中略)・・・広津氏の「異邦人」に対して抱く反感の激しさは、氏がもはやその精神のなかにしめる自分自身の位置に変化をあたえることを好まぬ老年期に達したため、と考えます。・・・(「広津氏の「異邦人」論について」(中村光夫「東京新聞」昭和26年7月21~23日)より)

と辛辣かつ挑発的に批判しました。広津が、この小説を、「妙に神経に引っかか」るムルソーの言行を撒き散らしておいて、最後に彼に死刑が宣告される段で、読者にそれをないだろうといきり立たせる、「態とらしい」「心理実験室での遊戯」とこき下ろしたのに対して中村は、

・・・この白を黒ととりちがえた広津氏の批評は、もしたんなる批難のための批難でなければ、大正期の作家に共通する氏の「リアリズム」にもとづく偏見というよりほかはありません。
 おそらくありていに言えば氏は「異邦人」が「事実」にもとづいて書かれていないのが気に食わないのです。知的に構成された「実験」であることが、どうも「生活」には関係のない「遊戯」に思えるのです。 ・・・(同上)

と、私小説絶対主義、リアリズム絶対主義に異を唱えました。

その後、論争の場を、「群像」(講談社の月間文芸雑誌)に移して丁々発止やるのですね。両氏のどちらの主張が正しいかというのはなく(両氏も相手を論破するといった低次元のことに拘泥していない)、自他の「人と違っているところ(“異邦性”)」への態度、「小説の意義」に対する認識が、多様に存在しうることがこの論争で明らかになり、この論争は、『異邦人』をより面白く深く読むこと、同作の“価値”を高めることに寄与したと言えるでしょう。同作の根底に 潜む ・・ 「倫理性」が高く評価され、論争の6年後の昭和32年、カミュ(44歳)は、ノーベル文学賞を受賞します。

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『異邦人』に戻ると、ムルソーの「異邦性」は、一見、虚無的で、失礼で、極度に心が冷たいようにも思われますが、実は彼は、シャイで、誠実で、ある意味心が広いのでした。母親が死んだ時も、そんな時だけ親孝行のまねをするような偽善的な態度がとれず、いつも通り(でも、カミュはちゃんと(こっそりと)、「すぐにママンに会いたいと思った」「もちろん、私は深くママンを愛していた」とムルソーの母親への思いを書きこんでいますね)。恋人(マリイ)に「愛していない」と言ったのも、君を愛しているよ~、とか何も根拠のないキザなことは恥ずかしくて言えない。ムルソーの「マリイの舌が、私の唇を爽やかにした」という述懐が全てでしょう。同じアパートの評判の悪い男と親しくしたのも(それが結果命取りになるが)、ムルソーが世間の評判とかで人を分けて考える人でなかったからでしょう。

弁護士に、母親が死んだ日に苦痛を感じたかと問われ、ムルソーが「ほんとのところを説明するのはむずかしい」とこたえ、弁護士の心証を著しく害したこと、判事が神を信じるかと問うたとき、ムルソーが「信じない」とこたえて、判事を激昂させたことが大きかったでしょう。「苦痛」とか「神」とかいった概念で、複雑な心理や信条を単純化して説明することをよしとしない「現代性」をムルソーは獲得しており、しかし、それは「異邦性」として現れ、それが裁かれ(「違法性」ではなく「異邦性」が裁かれ)、ムルソーに死刑が言い渡されたと言えるでしょうか。

今の日本にムルソーがいて、「日本が好きか?」と問われたら、おそらく彼は「好きではない」と答えるでしょう。そして、「異邦人」ならぬ「同邦人」(を自負するような人たち)から、「反日」とか、「嫌なら出ていけ」と“裁かれる”ことでしょう。

ヴィスコンティ監督の映画「異邦人」(原作:カミュ。主演は「ひまわり」のマルチェロ・マストロヤンニ)がYoutubeにアップされていますね!

カミュ『異邦人(新潮文庫)』。翻訳:窪田啓作 中村光夫『異邦人論』(創元社)。広津と中村の「異邦人論争」に対する著者カミュのコメントも紹介されている
カミュ『異邦人(新潮文庫)』。翻訳:窪田啓作 中村光夫『異邦人論』(創元社)。広津と中村の「異邦人論争」に対する著者カミュのコメントも紹介されている

■ 馬込文学マラソン:
広津和郎の『昭和初年のインテリ作家』を読む→

■ 参考文献:
●『戦後文学論争(下)』 (監修:臼井吉見 番町書房 昭和47年発行)P.13-20、P.61-62

■ 参考サイト:
・ ウィキペディア/●中村光夫(平成30年10月23日更新版)→ ●アルベール・カミュ(令和元年7月2日更新版)→ ●窪田啓作(平成27年9月8日更新版)→ ●異邦人(小説)(令和元年7月7日更新版)→ ●フランス領アルジェリア(平成31年2月21日更新版)→

※当ページの最終修正年月日
2019.7.22

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