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バターン死の行進(昭和17年4月9日、バターン半島陥落)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィリピンのバターン半島map→のジャングルから投降してきた米兵たち。その後、収容所までの過酷な徒歩行中、彼らの多くが命を落とした ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を 出典:『図説 太平洋戦争』 (河出書房新社)

 

昭和17年4月9日(1942年。 日本軍は、フィリピンのバターン半島に退却した米軍とフィリピン軍(以下、比軍)を、猛攻撃の末、降伏させました。凄まじい戦いだったのでしょう。フィリピンでは4月9日を「勇者の日」としています。

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日本軍は、4ヶ月ほど前の昭和16年12月8日、ハワイの真珠湾を奇襲しますが、同時に、英国領マレー半島南端のシンガポール、英国領香港、米国領フィリピンの3カ所の攻略作戦も展開しました。オランダ領インド(蘭印。現・インドネシア)を占領して、石油を確保するのが目的でした(「南方作戦」)。

前年(昭和16年)12月下旬、日本軍はフィリピンに上陸。それを受け米比軍はバターン半島のジャングルに退却。しかし、これは一種の罠で、ジャングルに突入した日本軍は、強固な防御線に阻まれて、2週間で2千名もの死傷者を出しました(「第1次バターン攻略戦」)。その後日本軍は急遽戦力を増強し、辛うじて米比軍を降伏させることができたのです(「第2次バターン攻略戦」)。

日本軍が想定した捕虜数は2万5千人でした。ところが投降した将兵は7万人にものぼりました(市民・婦女子を含めると10万人とも)。将兵が投降したバターン半島の突端から収容所(「オードネル捕虜収容所」)までは88kmの徒歩区間があり、捕虜たちに3日間もの過酷な徒歩行が強いられます。

尾﨑士郎(44歳)石坂洋次郎(41歳)今 日出海こん・ひでみ (38歳)、向井潤吉(40歳)も宣伝部隊員(広報原稿の作成、伝単でんたん (相手国の戦意を喪失させるために作られるビラ)の作成などが主な業務)として徴用され従軍していました。

米比の捕虜の様子を、尾﨑は次のように記しています。

・・・何とも名状することのできない異様なかんじである。彼らは道の片側に列をつくり、神妙に土下座していた。顔と服装を見て住民兵の一隊であることがわかる。彼らの表情にはもはや絶望もなければ不安もなく、ただ、生を希い、憐愍を乞う念願だけが妖しく、うちひしがれた陰影を描きだしている。・・・

・・・これが昨日まで、最後の勝利を信じて戦っていた男たちだとはどうしても思えなかった。一瞬の変化の中に彼らは希望を失い、すべての過去の思い出から絶縁して、ただ、肉体の動いて行く方向に向かって、生きているという事実だけをたよりに歩いているのである。・・・(尾﨑士郎『戦記 バタアン半島』より)

この過酷な徒歩行によって、1,200名(2,300名とも)もの米軍捕虜と1万6,000人もの比軍捕虜が亡くなったといわれます。米国防省の資料では米比合わせて7,000~10,000人。ともかく1万人内外の人がこの「死の行進」で亡くなったのです。彼らは降伏時にすでに極度に疲弊しており、またマラリヤなどの伝染病も蔓延、水や食料も不足し、薬も欠乏、これらがおもな死因と考えられています。収容所に到着しても、そこを管理する日本兵は80名ほどしかおらず、物資も欠乏、収容所で命を落とした米比兵も多かったことでしょう。

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バターンからオーストラリアまで逃げ延びた3人の米兵が、これらの惨状を米国民に伝え、それは「バターン死の行進(マーチ・オブ・デス)」と名づけられて、“日本軍の残虐性”を示す格好の材料となりました。以後、米国では、「日本人は残虐な国民(なので、殺してしまっても構わないだろう)」という世論が形成されていきます。ヘイトの感情さえ生まれれば、対戦国の国民が煮られようが焼かれようが、心は痛まないでしょう。日本も他国に対して「鬼畜」「悪辣」「未開」「劣っている」「残虐」「怖い」・・・とかレッテルを貼りまくって、残虐行為を準備し、実行もしてきたので、他国のことだけを責めるわけにはいきません。今もなお、ヘイトを政治利用しようとする人たちが絶えません。その恐ろしさを一人一人が再確認する必要があります。

大方の日本兵は捕虜の死を積極的に望んだわけではないのでしょうが(ビンタなどの虐待はあったのでは?)、日本兵による捕虜の殺害があったのも事実。バターン作戦終了時に大本営から派遣された辻 政信(大本営参謀。39歳)は、大本営命令として捕虜の殺害を伝達。渡辺祐之介(大佐)は真に受けて、捕虜500名あまりを処刑したようです。大本営から辻に捕虜の処刑命令が下された事実はなく、辻の私的命令だったとされますが、あるいは、平成末期にも大流行りの「忖度」とか「尻尾切り」ってこともあるでしょうか?

