江戸の火消したち ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『好色五人女・西鶴置土産』(学研) 原典:一勇斎国芳「町火消千組図」(絵馬)
明治12年4月8日(1879年。
の明け方5時頃、半鐘で目覚めたモース(40歳)は、はね起きて、3キロほど離れた火事場に駆けつけています。火はすでに収まりかけていて消防夫たちの活躍を見ることができませんでしたが、それでもまじまじと観察。
・・・私は初めて、警察部に所属する、消防機関の新しい型を見た。二輪車にとりつけてあって、機関の上に蛇管が巻きつけてある。これは水を吸い上げ、相当な水流を発射する。機関は車から取外し、六人か七人かがそれを扱う。これは最近、外国の型から採ったものである。図533はその一台が火事場へ向う所であるが、消防夫達は町々を走りながら、猫のような叫び声を出す。図534は建物を立ったままで救った機関隊の名を出している消防夫である。・・・(モース『日本その日その日(2)』より)
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図533。モースが見た新しい消防機具。モースの日記にはこのようなスケッチが多数付されている ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『日本その日 その日』(モース) |
図534。屋根の上から所属名の書かれたのぼりを掲げて手柄をアピールする消防夫 ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『日本その日 その日』(モース) |
モースは、この日、この後、別のところで起きた火事場へも駆けつけています。火事場の“はしご”。同じ日に近くで火事が起きるというのも驚きですが、それをまた見に行くとは、野次馬の鏡、否、なんという好奇心でしょう! 次の火事場では、被災した人たちの姿に驚嘆の目をみはっています。
・・・(図535)。かかる災難にあった人々が彼等の不運に直面して示す静かな態度は、興味深く感じられた。気持ちがよく、微笑していない顔は、一つも見られない。劇場では泣く女の人達が、大火事で住宅が完全にぶちこわされたのに、このように泰然としているのは、不思議である。持ち出した家財と共に、彼等は襖や箪笥や畳を立てて一種の壁をつくり、その内に家族が集まり、火鉢には火があり、お茶のために湯をわかし、小さな篝火で魚を焼いたり、僅
かな汁をつくったりし、冬以外には寒くない戸外で、彼等は平素通り幸福そうに見える。・・・(モース『日本その日その日(2)』より)
その時がたまたまそうだったのではなく、別の火事場でも被災者がみな「祭礼でもあるかのように微笑を顔に浮べている」のに目をみはっています。「一夜を通じて私は、涙も、焦立ったような身振も見ず、また意地の悪い言葉は一言も聞かなかった」とも書いています。
なぜ、でしょう? スコットという人から聞いた話をモースが記しています。
・・・彼の話によると、保険というような制度は無いが、商人たちは平均七年に一度焼け出されることを計算し、この災難を心に置いて、毎年金を貯える。スコット氏の見聞によれば、人々は非常に思いやりが深く親切で、わざわざ火事のあった場所に買物に行く結果、焼け出された所で大した苦労にはならぬ。・・・(モース『日本その日その日(2)』より)
とのこと。日本人にもこんなにも思いやりがあったのですね!
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図535。焼ける家から畳などを運び出す被災者たち ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『日本その日 その日』(モース) |
モースは明治10年6月の初来日を皮切りに、明治16年2月までの6年間に計3度来日、滞日日数が計1年と6ヶ月間ほどですが、その間、何度も火事場に足を運んでいます。見聞が新たな疑問や関心を生んで、興味がつきないといった感じです。
最初の頃は、警報システムに目を留めています。
・・・間もなく警鐘が鳴った。警鐘は高い柱の上にあって梯子がかかっている(図111)。一人の男が梯子を登って行って、棒で区域の数を叩く。その音が粗硬
で非音楽的であり、五百フィート(約150m。フィートは足の長さに由来し約30cm)の遠くまでも響くまいと思われるほどばかげて弱い。だが、このような鐘は、東京市中のいたる所に密集しているので、誰にでも聞える。・・・(モース『日本その日その日(1)』より)
消防機具があまりに貧弱で、それの使い方も愚かしく、消防夫らの「無駄に費す努力」に「何度も何度も腹をかかえて笑った」モースも、彼らの勇気には尊敬の眼差しを向けています。
・・・一度火が内側に入り込むと、如何に早く家がメラメラと燃え上るかは、驚くの外はなかった。私は又しても消防夫達の勇敢さと、耐熱力とを目撃した。ある建物から、すくなくとも三百フィート(約90m)離れた所にいてさえも、熱は、指の間から火事を見ねばならぬ程激しかったが、なおも消防夫達は火焔を去る十フィート(約3m)以内の所におり、衣類に火がついて焔になるに及んで初めて退却したが、かかる状態にも水流が彼等に向けて放射されるまでは、気がつかぬらしかった。・・・(モース『日本その日その日(2)』より)
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延焼を防ぐために建物を壊し、屋根の下から
竜吐水
で水を掛ける ※「パブリックドメインの絵画(根拠→)」を使用 出典:『日本その日 その日(1)』(モース) |
「次大夫堀公園」には竜吐水らしきものも展示されている。ポンプ式放水具だ。竜吐水の消火能力は低かったが、消防夫に水を掛け、彼らが火傷しないようにしたもよう |
モースが見た火事は、見物に行けるほどのものなので、人々に微笑みが見られるほどだったかもしれませんが、大きな火事となると、酸鼻を極めたのはいうまでもありません。人が何万と亡くなるのですから。「江戸の華」なんてものじゃないですね(被害を過小に思わせたい為政者サイドからの流言でしょう)。山本周五郎の小説『柳橋物語』には、火に追われ逃げ惑う人たちの悲惨な様子がリアルに描かれています。
その悲惨な状況で、勇敢に立働く消防士(火消し)たちは格好良かったでしょうね!
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山本純美『江戸の火事と火消』(河出書房新社) |
逢坂みえこ「火消し屋小町 (1) 」(小学館) |
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早乙女 貢『新門辰五郎伝(中公文庫)』。勝 海舟とも交流があった江戸後期の町火消の親分の伝記 |
「タワーリング・インフェルノ」。138階建ビルの81階で火災が発生。最上階ではビルの落成パーティーが催されていた・・・。 消防隊チーフをスティーブ・マックイーン、ビルの設計者をポール・ニューマンが演じる。傑作パニック映画 ●予告編→ |
■ 参考文献:
●『日本その日その日(1)(東洋文庫)』(モース 平凡社 昭和45年初版発行 昭和47年4刷参照)P.117-121 ●『日本その日その日(2)(東洋文庫)』(モース 平凡社 昭和45年初版発行 昭和49年4刷参照)P.72-75、P.256、P.259-263 ●『日本その日その日(3)(東洋文庫)』(モース 平凡社 昭和46年初版発行 昭和48年4刷参照)P.187
※当ページの最終修正年月日
2024.4.8
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