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「三鬼館」の西東三鬼 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『西東三鬼の世界』(梅里書房) 昭和23年9月5日(1948年。 西東三鬼(48歳)の第二句集『夜の桃』(日本の古本屋→)が出版されました。 反戦・厭戦の感情を折り込んだ俳句を連発した三鬼は、昭和15年(40歳)、当地(東京都大田区大森北一丁目)で検挙され、京都の松原署に連行されます。俳句を作らないことを条件に起訴猶予になりますが、保護監察の身となりました。東京に戻り、2年後(昭和17年。42歳)、保護観察が解けると、三鬼は、突如、妻子を東京において神戸に出奔、西洋館(後に「三鬼館」と呼ぶ)に起居するようになります。そして、(こっそり?)句作を再開。 何気ないスケッチのようでもあり、その頃の時代の空気を結晶させたようでもあります。 そして、ふと、三鬼をとらえたのが「中年感情」。 中年や 「焚火」「しかめ顔」「中年」はぴったりはまる感じです。三鬼が45歳頃でしょうか。「中年」がまだ板についてない感じで、「中年」を演じているような面白さがあります。 このあとも、ぽんぽん「中年感情」を吐き出します。 中年や 神戸なので外国人も多く「独語」(ドイツ語)に出会うことも多かったのかもしれませんが、「独語」を独り言の意味で読んだ方が断然面白いです。自分が独り言を言っているのに気がついて、ハッとした感じ。 傑作は、 中年や遠くみのれる夜の桃 「桃」という官能的なイメージが、夜の遠くの方で 次のようなのもあります。 大寒や転びて と、下り坂にさしかかった自身の肉体と出会い、そして、 おそるべき君 迫力ある乳房も、もはや一種の脅威となる・・・、これも紛れのない「中年感情」でしょうか!? ところで、「中年」はどのくらいの年齢を指すのでしょう? 「広辞苑」(編:新村 出。岩波書店)には、 青年と老年との中間の年頃。四十歳前後の頃。壮年。 とありますが、「日本国語辞典(精選版)」(小学館)には、 現代では、ふつう四〇歳代から五〇歳代にかけてをいう。 とあります。近年、平均寿命が伸び(男女平均は、昭和22年で52歳ほどでしたが、平成22年では30年も伸び83歳超に)、元気な年配者も多くなって、感覚として中年期が長く感じられるようになってきました。40歳ぐらいから60歳ぐらいまでを中年といっていいでしょうか。 『論語』(孔子)には、「40歳になったらもう迷わず」(四十にして
高見 順も、 ・・・お前は中年から詩を書き出した と、「中年」を織りこんでますが、病いを得ていた高見は、すでに人生の終末を見つめているようでもあります。 片山広子は、佐佐木信綱に入門後21年目にして、第一歌集『 物いはぬ仏の顔を三度打つ 我が世にもつくづくあきぬ海賊の 何事か来るやと待てど何も来ず わが胸にまこと潜める物やある “何物”かが訪れるであろうと身を焦がす、生き切れていない自身の半身が疼き出す、そんな中年期もあるようです。 萩原朔太郎は、若い頃、老いて生きるのは醜いことと思い、30になったら死んでしまおうと思っていたそうです。ところが、あっという間に30になり、40も越して、自分がなると考えただけでも身の毛がよだった50にもなってしまい、ところが、その歳になると、老いることが悲しいことではなく、むしろ楽しいことに気がつきます。多少の収入は得るようにもなり、親の監視下からも脱出して「自由」を得、何よりも若い頃の頭を満たしそれがためにのたうち回るほどだった激しい情欲がマイルドになって、本当に助かっていると書いています。なるほど(笑)。
■ 馬込文学マラソン: ■ 参考文献: ※当ページの最終修正年月日 |