軍人にも立派な人はいて、今井武夫(大佐。44歳)や生田寅雄(少将)は辻からの命令を拒否、今井は千人以上の捕虜を逃がしたといいます。

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近年(平成27年4月9日)、フィリピンで行われた「バターン死の行進」の記念式典で、石川和秀 駐フィリピン日本大使は、

・・・私たちの心からのお詫びと深い反省の意を、あの運命の日々に苦しまれたすべての人々に表したいと思います。私たちは全員、ここで起きたことを記憶にとどめ、決して忘れることはありません・・・70年前、私たちは敵でしたが今は友人です・・・ BLOGOS ブロゴス )平成27年4月11日 記事/【戦後70年談話】駐比日本大使はバターン死の行進で「お詫びと反省」→

と挨拶し、会場から大きな拍手がありました。

同じく平成27年の4月11日、米国防省主宰で、地元住民や米比の兵士ら約2,000人が「平和を考える機会に」とバターンでの行進の行程を歩くイベントを催しています。運営側は「日本を非難する意図は全くない」としています。今後も開催されるようならば、“不幸な歴史”を知る上でも、また、互いの友好をより確かなものにするためにも、日本人も積極的に参加するのが好ましいかもしれません。(朝日新聞DIGITAL/バターン死の行進を再現 平和願う催しに国境超え2千人(平成28年4月11日))

平成28年4月13日、「バターン死の行進」の生存者や家族が作る団体が、「日本で死亡した米兵捕虜らに対する心のこもった追悼をするまでは、広島訪問を控えるように求める」という書簡をオバマ大統領に送ったとのこと。毎日新聞(平成28年4月17日)/米国 広島訪問、各紙が支持…「大統領は敬意表すべきだ」→

マイケル・ノーマン『バターン死の行進』(河出書房新社) 中嶋猪久生 『石油と日本: 苦難と挫折の資源外交史 (新潮選書)』
マイケル・ノーマン『バターン死の行進』(河出書房新社) 中嶋猪久生 『石油と日本: 苦難と挫折の資源外交史 (新潮選書)』
今井貞夫 『幻の日中和平工作 〜軍人 今井武夫の生涯〜』(中央公論事業出版) 角田房子 『いっさい夢にござ候 〜本間雅晴中将伝〜 (中公文庫)』。英国通の人道主義者として米軍にも知られた本間。戦後、バターンにおける部下の行為の責任を問われ処刑された。コレヒドールで屈辱的に敗北したマッカーサーの報復的措置ともいわれる
今井貞夫 『幻の日中和平工作 〜軍人 今井武夫の生涯〜』(中央公論事業出版) 角田房子 『いっさい夢にござ候 〜本間雅晴中将伝〜 (中公文庫)』。英国通の人道主義者として米軍にも知られた本間。戦後、バターンにおける部下の行為の責任を問われ処刑された。コレヒドールで屈辱的に敗北したマッカーサーの報復的措置ともいわれる
一ノ瀬俊也 『宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争 ―空を舞う紙の爆弾「伝単」図録』(柏書房) 土屋礼子 『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』(吉川弘文館)
一ノ瀬俊也 『宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争 ―空を舞う紙の爆弾「伝単」図録」』(柏書房) 土屋礼子 『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』(吉川弘文館)
半藤一利『昭和史(1926-1945)』(平凡社)。教科書では何も分からない。次はこれ? 渡辺 考 『戦場で書く 〜火野葦平と従軍作家たち〜』(NHK出版)
半藤一利『昭和史(1926-1945)』(平凡社)。教科書では何も分からない。次はこれ? 渡辺 考 『戦場で書く 〜火野葦平と従軍作家たち〜』(NHK出版)

■ 馬込文学マラソン:
尾﨑士郎の『空想部落』を読む→
石坂洋次郎の『海を見に行く』を読む→

■ 参考文献:
● 『戦記 バタアン半島』(尾﨑士郎 圭文館 昭和37年発行)P.132-139 ● 『図説 太平洋戦争』(太平洋戦争研究会 河出書房新社 平成7年初版発行 平成13年12刷参照) P.28-41

■ 参考サイト:
ウィキペディア/●バターン死の行進(平成28年4月21日更新版)→ ●辻政信(平成27年3月26日更新版)→ ●今井武夫(平成27年2月8日更新版)→ ●本間雅晴(平成29年4月6日更新版)→

BLOGOS ブロゴス 平成27年4月11日/【戦後70年談話】駐比日本大使はバターン死の行進で「お詫びと反省」→ ●毎日新聞(平成28年4月17日)/米国 広島訪問、各紙が支持…「大統領は敬意表すべきだ」→ ●朝日新聞DIGITAL/バターン死の行進を再現 平和願う催しに国境超え2千人(平成28年4月11日))※リンク切れ→

※当ページの最終修正年月日
2019.4.9

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