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病と生きる(昭和36年10月2日、西東三鬼、胃がんを患い、横浜市立病院に入院する)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

颯爽とした西東三鬼(左)だが幼い頃から病気がちだった。右は、三鬼と同時期に「京大俳句」に加入し、ともに特高からいたぶられた三谷 昭 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:『西東三鬼の世界』(梅里書房)


昭和36年10月2日(1961年。 西東三鬼(61歳)が、「横浜市立大学付属病院」(現「(横浜市立大学附属)市民総合医療センター」(横浜市南区浦舟町四丁目57 Map→))に入院します。胃がんでした。すでに進行しており、7日後の10月9日に胃を切除。大手術となり、その後の経過も思わしくなく、一事は危篤状態になったとのこと。

その後、ようやく小康を得て、一句。

切り捨てし胃の腑かわいや秋の暮

切り取られた「胃の腑」をお医者さんに見せられたのでしょう。「かわいや」という言葉から、安堵感や自愛的感情、ユーモアが感じられます。

三鬼には、肺浸潤はいしんじゅん (結核菌による肺の炎症)の高熱でうなされた時のことを詠んだ句もあります。当地(東京都大田区大森北)に住んだ頃の作品です。

水枕ガバリと寒い海がある

この「海」は氷枕の氷の音からのイメージなのでしょうが、実際三鬼が住んだ家の近くにも大森海岸の海が広がっていました。

不眠症魚は遠い海にゐる

病の中の魚は、近くにある実際の海にではなく、遠い遠い海の中にいるようです。高熱で眠れないのに、意識がふと遠くなるのでしょう。

三鬼は、3歳で骨膜炎にかかりもう少しで右腕切断というところまでいき、サナダムシの影響で中学受験を断念したこともありました。25歳でシンガポールへ渡り歯科医院を開業しますが3年ほどしてチフスにかかって帰国。そして、肺浸潤に、胃がんです。

室生犀星

室生犀星の「蝶紋白」(作品集『黒髪の書』に収められている)には“明るい病人”が出てきます。“明るい”というよりも“我がまま”なのですが、彼が真面目な看護婦さんを困らせても(彼女も負けてはいません)、どこか微笑ましいです。

・・・石鹸せっけん浣腸かんちょうの鉄作りの高さ四尺くらゐある道具がはこばれたが、彼はそれがあまり機械的であり機械にたいする小さい反抗が、またもや頭をもたげた。
「その浣腸器はご免だ、それに石鹸浣腸はきらひなんだ。」
「でもそれより外に浣腸器はございません。」
「子供に用ゐる浣腸器があるだらう、あれでやつて下さい。」
「あんなもの間に合ひはしません。」
「間に合はなくともいいから、あれでやつて下さい。」
「ここは小児科の病院ではないんです、用意しますからじつとしてゐて下さい。」
「小児科でないことは判つてゐる、僕はその機械はやですよ。」
「じつとしてゐて下さい。」
「いけないと言つてゐるぢやないか、患者がいけないといつてゐるのに、無理にやる奴があるか。」
「口を開けていらしつて下さい。」
「ひどいかんごふだ。」
「すぐらくになります、・・・(中略)・・・「もつとかんごふの言ふことを聞いていただかないと、主治医の先生にいひつけますよ。」
「かんごふは医者のスパイか、雇ひ主は僕であり月給をはらふのも僕ですよ、それではあなたは医者のスパイだ。」
「さあ、グリセリンですよ。じつとしてゐらしつて?」・・・(中略)・・・「あ、苦しいたすけてくれ。」
「だめ、動いちや、・・・(中略)・・・「もうほじくるより外にやり方がございません。ほじることにしませう。」
「ほじるとは?」
「ほじることですよ。ほじるより外ないんです。」・・・(中略)・・・「痛い、何をするんだ。」
「子供でも我慢するときはしますよ、元のまま寝て足をひらいてください。」・・・

      (室生犀星の「蝶紋白」より)

と、まるで漫才。この病人、中庭に放置されている備前焼の壷が気になるらしくしばしば見にいったり、看護婦さんの言葉や一瞬の姿に詩的に感じいったり、けっこう病院ライフをエンジョイしています。犀星はこの小説を発表する1年ほど前、胃潰瘍で一ヶ月間ほど入院しています。そのときのことが下敷きになっているのではないでしょうか。

