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「天和の大火」は、江戸の大火を記述した『歴代炎上
ところが、「天和の大火」の4年後(
『好色五人女』では、12月28日の「天和の大火」がお七の付け火によるものでなく、お七の家族(本郷森川宿(現・東京都文京区本郷六丁目 Map→)の八百屋の
その後『好色五人女』では、吉祥寺で お七が、
火事はぼやで済みましたが、放火は大罪。翌日(3月3日)、お七は町奉行に引き渡され、1ヶ月もしない3月29日(天和3年。1683年)、市中引き回しの上、当地の鈴ヶ森刑場(東京都品川区南大井二丁目7-3)で火あぶりになったとされています。
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| 「天和の大火」の出火元とされる大円寺の「ほうろく地蔵」。焼けたほうろく(鍋の一種)を被り、火あぶりになったお七の苦しみを引き受けているという | 円乗寺(東京都文京区白山一丁目34-6 Map→ Site→)のお七の供養塔。お七が家族と避難したのを西鶴は吉祥寺としたが、ここ円乗寺との説もある |
「天和の大火」の他にも、 江戸では大火が49回もあったそうで、世界でも類がないようです。
「江戸の三大大火」といえば、最初が明暦3年(1657年)の「明暦の大火」(「天和の大火」の25年前)。3日間燃え続け、江戸の大半を灰にしました。江戸城の外堀の内側はほぼ全焼、3~10万人もの死者が出たそうです。江戸城(現・皇居)の天守閣も燃え、以後再建されていません。林 羅山は、この火事で蔵書を全て失い、その衝撃の中、4日後に死去。
「明暦の大火」は「振袖火事」とも呼ばれます。麻布の質屋の娘ウメノが寺の小姓風の美少年に恋をしたというのです。彼女は彼と同じ振袖を枕に着せカツラをかぶせ夫婦ごっこをしていたというのです。そのうちに切なさのあまり病になり17歳で死去。その振袖は次々に同じ年頃の娘にわたり、彼女らの命を奪っていったとのこと。根も葉もない怪談の類でしょう。商家の娘と寺小姓の組み合わせがお七の話にそっくりです。“お七の物語”の原型ではないでしょうか。
さらにはこじつけも甚だしく、その振袖を「不受不施派(日蓮宗の一派)」が供養しなかったがために娘たちの命が奪われたというのです。それで、本妙寺(現・豊島区巣鴨。かつては東大の赤門前にあった)でその振袖を供養することになります。ところが、僧侶が振袖を火にくべた瞬間につむじ風が起きて、燃えた振袖が寺の本堂を焼き、寺の外にも燃え広がって「明暦の大火」になったというのです。「不受不施派」に悪いイメージを持たせるために権力者サイドが流したデマではないでしょうか?
あと、「お七の火事」もそうですが、罪を被せやすい存在(例えば商家の娘)に罪を被せた可能性も高いのではないでしょうか? 失火の罪は重いので、武家や大名屋敷では、出火しても門を閉ざし、極力自力で消そうとしたし、周りもその事情を察して、門が開かないうちは、手を貸さなかったとか。そして、武家や大名屋敷が火元になった場合は、他の弱い存在にその罪を被せた可能性もあるのではないでしょうか?
おな、「明暦の大火」には、「幕府放火説」「本妙寺火元引受説」というのもあるそうです。
「江戸の三大大火」の2番目が、115年後(明和9年(1772年))の「明和の大火(「行者坂の大火」)」。死者・行方不明者が1万8,900人ほども出たようです。出火元が「天和の大火」同様大円寺(目黒区。「天和の大火」の大円寺は文京区)なのが不思議・・・。3番目が文化3年(1806年)の「文化の大火」です。
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| 「明暦の大火」で死亡した10万もの人を供養するために建てられたという「 |
「明和の大火」の出火元とされる大円寺(東京都目黒区下目黒一丁目8-5 Map→)の五百羅漢。亡くなった人の供養のためという。近くの明王院(現・「雅叙園」(東京都目黒区下目黒一丁目8-1 Map→))にお七の恋人・吉三郎の伝説が残る |
「江戸っ子は宵越しの金をもたない」といいますが、お金を貯めてもどうせ火事でなくなってしまうので、後のことは考えずにパッと使ってしまおうということのようです。また、江戸の火事を「華」といいますが、実際はこの世の地獄。江戸のイメージを悪くしないよう為政者がこしらえた標語か、はたまた庶民の精一杯の強がりか? 明治になってですが、焼け出された人たちが「平素通り幸福そうに見える」のに来日していたモースが驚いています。命さえ助かれば、案外のんきだったのも事実かも。
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| 井原西鶴『好色五人女(現代語訳)(河出文庫) 』。訳: 吉行淳之介ほか ●牧 美也子による漫画→ ●ジェームス三木によるドラマ→ | 黒木 喬『お七火事の謎を解く (江戸東京ライブラリー)』(教育出版)。事件当初、八百屋お七への言及が慎重に避けられた。その訳は? |
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| フレデリック・クレインス『オランダ商館長が見た 江戸の災害(講談社現代新書)』。解説:磯田道史 | 山本周五郎『柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫) 』。『柳橋物語』での「明暦の大火」の場面が圧巻 |
■ 馬込文学マラソン:
・ 芥川龍之介の『魔術』を読む→
・ 山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読む→
■ 参考文献:
●『お七火事の謎を解く』(黒木
※当ページの最終修正年月日
2024.12.28