高見順

闘病といえば高見 順。病魔にだって 啖呵たんか を切ります。

・・・死神よ なんじのすることなすことを
は執念く見つづけるであろう
ここがむずかしいところだ
ただのサムライと違う文士の文士たるゆえんである
ざまア見ろ
これは汝でなく余が言うのである

       (「文士というサムライ」より)

堀辰雄

犀星をして「寝ながら印税でかせぎ抜いた作家」と言わしめた堀 辰雄ですが(若い頃から結核だった)、死の1ヶ月ほど前、

・・・僕はあれから一週間おきぐらゐに『薔薇の花ほど』小さい喀血をつゞけてゐました。・・・

              (三好達治あて書簡より)

と書いています。が書いた最期の手紙です。忌まわしいはずの血の塊が、にかかると匂やかなものに変容します。

堀辰雄

仏に仕える寂聴さんですが、平成22年(88歳)脊椎を圧迫骨折し、激痛のあまりに「神も仏もない」と思ったとか(笑)。 4年後の平成26年(92歳)には胆嚢がんも発見され、それに気を取られ圧迫骨折の痛みの方は忘れたとか! そんな大変なご体調なのに、平成27年6月18日(93歳)、安保関連法案(憲法破壊の「戦争法案」)に反対する国会前の集会に参加してくださいました。

米原万里『打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)』。「ああ、私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」。米原は当地(東京都大田区)の馬込小学校、貝塚中学校でも学んでいる シッダールタ・ムカージー『病の「皇帝」がんに挑む 〜人類4000年の苦闘〜(上)』(早川書房)。年間に700万人もの命を奪うというがんと人類の苦闘。翻訳:田中 文。ピュリッツァー賞受賞作
米原万里『打ちのめされるようなすごい本(文春文庫)』。「ああ、私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」。米原は当地(東京都大田区)の馬込小学校、貝塚中学校でも学んでいる シッダールタ・ムカージー『病の「皇帝」がんに挑む 〜人類4000年の苦闘〜(上)』(早川書房)。年間に700万人もの命を奪うがんと人類の苦闘。翻訳:田中 文。ピュリッツァー賞受賞作
藤元健二『閉じこめられた僕 〜難病ALSが教えてくれた生きる勇気〜』(中央公論新社)。ALS(筋萎縮性側索硬化症。全身の筋肉が徐々に動かなくなる)になった著者が視線入力装置で書いた闘病記 「生きる」(東宝)。監督:黒澤 明。 病が、彼の生き方を変えた。出演:志村 喬、小田切みき(チャコちゃんの母)、千秋 実、左 ト全、中村伸郎、菅井きん他。キネマ旬報ベスト・テン第1位
藤元健二『閉じこめられた僕 〜難病ALSが教えてくれた生きる勇気〜』(中央公論新社)。ALS(筋萎縮性側索硬化症。全身の筋肉が徐々に動かなくなる)になった著者が視線入力装置で書いた闘病記 「生きる」(東宝)。監督:黒澤 明。 病が、彼の生き方を変えた。出演:志村 喬、小田切みき(チャコちゃんの母)、千秋 実、左 ト全、中村伸郎、菅井きん他。キネマ旬報ベスト・テン第1位

■ 馬込文学マラソン:
室生犀星の『黒髪の書』を読む→
高見 順の『死の淵より』を読む→
堀 辰雄の『聖家族』を読む→
瀬戸内晴美の『美は乱調にあり』を読む→

■ 参考文献:
●『西東三鬼の世界(昭和俳句文学アルバム15)』(編著:大高弘達 梅里書房 平成4年発行)P.12、P.78-79、P.99、105-109(※略年譜(編:大高芭瑠子)) ●『冬の桃 ~神戸・続神戸・俳愚伝~』(西東三鬼 毎日新聞社 昭和52年発行)P.192-193 ●『堀 辰雄の周辺』(堀 多恵子 角川書店 平成8年発行)P.254 ●「寂聴さん「戦争近づいてる」 国会前で安保法案反対訴え」(「朝日新聞デジタル」平成27年6月18日記事) 

※当ページの最終修正年月日
2024.10.2

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